エラントの夏
エラントの盛夏は、馬車列の渋滞で始まる。
枢密院議会、領主会議への出席の為、総領・当主が参集する。一族が王都の館や邸に移動するのだ。
エラント自体が海流の関係で冷風が流れ、さらに地熱が上がらないため、王都の盛夏は、さほど居心地が悪い訳では無い。
しかも、転生者の開発により、空調が発達し、平民はともかく、貴族や裕福な商人の館は、奥方達がアフタヌーンドレスを着込んでも、過ごしやすい。
それでも、と、シャロンは思う。
マルグリットの夏の美しさに勝るものは無い、と。
北のマルグリットは、夏の訪れと共に、一斉に花が咲き乱れる。
木々も草原も、それはもう騒がしい程の色彩となるのだ。
雨が上がると、羊や牛のために、一斉に2番草が刈り取られ、丸められ、広大な牧場には、モニュメントのように牧草がそびえ立つ。
香り高い草や花が、山の傾斜に絨毯のように風に揺れ、農婦達が毎日花を摘み取る。香水や精油を取るために。
空は青く、雲は低く、長い昼を精一杯人々は働き、楽しむ。
(帰りたい、な)
領主館の子供達は、大きくなっただろうか。婆やの曾孫は、歩けるだろうか。
母を亡くし、兄弟がいないシャロンにとって、館の人々が家族だった。
「おお!シャロン!
元気だったか!」
マルグリット伯爵が玄関の大扉が開いて、ホールに立つシャロンに飛びついた。
脇に手を入れ抱き上げる。
「お父様、っ、おやめに、恥ずかしい!」
「はは!変わらず軽いな!
ん……?」
伯爵は、ごつごつした手を下ろして
「お前、何だか、色気が出たではないか?」
「は?」
大柄で恰幅のよい伯爵は、からからと笑い、
「抱き心地が良くなった!」
「お父様!」
父娘の微笑ましい再会のやり取りをにこにこと見守っていた執事のロイが、
「お帰りなさいませ」
と、礼をしつつ言葉をかけた。
「おお、ロイ。留守中大儀であった。王都における家令の役を押し付けて、申し訳なかったね」
「滅相もございません。
それより、お嬢様を今一度、ご覧下さいませ」
「……ん?」
マルグリット伯爵は、日に焼けた顔の榛色の目をくりくり動かして、愛娘を眺めた。
「……おや、髪色がエイダとそっくりになったな……ん?腰のクビレが……おっ、やっぱり乳が出てきて臀がおおき…ぐっ!」
愛娘のか細い鉄拳が、きちんと胸骨にヒットした。
「……知りません!馬鹿!」
シャロンは怒りで真っ赤になって、カツカツ靴音を鳴らして居間へ去っていった。
「……」
ロイの目がじとっと湿り気をもつ。
いてて、と胸を摩りつつ、伯爵はくっくっく、と笑う。
「おからかいに耐えられるお歳ではございません」
「……そうだ、な。あれと離れてふた月くらいか?」
「お嬢様は日に日にお美しくなられています」
「……エイダに似てきた」
伯爵は、くしゃりと笑顔を歪めた。
お前が居ない事に、なかなか馴染まないよ、エイダ。
「ロイ」
しばし想いに浸った伯爵が、傍らの執事を呼んだ。
「は」
「あれの状況を知りたい。
書斎に」
「承知しました。お供致します」
「ミリア様、もうご覧になりまして?」
「素敵なお姿でしたわねー。
実際の殿下にお目通りできるのは、何時かしら」
「まだ、婚約なさってないのでしょ」
「あら貴女、何を考えていらっしゃるのぉ?」
おほほ、うふふ、と囀る娘達。
王都に貴族が溢れると、一気に社交が活発になる。
今夜は、ダンブルグ公爵の夜会である。娘のミリアは、お取り巻きや好みの男性に招待状を出し、若主人として、未成年者達の中で、ご満悦である。
「ほほ。あんな乙女通信に振り回されるなんて、貴女達も簡単ねえ」
ミリアは黒の扇で嗤う。
「ですが、秋の学期初めでないと、お会いできないのでございましょう?」
「そうですわ。あ、でも、ミリア様なら、お会いできるのでは?」
「ああ、そうね。ミリア様はなんと言っても、将来の王太子妃ですもの!もう、御家族同然ですわね」
(そうそう。この空気。
私の家名に、贅に、位に、かしずき阿る者達が作る空間。
わたしが居るべきは、ここよ。)
ミリアはもったいぶって、
「……兄上とは、趣きが違うわ」
含み笑いと共に発した言葉に、周りは色めき立った。
「ミリア様っ!お会いしましたのね!」
「しーっ、声が大きいわ……ええ、王宮で、ご紹介頂きましてよ」
ミリアの周りの少女達は、ミリアに近づいて、羨望はより濃密になる。
「……で?」「お教え下さいませ!」
「うふふ。そうねえ、エルンスト様と背は同じ位かしら。快活でよくお話されるわ」
「まあ!」
「声が甘いわ……それから、瞳のお色が深いルビーで……微笑みがとても素敵なの」
きゃあぁ、と黄色い囀りが響いて、大広間の殿方達が、ちらりと少女達を見る。
「流石はミリア様ですわ!」
「ああ、ヴィルム殿下がミリア様に恋慕されたらどうしましょう!」
「……王家の三角関係」
「駄目ですわ、貴女!
ミリア様は貞淑な淑女の鏡よ」
「だって、ミリア様をお慕いする男子生徒の数、貴女ご存知?」
ミリアはご満悦である。
ヴィルムの蕩ける表情は、自分に向けられてはいなかったけれども……。
(シャロン)
心がちくりとする。
いつか、見てなさい……!
「おやめになって。私は行く行くヴィルム殿下の義理の姉になるのですよ」
「でしたら、私達にも殿下とお近づきになる機会があるかしら」
「貴女残念ね、もう婚約されてるでしょ?」
わいわいと楽しむ取り巻きの声が遠くなる。
(シャロンに私と同じ恥をかかせてやるわ
あんな瓶底に、女の自信なんてあげない。何もかも、取り上げてやる!)
「ミリア嬢」
男の声に、ミリアは振り返る。
「……コール」
この男は、夜の灯の中でも、美しい。
切れ長の瞳は、いつもミリアを真っ直ぐ見つめてくる。
「ご機嫌よう。今宵も素敵だね」
甘い言葉を振りまく男
そして
不本意なシャロンの婚約者……
「コール、今、お時間ある?……テラスで少し話しませんこと?」
コールが嫌がるはずがない。
すっと手を出し、ミリアをエスコートする。
その二人の後ろ姿に、少女達は、違う囀りを始めた。
父ちゃん、娘にセクハラ
洗濯物分けられるぞ笑




