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霧雨の天使たち 41

 M病院の駐車場にシゲルのバンが止められた。あさみとシゲルは肩を並べて歩き、病院内に入っていく。エレベーターに入り、シゲルが八階のボタンを押した。それまで聞こえていた病院内の喧騒が嘘のように静かになる。

 二人を乗せたエレベーターがゆっくり上ってゆく。あさみはチラリとシゲルを見上げたが、シゲルは上にある階数表示ランプをぼんやり見ていた。

「りりす先輩の事、考えてるの?」

 あさみが唇を軽く噛んだ。

「え?」

 シゲルは、やっと我に返る。

「いや、違う。他の事考えてた」

 そう言って、ぽん、とあさみの頭に手を乗せた。

「わがまま姫さんのお守りをするのも、もう今日で解放されるんだな、って」

「何よそれ、むかつく!」

 ハハ、と笑うきわ、シゲルの瞳があさみの顔を捉えた。真っ直ぐ見つめるシゲルはすでに笑っていない。

 瞳の深いところまで覗き込まれているような気がしたあさみは、身動きが取れなくなった。シゲルの口が軽く動き、何かを言いかけた瞬間、エレベーターの扉が開いた。

「ほれ、行くぞヨレヨレ」

 何事も無かったかのように、シゲルはさっさと歩き出した。あさみも慌ててそれに続く。

 りりすの居る八五三号室の扉を、シゲルが叩いた。先日よりも元気そうな声で返事がある。二人は中に入っていった。

「シゲルとあさみちゃんね。来てくれてありがとう」

 ベットに横たわっていたりりすがゆっくり起き上がって微笑んだ。心なしか、いつもより表情がキリッとして見える。だが、瞳が充血して腫れていた。

「そろそろ誰かが来る頃だと思っていたわ」

「りりす?」

 りりすの様子がおかしい事にシゲルが気付く。りりすの近くまで行って顔を覗き込んだ。

「お前、目が腫れてるじゃないか」

 りりすは、シゲルの問いには答えずに彼の手を取って、瞳を閉じる。

「照子が捕まった事を教えに来てくれたのね」

「!」

 気丈そうに振舞っているりりすだが、手を通してシゲルに震えが伝わってきた。

「さっき、O府警の方がいらっしゃったの。照子が自首したっておっしゃっていたわ」

「……あぁ」

 苦い顔をしてシゲルが言う。りりすの手をぎゅっと握り返した。

「照子が、府警の方を通して、私にごめんって謝ってきたの。ふふ、謝る事なんか無いのにね」

 りりすは笑おうとしたが、失敗した。長い睫毛の間から、涙がひとすじ流れる。

「照子は、自分でちゃんとけじめをつけた子。そして、とても優しい子。帰ってきたら、思いきり抱きしめて、頑張ったね、って誉めてあげるの……」

「あぁ、そうだな……」

 泣き崩れるりりすを、そっとシゲルが支えた。あさみは、思わずもらい泣きしてしまいそうになるのをグッと堪えた。しばらくりりすは泣き続けていたが、ふと、顔を上げて涙を拭った。

「私も、けじめをつけようと思うの」

 泣きはらして赤い目だったが、その瞳は覚悟を決めているようだった。

「あ……」

 りりすの表情を見て、あさみは本能的にりりすがしようとしている事を悟る。そっと、ドアノブに手をかけた。

「あの、私、ちょっと外に出てますね」

 そう言って、扉を開く。

「おい、あさみ?」

 あさみを呼び止めようとしたシゲルの腕をグッとりりすがつかんだ。

「待ってシゲル、話を聞いて欲しいの」

 あさみは二人に無理して微笑んでみせた。そっとドアを閉め、廊下の壁に背もたれをして立つ。さっきとは違う理由で泣きたくなってきたが、手の平に爪が食い込むほど硬く手を握り締めて耐えた。

「一体何だ? 何か困った事でもあるのか?」

 シゲルが、再びりりすに向き合った。りりすは、ためらいがちにシゲルから視線を外す。

「今まで、ずっと言えなかったんだけど……」

 りりすの心臓の鼓動がシゲルに伝わるのではないかと思うほど、早くなっている。

「私、シゲルの事が好きだったの。何年も前から」

 シゲルの目が大きく見開かれた。

「それは、どういう……」

「一人の女として、私はシゲルの事が好き」

 緊張で声が震えていたが、りりすはハッキリと言う。

 しばらく、病室内が静寂に包まれた。シゲルもりりすも黙ってうつむいている。お互いが頭の中で数え切れない程の色々な思いを交差させているのか、一点をじっと見たまま、指一本動かさないでいる。

 やがて、シゲルがそっとりりすの手を離した。

「気持ちは嬉しいけど、ごめん。俺はお前の事は妹以上には見れない。俺は、こことは違う場所で恋愛がしたい」

 シゲルはうつむいたまま、ぽつりと呟いた。再び、室内が沈黙に支配される。シゲルが、気まずくて居心地が悪く感じられた頃、りりすが顔を上げた。

「ごめんなさい。変な事を言ってしまって」

 りりすは穏やかに微笑んでいた。

「今言ったことはもう忘れてちょうだい。これからはただの仲良しの親戚よね。シゲル兄さん」

「……すまん」

 決して涙を見せないりりすを見て、シゲルは頭を下げた。

「お願いだから頭を下げないで、私、大丈夫だから。ね」

 りりすがシゲルの頭を上げる。

「ほら、あさみちゃんを送ってあげて。廊下で立たせっぱなしじゃ可哀想よ」

 りりすはシゲルの背中を押した。一度、シゲルは振り返ったが、悲しそうにりりすに微笑むと、黙って病室を出て行った。

 シゲルが出て行くのを確認すると、りりすの瞳から、一気に涙が溢れ出す。唇を噛み、声をころしてりりすは泣いた。今日だけ、今日だけは思いきり泣いて、明日からは立ち直ってみせるんだ、と心に思いながら。

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