霧雨の天使たち 11
下校前、あさみは遷と一緒に帰る約束をしていたので、一人先に帰り支度をしていた。美和と美咲に挨拶をしてD組に向かう。だが、まだD組はホームルームが長引いているようだ。仕方がないのであさみは廊下の窓から校舎の下をぼんやりと眺めていた。すると、裏庭の方にりりすの姿を発見した。よくみると泣いているようだ。
「りりす先輩? 一体どうしたんだろ」
慌ててあさみは階段を駆け下りた。渡り廊下を抜け、小体育館のある裏庭へと出る。校舎の片隅をすりぬけ、りりすの元へ行こうとした、が、りりすは一人ではなかった。先ほどは死角で見えなかった位置にオーケストラ部の部長の兵藤勉が立っていた。あさみは悪いと思いつつも、好奇心に勝てずにこっそりと物陰からりりすと勉の会話を立ち聞きしてしまった。
「どうしたの? こんな所に呼び出して、いきなり泣き出してしまうし……」
勉は少々うろたえている。りりすは涙を拭いながら、やっとの事で声を出した。
「……私の事を振って欲しいの」
えっ! と思わずあさみは声を出してしまいそうになったが、寸前で止める。事態が全く理解できなかった。
「……あなたと付き合う前、好きな人が居るって言ってたでしょ。その人がこっちに帰ってくる事になったの。私、あなたを好きになれてた。でも、その人が帰ってくるって知って……どうしようもなく気になって……こんな酷い女、振って欲しいの」
勉はしばらく黙っていたが、優しい口調で語り掛けた。
「君に好きな人が居たっていうのは知ってたよ。でも、それでも僕が君を好きな事には変わりないから……。君が誰か他の人の所に行っても、僕はずっと待ってるから」
りりすの瞳に、ますます涙が溜まってくる。真珠のような涙の雫がぽろぽろとこぼれおちた。
「勉、あなた優しすぎる。私、そんな優しさに甘えすぎてる……」
「いいよ、僕はずっと君が好きだから。恋人として僕と一緒に居て君が苦しいなら、友達として一緒に居よう?」
勉はそっとりりすを抱きしめた。もうりりすは声にならず、ただ黙って泣きつづけていた。
(もう、行こう……)
あさみは、その場からそっと離れた。好奇心から覗いてしまった事を心から反省する。学校帰り、りりすの様子がおかしかった理由はどうやらこれだったらしい。りりすと兵藤がとてもお似合いだと思っていたあさみはかなりショックを受けた。
裏庭の余韻が残ったまま、ゆっくり二年D組前まで来ると、ちょうどホームルームが終わったところだった。真っ先に那子が出てくる。あさみは構えたが、那子は何も言わずキッと睨んだだけでそのまま通りすぎていってしまった。あさみが胸をなでおろすと、やがて遷が出てきた。
「待たせちゃった? ごめん」
「そんな事無いわよ」
あさみは普通に装ってみたが、遷はどこかあさみの表情が暗いという事に気付く。
「どうしたの? もしかして那子に何か言われた?」
「ううん、違うの」
作り笑いをしたあさみは、遷と一緒に歩き出す。
校門を出て、並木道を歩きながら、遷は口数の少ないあさみをチラリと見た。いつも楽しそうな顔や怒った顔を見せているあさみが珍しく無表情なのが気になる。
「ところで、相談って何?」
突然のあさみの質問に遷は少しうろたえた。
「え、いや。それよりも一ノ瀬さんこそ何か様子が変じゃない?」
そう言われたあさみは、じっと遷を見た。まるで彼の心の奥まで覗き込むように。思わずドキッとして遷は立ち止まる。あさみも一緒に立ち止まり、しばらく遷から目を離さなかった。
「何?」
「ん……。私も角間くんに相談しちゃおうかしら」
やっと、あさみは目を逸らした。ためらいがちに目を伏せる。本人は意識していないようだが、その目は遷にとっては色っぽく感じられる。
「ああ。でも、ここでいい?」
二人の居る並木道は下校中の生徒で溢れ返っている。あさみは首を振って、遷を近くの公園まで連れていった。
「私の知ってる人で、とてもお似合いのカップルがいるの。でも、女の人の方に他に好きな人ができてしまった」
公園をゆっくりと歩きながら、あさみが話し出した。
「その相手の人はどうやら、今の彼氏と付き合う前から好きな人だったみたい。でも、今の彼氏が優しいから、今の彼氏の方を好きになろうと努力したけど、やっぱり昔の人が気になるんだって」
遷は黙って聞いていた。
「昔好きだった人は地元を離れてしまったけれど、最近になって戻ってきたらしいの。それで余計に気になったのかな。で、女の人は彼氏に『自分は酷い女だから振って欲しい』って彼氏に言ったんだ。でも」
あさみが言いかけると、遷は言葉を遮った。
「別にそれでもいいよ、って言ったんじゃない?」
遷のセリフにあさみは驚いた。
「何でわかるの?」
少し、考えてから遷は苦笑いした。
「いや、何となく。俺もそんなタイプだからかな。今まで好きだった人だし、急には嫌いになれないだろうからな、その彼氏。いきなり振ってくれって言われてもなぁ」
「でも、自分の他に好きな人が居るだなんて、私だったら絶対怒る!」
あさみはキッと眉をつり上げた。やっといつもらしいあさみを見れた遷は、思わず顔がほころぶ。
「はは、でも、その彼氏はすごく彼女の事が好きなんだろうな」
怒っていたあさみの顔が一瞬にして落ち込み顔に変化する。
「私も、その女の人の事がすごく好き。単なる浮気性な人じゃないと思うんだ。だから余計に苦しんでるんだろうけど。でも、私がどうこう言ったって二人の仲が良くなる訳でもないから仕方ないんだけれどね」
ふーっと息を吐き出して、あさみは改めて遷を見た。
「話したら少しだけ楽になったような気がするわ。角間くんみたいな意見もあるって知ったし、ありがとうね」
「いや、あんまり役に立ってるかわからないけど」
「さ、今度は角間くんの番ね。相談って一体何?」
「え、と」
少しためらった後、遷はあさみから視線を逸らす。
「今度の休み、一緒にどこかに遊びに行かない?」
「何? そんな事だったんだ?」
あはは、とあさみは笑った。
「何か奢ってくれる?」
冗談っぽく、常套句をあさみは口にした。
「いいよ。でも、一ノ瀬さんの方こそいいの?」
「ええ。予定も入ってないし。……っていうか、一ノ瀬さんじゃなくてあさみでいいわよ。学校の友達はだいたい名前で呼ぶから、名字だと違和感があるの」
「じゃあ、俺も遷でいいよ」
あさみは、奢ってくれるという人の誘いはあまり断わらない。今回もそうだったが、いつもとはどこか違っていた。恐らく、遷が奢ると言わなくてもあさみは一緒に遊ぶ約束をしていたと内心思った。
その後和やかな空気の中、二人は待ち合わせの時間を決め、そのままバスに乗りってそれぞれ帰路についた。




