キャロライン 涙する
オージエが寮の部屋までわざわざ持参したのは、エルンスト王子からの手紙だった。
葬儀の週は遠慮したが、今週は、エルンストの為に『キャロライン通信』を送っていた。それの感想かと思ったが、
『喪があけたので、一度お会いしたい』という、招待だった。
「アズーナで、君と過ごした時間が余程心地よかったようで、君の話をよくなさるんだよ。何とか政務の時間をやりくりする。いらしてくれないか」
「……不味くないですか?
私は学友でも側近でもない。ましてや、婚約者でもないですよ?」
不味いだろう。
未婚の女子が、王子の周りをウロウロしたら。
しかも、高位貴族の娘でもなし。
ミリアのつり上がった目を思い出した。
くわばらくわばら……。
オージエは何時もの腹黒い笑みを見せず、神妙な表情だった。
「……不味いとは、思う。
でも、キャロライン・ジュゼッペ。
君しか、
……もう、手は無いんだ」
さっ、と、キャロラインの顔が曇る。
「……殿下は、そんなに?」
「寝ていない。お痩せになった。
アズーナから帰国した時の輝きがない」
キャロラインは目を閉じた。
恐れていた事態に、どうやらなった様だ。
(私のシェラザード)
エルンストの弱々しいけれど、清らかな笑顔を思い出す。
優しい声が、転がるように笑い声に変わるのを思い出す。
苦しいだろうに、穏やかに接し、
自分よりキャロラインに配慮する心根、仕草を思い出す。
キャロラインは、どん!と、卓を叩いた。
「あ、んなに、言ったのに!
周りは何をしていたんですか?
どなたでもいいから、あの方の言葉を心を受け止める人が必要だと、あんなに、あんなに注意したのに!」
キャロラインの声に、滲みが入る。
オージエは、軽く言い淀んだ。
「何人も、あてがったさ。
でも、誰にも君にはならないと断られて。
陛下の崩御は、あの方の重りをさらに重くしたようだ。勢力争いがあの方にも聞こえて、余計に人を信頼出来なくなられていて」
「……捨てさせて!何もかも!
逃げさせてあげて!
でないと、でないとあの方、
……ああ!」
キャロラインは、喉が嗚咽で詰まり、それ以上話せない。ポロポロ涙が溢れて落ちる。
それでも、泣き声を出さないのがキャロラインだ。
静かに静かに泣くキャロラインをオージエは
「……込み入った話がしたい。場所を替えよう」
と、告げた。
(保健室?)
オージエが護衛と共に連れて来たのは、校内の保健室だった。
「いらっしゃーい、あら、もう泣かせたの?」
「また私を悪者になさる」
「腹黒腹心が何を言ってんの。
さあ、キャロライン・ジュゼッペ、お座りなさい
マルグリットは元気?」
この美魔女は、休暇でも学園にいるのだろうか。
「シャロンですか?元気です。
この間も、一緒にお買い物しました」
「ああ、例の伯爵親バカ道中ね」
なんで、こんなに情報通なんだ?
キャロラインは、美魔女をまじまじと見た。
「紅茶でいいかしら」
「いえ、お構いなく」
「私が欲しいのよ」
オージエは、敵わないな、と呟いて、キャロラインを見た。
「……話せる?」
「大丈夫です」
オージエは、切り出した。
「キャロライン。先程も言ったとおり、殿下には、心開いて気を楽に出来る人物が必要だ。そしてそんな人と過ごす時間が」
それは、私ではない、と言ったばかりなのに。
「王宮の御典医達は、何と?」
「アイツらが、マトモな診断出来るわけがないわ。多分今の状態も、夏バテとか亡き陛下を偲んでの気鬱とかにして、精のつくもの食べさせろって、やってんでしょ」
オクタビアが言うと、オージエは、
「ええ。その通りです。
要は、エルンスト王子に気合いが足らないと」
「馬鹿よね。頑張れが、一番の毒なのに」
その通り。
頑張れないから辛いのに。
「周りはどうなってる?
「ダンブルグ公爵の息がかかったもの達が、何かと世話を焼いている。あの方も何か思うところがあるのだろう。何とか殿下を元気にしようと、小姓も侍従も女官も、官吏も……あの方の肝いりの人材が多い」
「……ある意味監視ね」
「それだけ必死なんだろう。
ヴィルム殿下の帰国で、その成長ぶりに野心を持つもの達への牽制を図りたいだろうし」
……気が休まらない。
弟にも、心安くなれない。
あのヴィルムのゆとりは、エルンスト王子にとっては、羨望の象徴だろう。ピンと張った弦の様なエルンスト殿下を弾く爪。
(お気の毒だわ。
お可愛そうだわ……)
「やはり、この手しかないわね!」
オクタビアが、そう言うと、
「ありがとうございます」
と、オージエが返すので、
(ん?事前に何か決めてたの?)
と、キャロラインの思考が保健室に帰ってきた。
「私が診ましょう!
王妃にお会いしに行くわ。
陛下をなくされて、気落ちしている王妃の介抱に。ね。
キャロライン、貴女も同行するのよ」
……王妃?
(なんでここで王妃様が?)
オージエは、
「そうして頂けると助かります。
エルンストには、お祖母様からご教授頂くとの名目で、北の対にお連れします。
北の対なら、口さがない連中は入れない。王妃殿下は完全な中立を保ってますからね。
キャロライン。君はオクタビア先生の同伴で入って欲しい。そこで、エルンストに会って欲しいんだ」
「……手筈は、分かりましたけど。あの、どうして王妃殿下がここで出てくるのです?」
「妹よ」
は?
「オクタビア先生は、王妃殿下の妹君であらせられるんだ」
……うお。う。
大スクープ!
「これでも、しがない貧乏侯爵の娘よ」
オクタビアは、パチンとウインクする。
(ひえぇぇ?王妃の妹様が学園の保健医師?!)
「うふふ。それにね、
オージエの祖父は、私の幼なじみなの」
オージエ閣下。現宰相の……
ひ。
「ひえぇぇ!」
「何でよ、その反応!」
「では、そのように」
オージエは、いつもの慇懃なオトコに戻って、席を立つ。
「キャロライン。
君があの方の為に涙してくれた事、生涯私は忘れないと誓う。
ありがとう」
そう一礼して、オージエは去っていった。扉が閉まると、オクタビアは、ふふっと笑い、
「オージエも必死ねえ。
大丈夫。貴女に会えば、きっと良くなると思うわ
姉と一緒に、上手く取り計らうから。私だって、姉の孫は私の血縁ですからね。手を貸すわ」
と、キャロラインに優しく告げた。
「先生」
「何?」
「インタビューを是非」
「身元は秘密よ!」
「いえ、それより」
さっと、キャロラインは手帳を出す。
「若返りの秘術を!」
「何よそれ!」
だって美魔女!
王妃殿下は御歳65歳。
妹ったって、どう考えても50は回る!
シワが無いたるみが無いこの顔は、
どうやったら成立するんだ?
取り敢えず、王宮に赴く事になったキャロラインだった。




