07 とり残されて(アルフォンス視点)
階段の赤いカーペットの上を衣擦れの軽い音をさせながらカーチャが降りてきた。
「サルトナ、お待たせ。今日は本当にありがとう。エスコートなしで行くわけにいかないし、かといって今日の舞踏会を断るわけにもいかないし本当に困ってたの。私みたいなのとだと迷惑かけちゃうわね。会場に着いたら別行動でいいから」
「相変わらずガサツだな。それさえなければ...今日は一段と美人だな」
カーチャはいつもの様子からは想像がつかないほどに美しく整えられていた。髪全体に白い生花と真珠が散りばめられ、茶色の髪は艶やかに纏められ、天使の輪が頭上にできている。右耳の前の一筋だけが肩に掛かるように残され綺麗に巻いてあって色気が漂う。軽く化粧が施され目の大きさが強調され血色もよく見えた。紅い唇はぷっくらとした潤いを認め、吸えば甘い蜜が溢れてくるのではないかと錯覚してしまう。
まるで絵本の中から飛び出した妖精のようだった。纏っている白に近い生成色のドレスは細身の体にぴったりと貼りつき腰まで身体の線がくっきりと出ている。腰から下はこれでもか、とレースが幾重にも重ねられ動くたびにふわふわと揺れた。
そして真珠のチョーカーから伸びる細い銀細工の鎖の先には白い薔薇が一輪咲いており、いつもは隠されている白い胸元の谷間に向か控えめな影をおとしていた。薔薇はカーチャが動くたびに小さく揺れた。目が離せなくなる。
没落しても侯爵家の出なのだという事を見せつけられたような気がした。普段は世間の噂通り無関心を装っているようなペルーナ伯爵だが、このデビューの力の入れどころを見ると実はこの二人を大切にしているのだという事がよく伝わってくる。よく考えてみれば、もし本当に蔑ろにしているのであれば姉弟二人をここまで熱心に教育し、貴族なりの衣食住を提供するわけがない。
カーチャはこちらを認識するといつもは眼鏡に隠されている飴色の瞳をこちらに向けた。自分でも気づかないうちに背が伸びたようだ。カーチャは自然と上目遣いになり自分は花が散らされたカーチャの頭のてっぺんが見えることに気づく。
「アル、今日も遊びにきてくれたのね。ありがとう。ゆっくりして行ってね」目が細められる。
ごくっ。体温が1度上昇した気分になった。
「カーチャは今日、デビューなんだってね…おめでとうございます。とてもおキレイですね」
無理やりにっこりと笑みを浮かべる。本当はめでたくもなんともない。むしろただただ、カーチャを見つめていたい。剥き出しになっている細い首から鎖骨までのラインをゆっくりと指でたどりたいし、強く肩を抱き寄せて、自分以外の誰の目も届かない場所に閉じ込めてしまいたい。
自分でも驚くほどの強い衝動に駆られた。初めて見舞われた衝動は抑え切れていただろうか。信じられないほどに緊迫し、声がわずかに高くなりかすれていたと思う。
それに気づいた様子もなく、カーチャはタムスンの手を取る。
「タムスン、行ってくるわ。サルトナ次第になるけれどもなるべく早く帰るから」
「ねえさまは社交界デビューを楽しんで。今日はすごく可愛らしいのでくれぐれも気をつけて。ヴィンストリ氏、どうぞよろしくお願いいたします」
サルトナは承知した、と言わんばかりに礼をする。
カーチャは素知らぬ顔でボヤき始めた。
「きっと王城でご令嬢方はサルトナの取り合い合戦を始めるだろうから最後までいる事にはなりそうだけど…」
めんどくさい社交界のルールか。カーチャは暗にエスコートなしでは帰ってこれない事を示唆する。そして独身男性は誘われたらダンスをお断り出来ない決まりだ。次期伯爵として、また婚約者の死別を受けてにわかに貴族の結婚争奪戦の舞台に投げ込まれたサルトナは今、社交界で最も旬な独身男性なのである。その上この顔面偏差値の高さ。噂ではファンクラブすら存在しているらしい。
サルトナはいつの間に執事からカーチャのケープを受けとったのか、ふわり、とカーチャの肩にケープを掛けると流れる手つきでそのままカーチャの腰に手を回し、左腕を差し出し、扉の方へと誘う。カーチャもごく自然に右手を軽く乗せる。
「それでは失礼する。帰りは無事、弟君に届けられるよう心しておこう」
言葉こそタムスンに向けられたようだが、なぜか肩越しに一瞬だけこちらに目線が移されたような気がした。しかし気のせいだったのかもしれない。サルトナはそのままカーチャに視線を戻し、玄関前の数段のステップを降りていく。
「普段からそのくらい綺麗にしていれば王城の男どももほうっておかないんじゃないか?」笑いの篭った物言いだったからこそ二人の親密さを表しているようで胸騒ぎがする。「出自なんぞ気にしない貴族はいっぱいいるぞ?今日は大変な事になりそうだなぁ」
ーーーいっぱいいるのか!
ますます焦燥感に駆られる。
「…サルトナはいつにも増して言葉がお上手ね。その手合いで何人の姫君が今日もあなたの手に落ちるのかしら?」軽く笑ったカーチャの声が響いた後すぐに馬車に乗り込んだのか、御者が馬に合図する声がした。
「行っちゃったね?」少し心配そうに眉毛を下げたタムスンが覗き込む。
「うん、行っちゃったね」
これからの人生で僕は何回カーチャをこうやって見送らなければならないのだろうかと気を揉んだ。