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霧雨の天使たち 38

 車を三十分ほど走らせると、港が見えてきた。恋人達のデートスポットで有名な場所だったが、車は路地裏に入り、入り組んだ細い路をしばらく走り続ける。やがて、ぶこつな倉庫が立ち並ぶ場所に出た。

「黒塗りの車がいくつか止まってるな……あそこか」

 倉庫の影に、シゲルは車を止める。一同はすぐに降りずに様子を覗ってみた。

 M第四倉庫と書かれている倉庫から、何人か不審人物が出入りしていたが、しばらくして、向かいの倉庫から、ぐったりした女性を連れた男達が出てきた。

「照子さん……!」

 思わずあさみが声を漏らした。

 照子と思われる人物は、サングラスをかけた不審人物二人に引きずられやっとの思いで歩いている。意識はあるが、どうやら怪我をしているようだ。先ほどから動きのある第四倉庫の中に引きずられていった。

「よし、あの倉庫に行こう。あさみ、ワニを貸してくれ」

 あさみは、鞄の中でしばらくゴソゴソしてから、ワニをシゲルに渡した。シゲルは持っていた大きなリュックにワニを入れ、それを背負った。

「じゃあ、俺は行ってくるから、お前らは警察がくるまでここで待ってろ」

「私も行く」

 ドアを開けかけるあさみをシゲルが制した。

「駄目だ。ここに居ろ」

 シゲルがあさみをじっと睨む。真剣な眼差しに、あさみは抵抗することができなかった。あさみが返事をする間もなく、シゲルは車から出て倉庫に近づいていく。

 シゲルがM第四倉庫に近づくと、中から照子の弱々しい声が聞こえてきた。

「ねぇ……大丈夫? 助けに来たあたしまでこんなザマだよ」

「照子、どうしてこんな危険な所に来たんだ……」

 照子の彼氏と思われる人物も、何か非道い仕打ちを受けたのか、痛みを堪えるような声を出している。

「麻薬を持ってこいと言ったのに手ぶらで来るからだ、このカスが」

 下卑た声がしたと同時に、ボスッと鈍い音がした。ウッ、と照子のうめき声が聞こえてくる。辛抱ならなくなったシゲルは、倉庫に飛び出した。

「おい、麻薬ならここにあるぜ」

 突然の声に、倉庫の中に居た全員が入り口に立っているシゲルを見た。おおよそ、十人程度のチンピラが倉庫の中に居るようだ。

「シゲル……あんた、なんでここに!」

 顔の右半分を赤く腫らした照子が声をあげた。

「あんたがたの欲しいものはこれだろう?」

 シゲルはリュックから慎重にワニを出して顔の横まで持ち上げる。

「それは、俺が麻薬を隠したぬいぐるみ……!」

 照子の彼氏がシゲルの持っているワニを見て驚いた。その言葉を聞き、倉庫の中に居たボスらしき黒スーツの男がシゲルに近寄ってきた。

「これはこれは、お客様がいらしたようだ」

 黒スーツの男はシゲルの手からワニを取ろうとしたが、シゲルはスッとワニを持つ手を避けた。

「待て、まずはそこの二人を解放してくれ。そしたらこのワニを渡そう」

「何だと!」

「ふざけんじゃねぇぞ!」

 周りに居たチンピラが怒声を上げる。シゲルの額から冷たい汗が流れてきた。しかし、黒スーツの男がチンピラ達をひと睨みする。チンピラ達は一気におとなしくなった。

「そうでしょうね。でなければ、わざわざこんな所にそんな物騒な物を持ってこないでしょうね」

 丁寧語を使っているが、体から滲み出るどす黒い気配は消せていない。こいつはそこらへんのチンピラとは訳が違う、とシゲルは思った。

「では、この二人とそれを交換しましょう」

「……本当にだな?」

「えぇ、私は法は破っても嘘はつきません」

 シゲルはごくりと唾を飲みこむと、そっと黒スーツの男の手のひらにワニを乗せた。その瞬間、黒スーツの男はにやりと笑った。

「では、返してあげましょう。この二人の死体を!」

 黒スーツが手を挙げると、周りに居たチンピラが一斉に照子の方へ襲いかかる。

「くそ! 照子」

 シゲルは黒スーツを突き飛ばし、照子のもとへ走っていった。騒ぎが始まると同時に、言いつけを破って外に出ていた四人も倉庫に入っていった。遷を先頭にして、美咲、あさみ、美和と続く。

「ダメだ! あんたたち来ちゃいけない!」

 入ってきた五人に気付いた照子が声の限り叫ぶ。

 だが、シゲルは構わずに照子に襲いかかる数人の男達に向かってリュックを振りまわした。リュックがまともに腹に当たった男二人は、にぶい音をたてて倒れこむ。失神しているようだ。

「壊れたカメラを入れてあるんだよね。軽く二十キロ以上はあるぞ……って、まさか死んでないだろうな?」

 倒れた男をひょいひょいとまたいで、シゲルは照子の元にかけつけた。

「大丈夫か? 照子」

「ありがとうシゲル。……あ、こいつはあたしの従兄のシゲルだ」

 照子は隣に居た彼氏にシゲルを紹介する。男はシゲルを見た。

「俺は、足をやられて動けない。照子を連れて逃げてくれ」

「……わかった」

 本当は二人とも助けたかったが、この状態では二人どころか自分の身すら守れない状況かもしれないとシゲルは思った。ふと、周りをみると、すでにもう三人がこちらに襲いかかってこようとしていた。

「くそ……警察はまだなのか……」

 シゲルは歯をぐっと食いしばって構える。襲いかかる三人のうちの一人が、横からタックルを食らって倒れこんだ。遷が飛びついたのだ。

「この……!」

 遷は力の限り、男を押さえ込む。横に居た美和が、落ちていたロープでその男の腕を必死で縛っていた。

「よし、一人減った!」

 パン、と自分の頬を叩いてシゲルは向かってくる二人に構えをとった。二人は同時にシゲル目掛けて一直線に刃物を振り下ろす。寸手のところでシゲルはかわした。

「おい、刃物使うなんて卑怯だぞ!」

 逃げ腰になりながら、シゲルは場所を移動した。

 そんなゴタゴタを、黒スーツは遠目で見ている。しばらく、シゲル達とチンピラがもみ合っているのを眺めていたが、遠くの方から聞こえるサイレンの音に気がついた。

「やはり……警察に通報済みだったんですね。まあいいでしょう。目的の物は手に入れたし、ここは退きますか」

 呟いて、黒スーツはシゲルを狙ってピストルを構えた。ただならぬ殺気にシゲルが気づき、黒スーツの方を見て蒼白になったが、すでに引き金に手をかけている。美和達もその様子に気付いて動きが止まったその瞬間、背後の影からあさみが出てきた。

「目的のものって……これかしら」

 冷や汗をかきながら、あさみは黒スーツに向かって精一杯の不敵な微笑みを投げた。手には――麻薬。

「お前! なんでそれを!」

 黒スーツが初めて焦りの表情を見せる。

「何かあるとヤバイと思って、ワニさんから抜いておいちゃったのよね」

 黒スーツは、わなわなと震えながら、あさみをサングラス越しに睨む。眼力だけでも怖くてすくみ上がりそうだったが、あさみは気力を振り絞って睨みかえした。パトカーのサイレンの音が近くで止まり、バタバタと何人もの足音が聞こえてきた。

「警察だ! そこを動くな!」

 倉庫の扉がバン、と大きく開かれた。皆が安堵したその瞬間を狙って、黒スーツの男がピストルの銃口をあさみに向けた。

「小娘が!」

「あさみーー!」

 シゲルの叫び声が聞こえる。美和は蒼白な顔でその場に立ち尽くし、遷は間に合わないと分かっていても、全力であさみに向かって走り出した。

 すべての光景が、あさみにはスローモーションのように見える。

「死ね!」

 黒スーツの男がピストルの標準をあわせた時――。

「やぁーっ!」

 可愛らしい声が倉庫内に響いた。同時に黒スーツの男が吹っ飛ぶ。

 貨物の上から、黒スーツの男に向かって美咲が跳び蹴りを放ったのだ。可愛らしい容姿で逃げ惑う振りをしてノーマークだった美咲は、あさみが麻薬を出した時からすでにチャンスを窺っていた。

 美咲の華奢そうな体からは考えられないような威力で男は吹っ飛ばされ、入り口に居た警官達の前まで転げ落ちる。一瞬、何が起こったのか分からなかったようだが、警官たちは慌てて黒スーツの男を拘束し、残るチンピラ達も次々に捕らえていった。

「あさみちゃん、大丈夫?」

 美咲が散らばる貨物をひょいひょいと飛び越しながらあさみのもとへ駆け寄った。だが、あさみは返事せずに、その場にヘナヘナと座りこんでしまう。

「み、美咲……」

 カラカラの声を出しで、美咲の手を掴んだ。

「あり…がと……怖か……った」

 そう言うと、あさみは瞳からぽろぽろと大粒の涙を流す。そんなあさみを、美咲はぎゅっと抱きしめた。

「もう怖くないからね、大丈夫だからね、あさみちゃん」

 抱きしめながら、美咲はあさみの頭を何度も撫でた。

 遠まきにその様子を呆然と見ていた美和と遷とシゲル達は、安堵のため息をつく。

「一時期はどうなるかと思ったわ……」

 美和はまだ足の震えが止まらないようだ。ガクガクと膝を鳴らしている。

 遷とシゲルは同時にあさみに向かって走り出した。

「あさみさん、大丈夫?」

「あさみ、大丈夫か?」

 言葉まで同時に出てくる。二人は顔を見合わせて苦い顔をした。だが、あさみは泣き顔を見られたくないのか、美咲の胸にずっと顔を埋めている。

「ダメじゃない! 男の人はいつも女の子を守る騎士でいなきゃ」

 美咲は、遷とシゲルにダメ出しをする。男二人は、恐縮して、すまん、と頭を下げた。

 やっと落ちついたあさみは、美咲の胸から顔を上げた。

「私の手癖の悪さも、たまには役に立つでしょ?」

 強がってみせるあさみに、美咲は笑ってパチパチと手を叩く。

「あさみ、本当にごめんな。俺がこんな事に巻き込んでしまった」

 あさみは、ほんのり赤い瞳をじっとシゲルに向けた。

「でも、私シゲルの命を救えた。人助けが出来て良かった」

 微笑んで言う。そんなあさみの純粋さに、シゲルは胸が締め付けられ、泣きそうになるのをぐっ堪えた。

「俺の事なんていいんだよ、別に」

 うつむいて、あさみの頭を手でぐしゃぐしゃする。あさみは、今度は横にいた遷の方を向いた。

「遷くん、さっきはありがとう。殺されそうになった時、全力で助けにこようとしてくれてた」

「でも、結局は間に合わなかった」

 悔しそうに遷が拳をぎゅっと握る。しかしあさみは首を振った。

「ううん、助けにこようとしてくれるのが嬉しかった」

 あさみは、そこまで言うと、ふっ、と目を閉じて床に倒れこんだ。

「あさみさん!」

 遷は倒れたあさみを抱きとめたが、あさみは動かない。気絶してしまったらしい。

「あさみちゃんとは思えない素直な言葉を言ったかと思ったら、気絶しちゃった。やっぱり普通じゃない精神状態だったんだね」

 美咲が失礼千万な事を言う。

 ふと、美咲の頭に影が落ちた。見上げると、後ろに四十代後半と思われる髭を生やし、背広を着た紳士的に見える中年の男性が立っていた。ダンディな雰囲気はあるが、とても気難しそうな顔をしている。

「私はO府警の者だが、君はさっきあの男を飛ばした子か?」

 美咲は男の指差す方向を見る。黒スーツの男がのびていた。

「あ、はい……。あの、死なないように手加減してはみたんですけど、もしかして私も逮捕されちゃうんですかぁ?」

 泣きそうになって美咲が言う。そんな彼女を見て、中年の男は、クックッ、と声を漏らしたかと思うと、大声で笑い出した。

「あっはっはっは! 君はとても面白い女の子だな。ちょっと話を聞きたいだけだよ」

 気難しそうな顔をしていた中年だったが、美咲の背中をバンバンと叩いて笑っている。やっと美咲はホッとした。

 そんな中年の男を見て、若い警官たちがざわつき始めた。

「あの鬼の規則警部が女の子と一緒に笑うとは……」

「普段の規則警部からは考えられないよな。今日は雹が降るかもしれんぞ」

 微妙に視線が集まっているとは知らず、美咲は中年の男と一緒に無邪気に笑っていた。

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