シャロンのデビュー その3
シャロンの眼鏡は、黒のセルロイド枠で、丸い形。そこに、度の強いレンズを入れると、縁に近い所から、幾重にも景色が丸まって映り、グルグル模様になってしまう。
オマケに、度の強さから、目が実際より五割減の大きさとなる。
そぐわない。
思い切り、一張羅の装いにそぐわない。
「……インパクト強いな」
「ああ。何か仮面舞踊会ばりだね」
(あの娘、どうして!)
コールは焦る。
あの勘違い娘が、自分の婚約者だと公表するのか?
焦るが、隣にいる伯爵が
「おお、娘、……可愛いなあ」
と、全面的に認めてしまっているため、不快を顕に出来ない。
全員が入場し終わると、デビュタントによる踊りが始まった。カドリール。群舞である。
黒の燕尾服の少年達と、純白の少女達とが会釈し回り、移動する。
その様を年上の青年淑女、保護者が見守るのである。
シャロンは、心地よく音楽に合わせて身体を動かした。母のドレスは、見た目よりずっと軽い。多分重心を身体に合わせた縫製になっているのだろう。
(うふふ。やっぱり見えるっていいわー。天井絵も素敵。お相手の足も踏む心配もないし)
慣れないドレスに裸眼では、ぼんやりしていて、足元がおぼつかなかった。そのため、迷ったけれど、携帯した眼鏡をかけることにしたのだ。
(初めての宮廷舞踊会ですもの!
しっかり見て記憶しなくちゃ!)
などと、まったくコールの焦りなど念頭にないシャロンだった。
(いた、いた!可愛いー)
ザビーネは、中央で踊るデビュタント達から、赤い金髪のシャロンを見つけた。
(少し胸も膨らんできてるじゃないのー。ドレスが清楚で素敵。髪型も思いっきりお洒落にしたのねー。
それでいて、眼鏡を死守する所がシャロンよねー)
もう、近所のおばさん化しているザビーネである。その上眼鏡っ子Loveが前提なのだから、フィルタ倍増となっている。
ザビーネは、対角に位置する所から、シャロンを見つめている二人の男性を見つけた。
一人は、ふやけたパンのような締りのない表情の紳士(失礼)
多分、あれはマルグリット伯爵。
だって、隣が……
ザビーネは、ニヤリと歪んだ笑みを扇で隠した。
(コールのあの顔!)
多分。
コールは、眼鏡なしのシャロンを見ている。その美貌に、思ったに違いない。
会場の皆がシャロンを賞賛する。あれは何処のご令嬢かと。そこで言うのだ、自分の婚約者だと。
羨望の中心に立つコール……
どうせ、こんな事考えて居たんだろう。
(ふふ!今ひとつお洒落になれないシャロンだもの。そこは外せない注意だったわねえ)
眼鏡っ子Loveの醍醐味をコールは知らないのよ。
(本当の容姿を知るのは、自分だけ。軽んじる輩を思い切り嘲るのよ。あの瞳が見つめるのはお前たちのような俗物じゃない、ってね)
そんな占有欲、真価を知る優越感、
密かな快感……眼鏡っ子Loveの醍醐味が分からないなんて
(コールも子供よね)
ふと気づくと、音楽が止んで、会場は拍手に包まれる。王妃の席、会場の客、そして互いに会釈とカーテシーをするデビュタント達。
ザビーネは顔を扇で隠し、コールに近づいて見守る。
さて、どうする、婚約者。
頬を紅潮させて、シャロンは一直線に父親とコールの所に急いだ。
「お父様、コール」
「シャロン〜〜。上手だったぞ!」
全く、デレデレの父である。
一方コールは、
「……上出来だよ、シャロン、でもね」
すかさず、シャロンが
「次はワルツよ。踊って下さるのでしょう?」
と、うっとりと言った。
「ああ、勿論。だけど、シャロン……眼鏡を」
「あ、これ?……外すと、全く見えませんの。コールの足を何度踏むか分かりませんわ。下手を打つと、転んでしまうかも。私、怖くて」
今夜のシャロンは饒舌だ。
コールが歩み寄っている安心感と、舞踊会の興奮に、気持ちが昂っているのだろう。
コールは、それでも諦めない。
「私がリードするよ。だからね、君の素顔を見せて。本当の君と踊りたいんだ」
その言葉に、シャロンは酷く悲しい顔をした。
「眼鏡をしている私は、お嫌いですか……外せば、貴方のお顔もぼんやりしてしまうのに?」
(ああ!嫌いだよ!)
そんな事、父親の近くでは言えない。
「君が嫌いなわけ、ないだろう?
君の本当の美しさを見せたい、それだけだよ」
(本当の私?……私はいつも、私だわ)
そんな反抗心が、シャロンにふつふつと湧き上がるが、コールの瞳を見た時、はっとした。
(怒っている)
シャロンは図書館の一件がフラッシュバックした。
(怖い)
あの時まで、暴力などに無縁だったシャロンである。
「分かりました」
すっ、と、表情がなくなり、シャロンはセルロイドの眼鏡をはずした。
少し目尻が赤い。涙が溜まっている。
そして化粧が眼鏡の枠で取れてしまってぶちになっている。
それでも、瓶底よりはマシだ、と、コールは思い直した。
「さあ、ワルツだ。シャロン、2曲は踊ってもらうよ?」
ニッコリと甘く笑った婚約者の表情は、裸眼のシャロンには、よく見えなかった。
「ほらシャロン、分かるかい?
君があんまり可愛いから、踊っている男たちがよそ見しているよ」
コールの機嫌は直ったようだ。
(分かるわけないでしょう?見えないのに)
そう。裸眼では、回りの様子など、霧のようだ。踊る時に誰かとぶつからないかと、はらはらする。
シャロンは思う。
容姿とは何なのだろう。
シャロンがお洒落すると、コールは喜ぶ。シャロンが野暮ったいと、同級生は馬鹿にする。
(コールは、眼鏡のない私が好きなんだ。眼鏡の有無で、態度が変わるんだ)
取り敢えずコールは優しく甘く囁いてくる。ダンスのリードも、少し強引だが、自分を支えてくれている。
密着する所を意識してしまって、シャロンは羞恥に次第に赤くなっていく。
「ああ、シャロン。そんなに固くならないで。君は可愛い。君の可愛さは、私のものだよ」
コールの言葉は催眠術のようだ。
反発心が次第に薄らいで、コールがくれる甘さに飲み込まれていくシャロンだった。
2曲終わると、コールは父親にシャロンを渡した。
ウズウズしていた父親は、コールが離れていくのに気が付かない。
「シャロン!やっと踊れるんだな、さ!」
「お父様」
シャロンは、少し火照った身体を冷たい果実水で潤して、
「見えなくて、怖いの。眼鏡をかけても?」
「当たり前だ。俺の足を踏むなよ」
ニヤ、と笑う伯爵の表情に濁りはない。
シャロンは、ほっとして、父親の手を取った。




