霧雨の天使たち 6
次の休み時間、三人はD組に行った。あさみが教室内を覗くと、窓際に遷の姿が、そして扉近くに先ほどの少女の姿が見える。
「あっ、あの子だ! 今、女の子同士で喋ってぴょんぴょん跳ねてるショートカットの子!」
あさみが指差す。その指差す方向を見て、美和と美咲は少し意外な顔をした。
「うそっ、案外かわいいじゃん」
「でも、キツそうな目をしてるわね……」
三人が喋っている様子に、少女はいち早く気づいた。目をキッと吊り上げて廊下にやってくる。
「今度は援軍を連れてきたの? マドンナ呼ばわりされてる割には卑怯な手を使うのね!」
前の休み時間にあさみが味わった不快感を今、美和と美咲も味わう事になった。
「援軍って……別に戦いに来てる訳じゃないわ。そっちが勝手に喧嘩売ってきてるだけじゃない」
あさみは額にぴくぴくと青筋を立てて、なるべく冷静に言う。
「そうだよ、何でそんなにあさみちゃんに絡むわけ?」
眉間にしわを寄せた美咲もいい返す。
そんな様子に、教室に居た遷が気づいたようだ。慌てて廊下にやってくる。
「うわ、一ノ瀬さん! もしかして傘返しにきてくれたの? わざわざごめん。揉めないか心配だったから、傘返さなくてもいいって言ったんだけど、やっぱりこうなっちゃったな……本当にごめん」
遷は両手を合わせ、あさみに平謝りする。だが、少女はそんな遷の腕をぎゅっと掴んで目を潤ませた。
「遷! ひどいのよ! この三人、よってたかって私の事をいじめるんだから!」
少女の言葉に三人娘は唖然とする。自分から絡んでおいて、遷に泣きつく事に神経を疑う。だが、遷は鵜呑みにはしなかった。
「傘を返しにきただけで面識の無いお前に喧嘩を売る訳ないだろ。ごめん、ちょっと移動しようか一ノ瀬さん」
そう言って遷は少女を振り切ってあさみ、美和、美咲を伴い廊下の端まで移動した。
一息つき、あさみは手にしていた折りたたみ傘を遷に返す。
「これ、ありがとう。でも、さっきのあの女の子って一体何なの?」
あさみの言葉に遷は苦笑いした。
「あれは、幼馴染の井谷那子って言うんだ。幼稚園からのくされ縁でね、今までずっと同じ学校だったんだけど、どうでもいい事にまで絡んできて困ってるんだ」
「付き合ってる訳じゃないの?」
「付き合ってないよ。幼馴染ではあるけど、本当にただそれだけだよ」
あさみはひとまずホッとする。美和と美咲も同じように胸をなでおろした。
だが、そんな和んだ空気が一瞬にしてかき消される。
「遷ー! さっきの授業のノート貸してよー!」
めげずに那子が遷の後を追ってやってきた。三人娘はうんざりした顔で那子を見る。
「今じゃなくてもいいだろ? 俺は今、この人達と話してるんだよ」
「今じゃないと駄目なの! あ、それと代数幾何の鎌田先生が遷の事呼んでたわよ」
「本当に?」
「本当よ!」
しばらく遷は考えたが、あきらめるようにして頭をかいた。
「じゃあ、中途半端だけどこれで。傘、返しにきてくれてありがとう」
そう言って遷はD組へ戻っていってしまった。残された四人は、嫌な空気に包まれる。そんな中、那子はあさみの事をジロジロと見ながら言った。
「あんた、A組の一ノ瀬あさみでしょ」
「何であんたが知ってるのよ」
あさみも負けずに睨み返す。
「うちのクラスの男子が騒いでますからね。名前くらいは知ってますよッ。でも天狗になってるみたいね、チヤホヤされちゃってるとカン違いしちゃって」
普段は温厚なはずの美咲までもが那子を睨む。
「モテないからひがんでるんじゃないのー?」
「私には遷が居ればそれでいいの」
美咲の嫌味にも負けず、那子が返す。
「でもね、遷は違うんだから。遷はあんたみたいな傲慢な女は大嫌いなんだから!」
今までずっと黙っていた美和の重たい唇が、動き始める。
「へぇ……」
低い美和の声に、あさみと美咲の動きが止まった。
「角間君はあさみの事が嫌いって、そう言ったの?」
「えっ? もちろん、そうよ!」
美和は意地悪な余裕の微笑みを浮かべる。
「そう。角間君って嫌いなタイプの女の子に傘をわざわざ貸す人なのね」
美和の気迫に、さすがの那子も少々たじろぎ始めた。
「それは……遷は親切だから!」
「あぁ、それであなたにも優しいのね。はっきり嫌だとか迷惑とか言えないものね」
「遷はべつに私の事は嫌いじゃないのよ! 幼稚園からずっと一緒だったし!」
「公立だと学校は選べないものね。どうせ高校だってあなたが追いかけるようにしてここを受験したんじゃないのかしら?」
那子が唇をかみ締めて黙った。だが、美和はそれでも容赦しなかった。
「あなたが、角間君を追えば追うほど逃げてるのに気づかないの? もう少し人の気持ちを考えたらどう? 今、あなたがこうやって私に言われてるのもあなたが先に絡んできたからなのよ? わかる?」
那子は、じりじりと後退した。そしてくるりと背を向ける。
「あんたたち! 多人数で卑怯者よ!」
そう言って、那子はD組に戻っていった。やっと三人はふーっと息をついて、落ちついた。
「美和……あんたの嫌味は世界一よ。ありがとう」
あさみは冷や汗を拭いながら美和を見た。
「それ、誉めてるの?」
微妙な顔をする美和。そんな様子に美咲はフフッと笑った。
「確かに口喧嘩で美和ちゃんを応援に連れてきたら卑怯かも知れないね」
「美咲まで! もう、私、そんなんじゃないわよ!」
おどけて三人は笑いあった。だが、遷と接触を持とうとする限り、これで不快な出来事が去る訳でもない。
「遷くんと話そうとすると、もれなくアイツがついてくるのよね。……そこまでして、話すかどうかちょっと迷ってきちゃったわ」
あさみは肩をすくめた。
「まぁ、今日の事で少しは那子も懲りてるかも知れないし、しばらく冷却期間を置いてみたら?」
美和の提案にあさみは賛成した。遷はあさみのタイプではあったが、あまりにもリスクが高い。
「誰にでも優しいって言ってたから、別に私じゃなくても傘を貸してたんだろうしね。しばらく遷くんとオマケには近づかない事にしようかな」
言いながら、あさみは少し寂しい気分になっていた。本当はもっと色々お喋りをしたかった。だが、首をぶんぶんと振って雑念を払いのける。
「さて、今日は那子退治に付き合ってくれたお礼にお茶でもおごるわよ」
「やったー! コーチャ館のオレンジペコ飲みたいな!」
「じゃあ私はダージリンをご馳走になろうかしらね」
三人は和気藹々と、A組に戻っていった。