01『陵辱』
男はエインと同化すると、自分がいつの間にか、元いた霊安室とは違う場所にいる事に気付く。
(いったい、ここは……?)
男が――いや、エインが周囲の荒れた草原を見回す。
(……ここは――セイトだ!)
記憶にある風景と合致した。ここはエインが治めていた大陸南西の地に間違いなかった。
初めて見る土地のはずなのに、なぜそう思ったのか――。
(どうやら俺の意識は、元のエインの記憶をすべて引き継いでいる様だな)
そう考えれば納得がいく。
エイン・ギルスフィア――大陸を統治するギルスフィア王家の十八歳の第八王子。
末子という事もあり、長く土地を与えられてなかったいわゆる『部屋住み』の身分であったが、二年前からここセイトの領主となっていた。
(チッ、思い出したくもない記憶ばっかりだな)
早くから王位継承候補から外されていた事もあり、兄たちばかりでなく家臣団からも軽視されていたが、それでも節度を守りギルスフィア王家に尽くしていた。
だが所詮は、お荷物扱いだった。だからいまだ制圧が不十分で、反乱分子の火薬庫と称される、このセイトの地を任されたのだ。
(断りたかった……でも断れなかった……)
エインとなった男は、過去の自分とあまりに重なる、その記憶に顔を歪める。
(俺の新たな人生は、ここからスタートするって事なのか――)
突然始まった第二の人生について考えていると、
「フフフ、俺の戦いはこれからだ――とか思っているのかい?」
いきなり隣に姿を現したアースが、それをからかう様に耳元で笑った。
エインは飛び退くと、宙に浮かぶアースをまじまじと見つめる。
光の差さない霊安室では分からなかったが、白日の下で見るその体は、まるで子供の様に小柄だった。
だが幼い容姿に反して、その目付きと歪んだ口元からは老獪さが滲み出しており、エインはまたしても緊張する。
(俺もアラフォーだったが、こいつはいったいどれだけ歳を食ってるんだ?)
体の大きさに似合わないロングドレスと、おかっぱ頭も年齢不詳さを助長させている。
とにかく謎が多すぎるが、ここまでの経緯から彼女が女神である点だけは疑いようがなかった。
「レディーを舐め回す様に見るのは感心しないなあ」
アースがいたずらっぽく笑う。こういうところは本当に無邪気な少女の様だ。
「君も自分の姿を確認するといい」
そう言うと、アースは空中に円を描き始める。
すると、そこが鏡の様にエインの顔を映し出した。
(これが俺の……顔)
自分ではなかった『自分』の顔をエインは凝視する。
霊安室で死体となった顔をすでに見ていたが、こうして生者の状態を見るのは、もちろん初めてである。
王族というだけあって端正な顔立ち――。加えて十八歳の若さが満ちあふれていた。
洋服もまるで貴族の若様の様だ。まあ実際そうなのだが、それにしてもこの世界は中世の欧州を彷彿とさせる。
(異世界もののテンプレか……。俺の場合も転生になるのか? それよりも――)
多少のファンタジー知識に思いを馳せてから、
「なあ、アース。聞きたい事がある」
エインは一つだけ気がかりだった事を問いかける。
「ん? なんだい?」
「俺は『元いた世界』では、どういう扱いになっている?」
とりあえず現世で死んだ訳ではない。絶望を訴えたら、女神にここに連れて来られたのだ。
――だとすれば、失踪扱いになっているのか?
逃げたいと言ったのは自分だが、それでも投げっぱなしというのは、やはり後味が悪かった。
「ああ、そんな事かい……」
エインの杞憂を、アースは事もなげに笑う。
「安心したまえよ。君の存在は、最初から『なかった』事になっている」
「本当か⁉︎」
「本当だとも。君が背負ってきた苦しみは、今頃無責任な家族たちが、必然的に分かち合っているだろうよ」
アースの言葉にエインの目が輝く。
(あいつらが苦労している……)
小さな事かもしれないが、これで復讐の一端は遂げられたのだと実感する。
「ククク」
下卑た笑いが込み上げる。本心から嬉しかった。
そんなエインに向かって、
「だから安心して、君はギルスフィアへの反逆に専念してくれたまえよ」
アースは、『これまで』ではなく『これから』について言及する。
(そうだ――。アースは俺に、親族であるギルスフィア王家に反逆しろと言ったんだ)
エインは我に返る。
この異世界に逃がしてもらうための条件は、ギルスフィア王国の征服だった。
――君は君の人生で、ついにできなかった家族への復讐を、この世界で成し遂げるんだ!
アースの提案は魅力的であり、それに乗った事に後悔はない。
少なくとも、先の見えなかった人生よりは、よっぽどマシだと今でも思う。
だが家族への復讐も反乱ともなれば、さっきの様な間接的なものではなく、直接的なものになる。きっと多くの血も流れるだろう。
(それでもギルスフィアを打倒したい、この女神の目的はなんだ?)
エインはアースへ、わずかの疑念を抱いた。
だが彼女は恩人であり、おそらく協力者でもある。その機嫌を損ねる訳にもいかない。
(今はアースを信じるしかない――)
なるべく無表情のまま、エインはこの世界で生きる上での方針を、心の中で密かに固めた。
そんな時、男たちの争う声が聞こえた。
少し離れた林の方角からだ。
「――っ!」
自然と体が走り出していた。
驚いた事に十八歳の体のせいか、全速で走っても息が切れなかった。
おそらくアースは、エインの体を完全体にして提供してくれたのだろう。
そのアースは後ろから、宙に浮いたままついてきている。
そして二人が林の入り口にたどり着くと、一人の男が横たわっていた。
「うっ!」
エインは思わずうめき声を上げる。
男の体は、全身をメッタ斬りにされて、すでに息絶えていた。
(――――?)
よく見ると男の耳は、横向きに長く尖っていた。
(こいつは――エルフか)
この世界には、人間、魔族、竜族、そしてエルフ族がいる事はエインもアースから聞かされていた。しかも今は元のエインの記憶と認識も共有している。
だから初めて見るエルフに驚きもしないし、凄惨な死体にもなぜか平然としていられる。
それだけ死というものが日常なのだと、あらためてエインはこの世界が戦乱の地である事を認識する。
「チッ、エルフの返り血を浴びて不愉快だ! さっさと引き上げるぞ!」
少し離れた場所で馬に乗ろうとしている数人の男たちがいた。声はそのリーダー格の男から発せられたものだった。
上品な貴族服の腰に皆、帯刀している。エルフの男を殺したのは、この者たちだろう。
「ははっ、セブ様!」
配下とおぼしきものが、恭しく拝命の声を上げる。
その瞬間――エインの心がさざ波立った。
「セブ……? セブなのか⁉︎」
エインが発した怒声に男たちが振り返る。
「ああん? 誰だ、貴様? この俺を呼び捨てにするとは――」
怒りに顔を歪めた男がエインに向かって足を進める。
(やはりセブ――。ギルスフィア王国第七王子――俺の兄だ!)
復讐の対象である兄を、エインは真っすぐに睨みつける。
「――お、お前は……エイン? バカな、お前は死んだはずではないのか⁉︎」
肩をいからせていたセブも、エインの姿を認めると思わずうろたえる。
「このエルフを殺したのは、お前か⁉︎」
「――クッ! も、戻るぞ!」
エインの問いには答えず、セブは急ぎ馬に乗ると配下を連れて去っていく。
「待て、セブ!」
そうはいっても馬の足には追いつけない。
ひとまず追跡を断念すると、
「エイン……。こっちにおいで」
と、アースが林の中から手招きしてきた。
「――――?」
エルフの死体を放っておくのに気が引けたが、ひとまずアースの言葉に従って林の中に入っていく。
宙に浮くアースについて林の奥に入っていくにつれて、何やら艶かしい匂いがしてきた。
エインも一応は知っている『淫臭』というものだった。
(まさか――⁉︎)
予感は当たった。少し開けた草むらの真ん中に――裸に剥かれた女のエルフが横たわっていた。
女の胸には剣で貫かれた傷があった。もちろんもう死んでいる。
おそらくセブたちが集団で陵辱した上で殺したのだろう。
大方の筋書きは推測できる――。きっと林の外で斬り殺されたエルフは、この女の夫か恋人だろう。
この世界におけるエルフ族は、奴隷階層である。
エルフは俊敏な身体能力を持つが、腕力が人間より著しく劣っている。
それはこの戦乱の世界では致命的なハンデであった。
だからエルフ族は、ギルスフィア王家に蹂躙された。そして大陸の最下層と定義された。
一部は反乱分子として抵抗を続けているが、その多くは居住区も制限され、高い工業生産能力を搾取され続けている。
「すまないがエイン……彼女を埋葬してやってくれないか? 犯され殺された上に、野ざらしではあまりに不憫すぎる……」
そう言ったアースの目は、とても悲しそうな目をしていた。それは例えるならば、子を失った母の様な顔付きだった。
「ああ――」
エインは短く答えて、素手で地面の土を掘り始める。
そのひと搔き、ひと掻きごとに怒りが込み上げていく。
(やっていい事と――悪い事があんだろうがよ……)
そしてエインは決意する。
(まずはセブ――お前を殺す! 俺の異世界征服は――お前の死から始まりだ!)




