霧雨の天使たち 13
遷との約束当日の昼過ぎ、あさみはお気に入りのミニタイトのワンピースを着て待ち合わせ場所に向かった。あさみにしては珍しく、五分も前に待ち合わせ場所に着いたが、既に遷はそこに居た。制服姿の遷も格好良かったが、私服になるとさらに格好良く、思わずあさみは見惚れてしまう。流行のアイテムを嫌味なく取り入れているのに感心したあさみは、いつか自分の洋服も見立ててもらおうと心に誓った。
二人はぶらぶらとショッピングを楽しむ。途中、アクセサリーショップで足を止めたあさみは、天使をモチーフにしたシルバーのネックレスをすごく気に入った。そこで遷はあさみにそのネックレスを買おうと申し出たが、あさみは断わった。いつもだったらふたつ返事でおねだりをするのだが、あさみ自身も何だか調子が狂ってしまう。
しばらく色々な店を渡り歩いたが、足も疲れてきており日も暮れたので二人は近くで食事をとる事にした。あさみはキョロキョロ見渡して、ある一件のフレンチレストランを見つける。お洒落で落ち着いていそうな店だった。あさみはとても気に入り、そこに入ろうと言ったが、何故か遷が渋る。訝しげに思ったあさみだったが、意地悪心をくすぐられ遷の腕を引っ張って強引にその店の中に入っていった。入店するとすぐに席の案内をしにウエイトレスがやってきたが、入口に立っていた遷の姿を見てあっと声をあげる。
「角間くんじゃない。どうしたの」
あさみはきょとんとして、ウエイトレスと遷を交互に見た。
「今日はお客」
苦笑いして遷が言った。クスクスと好意的な笑いをあさみと遷に向け、ウエイトレスは窓際の一番眺めのいい席に二人を案内して奥に戻っていった。
「え? 何? 知り合い?」
何が何だか分からないあさみは、テーブル越しで遷に顔を近づける。
「あぁ。実は俺、ここでバイトしてるんだ」
「へぇ……!」
あさみは、改めて辺りを見回した。少し照明が暗いが、それが落ち着いた空間をかもしだしている。テーブルは黒基調で、ゆったりしていた。
「いい店じゃない。教えてくれれば良かったのに」
「なんか照れるよ」
二人はメニューを決め、ウエイトレスを呼んだ。オーダーを聞いたウエイトレスはメモを取りつつ遷に意味深な視線を送って微笑むと、あさみに向きを変え、好奇心旺盛な瞳で話し掛けてきた。
「もしかしてあなた、E・T高校の一ノ瀬さんって人ですか?」
「そうだけど……」
「おい、頼むから変な話はしないでくれよ!」
あさみが返事するのと同時に、遷は真っ赤になって会話に割って入った。普段は穏やかな遷とは別人のように焦っている。
「今度のシフト変わってくれる?」
「変わるから! もう奥へ行ってくれ!」
「また後で話聞かせてね。ごゆっくりどうぞ」
そう言うと、ウエイトレスはにこにことあさみに手を振って厨房へ入っていった。
「今のは……?」
「いや、気にしないで。とにかく水でも飲もう」
あさみの疑問にたたみかけるように答え、手元にあったグラスの水を一気に遷は飲み干した。この一連のやりとりを見て、あさみはもしかして遷が自分に気があるのではないかとピンとくる。だが、この間のD組前での会話で肩透かしを食らっているので慎重に探りを入れてみた。
「ねぇ、遷くんって好きな人居るの?」
水を飲んで落ち着いた遷は、ふーっと息をつくと、平然とした顔を取り戻して言った。
「さぁ、どうだと思う?」
逆に質問を返してきた遷にあさみは軽くふくれっつらを見せる。あくまでもポーカーフェイスな彼は今まであさみに近づいてきた男達とは一味違った。
「じゃあ、私の事はどう思う?」
核心をつく質問をしてみる。自分の事ながら、意地悪な質問かな、ともあさみは思った。遷の目がほんの少しだけ見開いたような気がする。
「いいんじゃないかな」
笑顔であっさりと答えた遷。あさみはまたしても、微妙な答えにカクリと肩を落とす。もうこれ以上深追いしても無駄なようなので、あさみは追求を諦める事にした。もし、あさみがここで自分から告白していたら、ここで何かが変わっていたのかも知れない。だが、あさみ自身も自分の気持ちが分からず、もやもやを持て余していた。
その後、二人はとりとめもない会話をして食事をし、店を出る事にした。
そこで、あさみは初めて自然と自分の財布に手が伸びる。
「あ、いいよ。俺が奢るよ」
「ううん、なんか悪いし……」
美和と美咲がここにいたら、目を丸くさせる事であろう。しかし、あさみは本当に申し訳ないと思った。
「いいって。約束しただろ?」
そう言って、遷はキャッシャーで精算を済ませ、あさみを強引に外に出した。
「奢ってくれてありがとう」
いつもは言えないセリフを今日は素直に言えた。遷は笑って頷いて、腕にしていた時計を見る。
「さて、八時か。どうする?」
「どうしよう?」
まだ、もう少し一緒に居たい気分だったあさみは、街を見渡した。少し歩いた所がネオンで光っている。あさみはそこを指さした。
「まだ少し時間があるからゲーセンでも寄ろうよ。私、ぬいぐるみ取って欲しいな」
「オッケー」
二人は歩き出す。昼間は若者達でごった返していたが、そろそろ歩行者の質が変わってきていた。ガラの悪い連中が至る所でうろうろしており、やたらとピンクを強調している看板の下では冴えない中年が客引きをしている。
遷はあさみを守るようにして通りを歩き、ゲームセンターの中に入っていった。
最近登場したぬいぐるみキャッチャーの影響か、中には女性客も割と居た。遷は、失敗しつつも器用にぬいぐるみを次々と取ってゆく。喜んだあさみは調子にのって、次々といろんな種類をリクエストし、いつの間にか抱えきれない程たくさんのぬいぐるみを手に入れた。
満面の笑顔であさみが大量のぬいぐるみを抱えて歩いていると、裏口がバン! と乱暴に音を立てて開いた。そこから黒の革ジャンと黒の皮パン、黒い帽子にサングラスという、全身黒ずくめの髪の長い女性が走ってきた。あさみは急な事で避けきれず、思い切り正面からぶつかってしまった。
お互い、しりもちをついて倒れこむ。あさみの手にしていたぬいぐるみ達は辺りに散らばり放題になってしまった。
「馬鹿! てめぇ、チンタラ立ってんじゃねーよ!」
黒ずくめの女性は、まず足元に落ちたサングラスを慌てて拾ってから、あさみの方を向いて怒声を浴びせた。長くつややかな、軽くウエーブの入った腰までの髪を一つに束ね、色白の肌に整った美しい顔の女性――あさみの良く知る人物だった。
「……りりす先輩?」
呆然とするあさみを気にとめるでもなく、りりすはサングラスをかけ、足元に散らばったぬいぐるみ達をかき分けるようにして何かを探し始めた。だが、裏口の扉から喧騒の声が聞こえてくる。やがて、裏口からチンピラ風の男が店内に入って来た。
「居たぞ! あそこだ!」
チンピラはりりすを指差した。それに気付いたりりすは眉間に皺を寄せて舌打ちをする。
「ちくしょう、逃げる方が先決だな……」
何かを探す手を止め、りりすは豹のように鋭い目をして走り出し、正面玄関から逃げ出した。その後をチンピラ数人が追いかけてゆく。あさみは言葉を出せずに、床に座り込んだままだった。
「あさみさん、大丈夫?」
遷が手を差し伸べる。あさみはやっとの事でその手をつかんで立ち上がったが、目の前で起こった出来事が理解できずに、しばらく目を点にさせていた。
「どうしたの? もしかして、今の人知ってる?」
「うん……華道部の部長。私がすごく憧れてる人……」
「華道部? あの人が……?」
遷は、りりすが出ていった方向を見ながら、不思議そうに呟いた。しばらく呆けていたあさみだったが、頭をブンと振って正気を取り戻す。
「一体、何があったのかしら? 今から追っても、もう間に合わないわよね」
散らばったぬいぐるみを集めていると、遷がゲームセンター備えつけの大きなビニール袋を持ってきてくれた。あさみは手当たり次第に拾って、すべてを中に入れる。その大きな袋を遷が持ってくれた。
「なんか、向こうのほうが騒がしいな」
遷は、りりすが入ってきた裏口の方を見た。何人ものガラの悪い人物が、右往左往しているようだった。
「見に行きましょ!」
あさみは遷を連れて軽やかに裏口に向かった。外に出ると酒とタバコの臭いがあたりに充満している。鼻をつまみ、チンピラを避けながら裏路地をしばらく歩くと、道端に人が倒れていた。ぐったりと壁に背をもたれかけ、うつむいたまま動かない。
「あれ、あそこに人が……」
あさみが近寄りかけると、遷の目つきが急に変わった。
「見ちゃいけない!」
遷はあさみをぐっと引き寄せ遷の方を向かせて抱きしめたが、既に遅かった。
「い、今の……」
声が震える。あさみは見てしまった。壁に寄りかかった男性の腹からは、大量の血が流れていた。
「あぁ、多分もう手遅れだ」
あさみは、震えを紛らわせるため、遷をぎゅっと抱きしめた。強く抱きしめないと足元からの震えで座り込んでしまいそうだった。そんなあさみを元気づけるように、遷もぎゅっと抱き返す。
酒とタバコと、血の臭いに体が支配されてしまいそうな気がした。




