霧雨の天使たち 7
数日後、あさみは華道部に行くべく、被服室に向かっていた。するとまた隣の調理室から被服室の前で美味しい匂いが漂ってくる。小腹が空いていたあさみは、なにげなくそっちの方を見た。すると扉が開き、料理部の子達が数人、料理を手にして廊下に出てきた。わいわいと話をするその集団の中に、あさみは世界で一番出会いたくない人物を発見してしまう。
「げ!」
思わず出たあさみの声を、その人物は聞き逃さなかった。
「……あんた、一ノ瀬あさみ!」
向こうの人物――井谷那子も臨戦体勢に入る。
「華道部に入ってるの? お嬢様の体裁だけ取り繕っても、本性丸出しだから全然意味無いし、似合ってないわよ」
「そういうあんたこそ、料理ばっかり食べてたらブクブク太って角間くんに嫌われるわよ」
応戦したつもりのあさみだったが、那子はフンと鼻を鳴らして笑った。
「残念ながら、この料理は今から時間外授業を受けてる遷のところに持っていくの。あんたは料理なんか作れないだろうから真似できないでしょ?」
「なんですってー!」
怒ったものの、図星だったのでそれ以上何も言えなかった。さっさと通りすぎて行く那子をジロリと見て、あさみは廊下に立ち尽くす。残念ながら美和の攻撃はあまり効いていないようだった。怒りが収まらず、ぶるぶると震えながらその場に立ち尽くすあさみ。しばらくすると、そんな彼女の肩にポンと手を乗せる人物が居た。
「一ノ瀬さん? 一体どうしたの?」
クラブにやってきたりりすだった。あさみは驚いて飛び上がる。
「あっ、亜麻先輩! いえ、……男の子の事でちょっと……」
本来は言いにくい事だったが、憧れの先輩であったので一部始終をりりすに話した。真剣な表情で話を聞いてくれるりりすを見て、あさみは話して良かったと思った。
「そう、そんな事があったのね。それは大変だったわね……」
まるでりりすの方が泣きそうな表情になってくる。そんな彼女の顔を見て、慌ててあさみは手を振った。
「いえ、私は図太いから大抵の事は大丈夫なんですけどね! でも、あの子はそんじゃそこらじゃ太刀打ちできないから」
「私じゃ力になれないかも知れないけど、出来る事ならするから、いつでも相談してね」
りりすは泣き笑いの表情を浮かべた。あさみはそんなりりすの言葉を聞けただけでも満足な気分になる。
「ありがとうございます……あ、あの。私の事は『あさみ』でいいですから。一ノ瀬って呼ばれると何だかむず痒くて」
「じゃあ、あさみちゃんって呼ぶわね。私もりりすでいいわよ」
あさみの顔が輝く。
「はい! りりす先輩!」
綺麗で親身になってくれる先輩を持って、あさみはクラブに入って良かったと思った。
「じゃあ、今日からあさみちゃんの分のお花も用意してあるから、一緒に生けましょうね」
りりすは微笑んであさみの手をとり、被服室へと入ってゆく。さっきの喧嘩の不快感はどこへやら、あさみはルンルン気分でクラブ活動に勤しんだ。
本日のクラブ活動が終わった。先週もりりすに習ってクラブをしていたのだが、今週はあさみが那子について相談したからか、もっと親密な感じにクラブを進める事が出来た。帰り支度をしていたあさみは、一人でいるりりすを発見した。切花用のハサミを手にしてボーっとしている。思い切ってあさみは一緒に帰ろうと声をかけることにした。
「あの、りりす先輩」
だが、りりすはまだボンヤリとしていて、あさみに気づかない。手にしたハサミをじっと見つづけ、ぼんやりというよりはむしろ深刻な顔つきになっている。
りりすの横顔は整って美しかったが、あさみは誰かに似ているような気がした。それが誰だかは思い出せなかったが。
「あのー、りりす先輩?」
「え? あ、あさみちゃん。どうしたの?」
「先輩こそどうしたんですか? ハサミをじっと見て……」
あさみに言われてりりすはハッと手元を見て驚く。
「あら、嫌ね私。ボーっとしちゃってたみたい」
フフッと笑って自分の頭を小突いてみせた。そんな仕草も彼女がすると、とんでもなく可愛らしく見える。あさみは妙に感心してしまった。
「よかったら途中まで一緒に帰りませんか?」
「えぇ、よろこんで」
りりすは微笑んで了承した。好みの男子生徒と一緒に帰るわけでもないのに、あさみは嬉しくてドキドキしてしまった。