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霧雨の天使たち 10

 一時間目の授業が終わると、美和から事情を聞いたらしい美咲があさみの元へ駆けつけてきた。

「あさみちゃん! 昨日また那子と会っちゃったんだって? 大変だね」

「ええ。もう最悪よ」

「んで、教科書も忘れちゃったんだよね」

「……ほっといて」

 機嫌が悪いあさみには全然動じずに、美咲はキャッキャとはしゃいでいる。そして、ひとつの提案をした。

「あのさ、今から角間くんの所に行って教科書借りてきたら?」

「えぇ?」

 驚くあさみだったが、やってきた美和は、面白そうに頷いた。

「いい案ね、この際だから借りてらっしゃいよ。お近づきになるチャンスよ」

「でも、角間くんと一緒に那子も付いてくるのよ!」

 美和がニヤリと笑う。

「那子から奪ってこそ、いい女の証なんじゃないのぉ?」

 あさみの心が少し揺れた。

「あさみちゃんなら大丈夫だよ!」

 しばらく、あさみは黙っていたが、すっくと立ちあがった。

「うん、私、角間くんから教科書借りてくる!」

 半分乗せられてしまった形になったが、あさみは意気揚揚とD組に向かう。当然、美和と美咲も後を追って一緒についてきた。

 D組の扉越しに教室の中を見まわすと、前回と同じ窓際に遷を見つける事ができた。相変わらず那子の姿もあったが、構わずあさみは遷の名を呼んだ。

 遷はすぐに気がつき、あさみの元に駆けてくる。

「あれ、一ノ瀬さん。どうしたの?」

 爽やかな笑顔を見せる遷。あさみはやっぱりD組にやってきて正解だったと思う。

「基礎解析の教科書を忘れちゃったんだけど……貸してもらえるかしら?」

 かわいこぶりっ子のポーズを取ってあさみが言う。

「あぁ、いいよ」

 少し照れた顔を見せたが、あっさりと遷は了承し、席に戻っていった。

 すると案の定、那子があさみの所までやってきた。

「ちょっと、遷に何の用?」

「別に。あんたには関係無いでしょ。しゃしゃり出てこないでよ」

 遷に聞こえない程度の小声で、あさみは喧嘩を買った。

「関係無い事はないわ」

 那子は凄んでみせたが、教科書を持ってやってきた遷に遮られる。

「那子、お前はどっかに行ってろ……」

 呆れた顔で遷はやれやれと四人のもとにやってきた。

「だって、遷!」

 言いかけた時、美和は遷と那子の間に割って入った。

「話は私が聞くわ。向こうでお話しましょ」

 そう言って、美和は那子と美咲を連れて階段の方に歩いてゆく。どうやらあさみに気を利かせてくれたらしい。

 遷はそんな美和に軽くお辞儀をして、あさみに向き直った。

「なんか、この間といい、那子が色々言ってるみたいでごめん」

「ううん、私の方こそいきなり教科書借りにきちゃってごめんね」

 二人は微笑み合う。そんな二人に向け、D組内から視線を感じたあさみと遷は、廊下の窓側まで移動してきた。だが、いざとなると会話が切り出せず、すこし微妙な空気が流れた。遷は上目遣いに頭を少し掻いて、少し言い出しにくそうに切り出す。

「あ、あのさ。一ノ瀬さんってモテるよね。この間もうちのクラスの奴が一ノ瀬さんに告ったみたいだけど振られたって」

 あさみは懸命に思いだそうとしたが、誰が誰だかわからない。ごまかし笑いを浮かべる。

「そ、そうだったわね。悪いな、とは思ったんだけど」

「一ノ瀬さんって、やっぱり彼氏とか居るの?」

 あさみは、ドキリとする。いわゆるミツグ君やアッシー君などは不定期に存在したが、実は一度も彼氏が居た事は無かった。だが妙なプライドがあるので、付き合った経験が無いという事はオブラートに包みかくすように答えた。

「んー、今は居ないかな?」

「え? そう? そうなんだ」

 遷は意外そうな顔をした。そして、晴れやかな表情になる。

「てっきり一ノ瀬さんには彼氏が居るものだと思ってたよ」

 言いながら、ゴホンと咳をして、遷はあさみをじっと見つめた。思わずあさみの顔が火照ってきた。

「あのさ……」

 これは、告白が来るのかしら? とあさみは思った。遷の事はクラスメイト達と比べると気になる存在ではあったが、心の準備はまだ出来ていない。ドキドキして待ち構えているあさみに、遷は言った。

「ちょっと相談したい事があるから、今日、一緒に帰らないか?」

 あさみは一気に脱力する。肩透かしもいいところだった。

「あ、うん。別にいいわよ。なんだ、急に真面目な顔して私を見るから告白されるのかと思っちゃったわよ」

「いやいや、驚かせちゃってごめん」

 苦笑いする遷。だが、遷が内心冷や汗をかいているのをあさみは知らなかった。告白する勇気が無かったので口からでまかせが出てしまったのだという事は遷はとても言えなかった。



 腕をがっちり押さえられた那子は抵抗したが、美和は離さない。美咲も背中を押し、階段を降りて踊り場までやってきた。

「ちょっと! こんな所にまで連れ出してどういうつもり!」

 ヒステリックに叫ぶ那子を美和は冷ややかに見つめた。

「あなたが角間くんの事を好きなのは分かるけど、やりすぎよ。誰に対してもああいう風なの? そのうち友達無くすわよ」

 那子はムスッとする。

「誰に対してもあんな態度取るわけないじゃない! 以前から遷はあいつを見かけるたびに『一ノ瀬さんがああだった』とか『一ノ瀬さんがどうだった』って、やたらと口にするからムカついただけよ」

 那子の言葉を聞き、美和と美咲は顔を見合わせた。

「って事は、もしかして角間くんはあさみの事が好きなのかな?」

「そんな訳ないでしょ! 動物園のサルみたいな観賞動物だと思ってるのよ!」

 聞かれもしないのに那子が答えた。

「でも、少なくとも友達としての好意は持ってるのよ。悪あがきはやめたら?」

 美和は諭すように那子を見る。那子はしばらくうつむいて黙っていたが、ぽつりと喋り始めた。

「私は……小学校の頃からずっと遷の事が好きだったのよ? なのに、いきなり出てきたアイツに奪われるなんて……嫌!」

 何かを我慢するような表情で那子が言った。美和と美咲は、言い負かしてやるつもりだったが、強気に出られなくなってしまった。

「気持ちは分からなくもないけど……でも、意地悪はしちゃ駄目だよ」

 美咲が伏目がちになる。

「あなたが角間くんを好きになるのは自由だけど、角間くんが誰か他の人を好きになるのも自由なのよ。……しばらく、見守ってみたらどうかしら?」

 顎に手をあてて美和が言った。那子は肯定も否定もせず、無表情でゆっくりとその場を離れ、階段を降りていった。

「なんか、複雑だよねぇ」

 溜め息まじりに美咲が言う。

「私達、盛り上がってあさみちゃんと角間くんをくっつけようとしたけど、ちょっと軽率だったかなぁ?」

「ここまで来たら、周りのノリだけじゃなくて当人同士の問題になってきちゃうわね」

 二人は、重い足取りでD組の前まで戻ってきた。D組前の廊下では、うって変わってあさみと遷がいい雰囲気で話をしている。

「あーあ、角間くんの鼻の下が伸びてるよ」

 ヒクっと笑いを浮かべて美咲はあさみ達を見た。

「少なくとも、角間くんはあさみにかなり気がありそうね。……ゴタゴタしなけりゃいいけれど」

 二人は顔を見合わせ、頭を抱えた。

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