おとつー攻める!
「ぐっ」
上品に鹿肉を口に入れたまま、キャロラインが硬直する。
「け、けっと、う、ぐぐっ」
「だって、腹が立ったんですもの」
しれっと美人の変人は、サラダをしゃくしゃく片付ける。
「うふっ。負ける喧嘩をザビーネがする訳ないじゃない。
大方親衛隊のアッカーマン様とか、ベッカー様とか、ザビーネのお友達あたりが、代わりにコテンパンにのしちゃうし」
この話を切り出したビアンカが、まあまあとキャロラインをなだめる。
「そんな大事件起こしてもらっちゃ困るわよ。ただですらおとつーは目立ってるのに」
シャロンは不思議な気持ちでこのやりとりの中にいた。
昨日の今頃は、孤独を噛み締めていたのに。
婚約の行く末を案じて、暗い気持ちを持て余していたのに。
人は愛されていると感じると、こんなにも穏やかな気持ちになれるのか。
「で、如何でしょう。この草稿で大丈夫?」
その言葉が自分に向いている事にはっとして、シャロンはモードを切り替える。
「はい。良いと思います。
第一に、情報は両家からではなくコール様の従兄弟様からである事。
第二に、通信の記載による誹謗中傷があった事。
第二に関しては、今後、特集や追跡取材を通して、掲載していく旨。
コール様も、納得かと」
理路整然の平常モードに、キャロラインはにこりと笑い、草稿を受け取った。
「良かったわ。で、次の企画がね」
キャロラインが先を続けようとした時、賑やかな声と集団がランチルームに入ってきた。
「ローラン様、お隣いいでしょう?」
「あら、コール様はいつも順番にお座り下さるのよ?」
「私は向かい側でよろしくてよ、素敵な笑顔を独り占めしますわ、」
「まあ!」
キャイキャイとさえずる中等部の女子生徒達と、その中央で少し垂れ目で嬉しげなコールが目に入る。
「げ。色男とお取り巻き」
「ザビーネ、下品よ」
聞こえる由もないが、見回してコール・ローランは柔らかな笑顔をシャロン達に向けて、そのまま、凍りついた。
そして、女子生徒たちに何やら告げて、スタスタと近づいてくる。
歩を進めるにつれ、ザビーネの表情が朝の戦闘モードに変貌する。
「やあ、婚約者殿。
怪しげな者たちとご一緒とはね」
「ご機嫌様、コール様」
シャロンは立ち上がって、礼をとる。
「皆さま、乙女通信の方々ですわ」
そして、にっこりと微笑むシャロンに、ローランは、僅かに目を見開く。
「シャロン。今日の君は少し、
……垢抜けてるね」
「お褒め頂き光栄です。キャロライン様のところで支度させていただいたのです」
ローランを真っ直ぐ見る事ができる。そんな事にも、シャロンは嬉しく感じる。
なんたって美男子なのだ。
柔らかな金髪
形の良い額にかかる癖っ毛
彫像のような鼻梁と唇……
性格はともかく、見た目は本当にシャロンのど真ん中では、ある。
「うん。いいと思うよ。やっぱり女の子は身綺麗にすべきだ。
……でも、友達は選んで欲しいね。
良からぬ通信で悪口を広めるような者には近づかないで欲しい」
コールは、他所行きで穏やかな物の言いながらも、ストレートにキャロライン達に嫌味を入れる。
「あらっ、すっぱぬきはしたけど、貴方の事はいつも褒めてるつもりよ?」
ザビーネがすかさず返す。
「ザビーネ。今日も綺麗だね。
午前は履修が違うから会わなかったけど、午後は一緒かい?」
「残念ながらね。大丈夫よ、グループが違うから」
それは残念、と、わざとらしく肩をすくめる。
「ローラン様」
キャロラインがバトンタッチ。
「今シャロン嬢に、謝罪記事の草稿を読んで頂いたの。勝手に載せた事への了解は取れました。貴方もお読みになる?」
「謝罪?僕に恥をかかせた事に?」
(恥。)
シャロンはつきんと胸が痛む。
「事実しか書かせて頂かなかったわ。あの記事のどこに中傷がありましたか?」
キャロラインが刺々しい声で挑む。
が、
「あらっ、恥よねえー」
ザビーネがさらった。
「自分から自慢したかったわよね!なんたって、お相手がシャロンちゃんだもの!
どうせ子爵家の次男じゃあ、ちっぽけな分領か資産分けしか頂けないでしょうし、見目の良さで近衛兵あたりを狙っても、所詮は宮仕え。お給金もたかが知れてるわ。
それが、今や名門伯爵家の婿養子!
よっぽど自分で自慢したかったわよね、おめでとうー!」
パチパチパチと拍手を贈るザビーネに、面白がってビアンカも拍手する。
「くっ」
文字通り、ぐうの音も出ないローランに援護射撃が飛ぶ。
「何を仰ってるの!そこのお嬢様じゃ、ローラン様には不釣り合いだわ」
「そうよ。私たちのコール様の傍らには、やはり美しい令嬢でなくては」
「ローラン様じゃ、高嶺の花というものよ、貴女ならともかく、そのちびっ子じゃあー」
ピーチクパーチク隊の定番の応酬である。
「なんと単純な」
「「はあ?」」
キャロラインが受けて立つ。
「成長期の美醜なんてアテにはならないわ。バランスを崩して、ピークが思春期という人もいるのよ?
無論、誕生日を過ぎて17歳におなりのローラン様なら、ご成人の姿は今とお変わりなく美丈夫でしょうね。
あ、ザビーネ、貴女も同年だっけ。美人よ」
「取ってつけなくてもいいわよ。
そうね、この私とて、2、3年の頃はバランスが悪かったわ。あ、貴女方よりは、モテたわよ?」
そう言って、ピーチク隊にしっしっと無礼をする。キーキー唸る女生徒を無視して、
「それに」
と、美女は続ける。
「容貌なんて皮一枚じゃない。そんなものの価値しか考えられない貴女達って、下品だし浅ましいわ。
そんなきゃあきゃあと好きな男に纏わりつかずに、、女の価値を磨いたら如何?」
ふふ、と笑って、ちらりとローランを見遣るザビーネに、シャロンは思う。
この人は、この人達は自立している。
階級や美醜などに囚われず、己が考えを貫くのだ。基準を他人に求めない。
強い。
(でも、ここに至るまでに、どれほどの辛苦があっただろう)
シャロンとて、純粋理論に没頭する事で、周りの物差しを見ないようにしてきた。けれど、それでは逃げでしかない事を昨日、キャロラインの言葉で思い知った。
彼女達は逃げない。
そして、したたかだ。
「でも!」
その声に思考が途切れる。
「内面は外ににじみ出るのでは?
美しい心や優しい心は、自ずとその方を美しくしますわ。人が美しい方に心寄せるのは、その方の振る舞いやお言葉に、心根を感じるからではないでしょうか」
そう言ったのは、キャロラインと同じクラスの女生徒だ。
「失礼ですが、そちらの伯爵令嬢は、身嗜みを構わず、人とも合わせず、およそ淑女らしからぬ方と聞き及んでおります。そのような方に心寄せようとしても、いかにお優しいローラン様でも、お辛いのではと察します」
「おー、これも正論」
シャロンが耳の痛い言葉に頬を染めているのを承知でザビーネは拍手しながら受けて立つ。
「もともとの素材はいいのよ、シャロンちゃん。それを素直に伸ばせば良かったんだけど、深瀬を足掻いて自分が助かりたいからと、人を押さえ込む学校という器の中で、この子の人の良さとか聡明さとかが表に出てこなかったのよねー。
でも!今日からは違うわよ?」
(かいかぶりです、ザビーネ……)
大きく広げた風呂敷をどうやってたたむのか、と、はらはらし出したその時、
「シャロンちゃん」
「はい?」
キャロラインに振り向いた瞬間に、眼鏡をぱっと取られた。
「……え?」
パチパチと見えない目を瞬きして、状況を掴めずにキョトンとすると
「あ」
「ま」
と、近くから間抜けな声がした。
今私の目は、バッテンになっているのではなかろうか……
「ねっ。素地はいいのよ。そしてこれからの成長が楽しみですわ。
私たち乙女通信は、心より中等部イチの美丈夫と、眼鏡に隠れた美少女とが、愛を育む様子を見守って参ります」
「ハードル上がったでしょ、コール。
シャロンちゃんが見目好い貴婦人となるよう努めるかどうかは、あんたの手腕にかかってるのよ?
せいぜい、シャロンちゃんの魅力を引き出して育てて頂戴」
唖然とするローランとピーチク隊。
遠くの席から
(可愛い……)
と聞こえたのは、空耳だろうか。昨夜ザビーネにいっぱい言われて耳についてしまったのかも。
「もっとも」
それまで、黙って成り行きを見ていた(楽しんでいた?)ビアンカさんが発言。
「私達が、シャロンさんのお友達である以上、本日のような彼女への誹謗中傷は、私達おとつーへの挑戦と受け取りますわ。ビアンカ・アズーロも、アズーロ情報網も、敵に回すとお考えなさってね」
ざわざわと小声の言葉が波立つ中、
「さー!ごはん食べちゃわないと!」
と、あっさり切り替えしたザビーネさんのおかげで、この修羅場はお開きとなった。
「キャロラインさん、メガネ、見えない」
「ごめんごめん」
ようやくピントが合った視界に、コールの目線がバチッと合う。
「……連絡する」
いつもの言葉を残して踵を返すコールの目は、昨日より柔らかかった気がする。
雨もコロナも心配です。
後味よく書けてるでしょうか?




