5.魔女の領域にて
ピオの胸ほどしかない灰色の石塀の上に、突き破るように刺さっている錆び付いた鉄柵。門などはなく、誰でも入れるようになっているはずなのに、一般人ならば雰囲気だけで入るのを戸惑われる。
この馬鹿には効かないみたいだが。
「ふ~ん♪ふ~んふふ~ん♪」
ピオの音痴な歌を聞きながら、あたりを見回す。
無数に立った墓標は石で出来ており、文字が刻まれている。
それらだけでも十分不気味だが、私はそれ以上に奇妙な感覚を感じていた。
何かがこちらを見ているような視線だ。
しかし、あたりを見回しても何もわからない。こいつが死んでしまっては元も子もないため、知らせた方がいいのかもしれないが、こいつは絶対厄介事に巻き込まれる気しかしないので、ここは私が警戒していることしかできないだろう。
かといって、幽霊のような姿の私には、これといって出来ることはないのだが。
先程まで太陽が出ていた周囲は、なぜだかどんよりと暗く、まるで夜のようだ。それもこれも、辺りに茂っている木々のせいなのかもしれない。不気味な雰囲気も、それを悪化させているような気がする。
なんだか嫌な気配というか、予感の様なものがあるが……今はどうすることも出来ない。ま、なるようになるだろう。
それでも、警戒するように見回していると、いつの間にかたどり着いたのか、墓地の真ん中にある、見るからに人が住めそうにないオンボロの家屋にたどり着いた。
ここにあるということは、薬師でもあり墓守でもあるのだろうか。だとしても、大変おかしなやつではあるが。
何かあるのではとピリピリしている私を放って、ピオはオンボロ扉についている、申し訳程度のノッカーをガンガンと叩く。おい、壊れるぞ。もう少し手加減しろ。
…………しかし、待てど暮らせど、中から人が出てくる気配はない。いや、むしろ、人の気配がない……?
「…………?? なぁ、ここってほんとに、そのマジョサンって人が住んどるがや?」
『……私にわかるわけがないだろう。来たばかりなのだから』
「それもそや。まぁ、入ってみたらわかるばい!」
『お、おいっ。相手は魔女だぞ。変な罠でもあったらどうする』
「そん時はそん時ばい~。失礼するばい」
そういって、抵抗もなく開いてしまった扉から、中に入っていくピオ。不法侵入だが、本当にいいのか?私は一応止めたのだし、実際に入っているのは実体のあるピオだけなので、私のことは咎められないと思いたい。
オンボロ小屋の中は狭く、外観と同じようにボロボロで、どうみたって人が住んでいるようには見えない。また、あるのは一部屋だけで、どこかに部屋があるようには見えない。
…………いや、魔法の気配がする。が、今の私は幽霊であり、肉体を持ってない以上、使える魔法は限られてくる。そもそも、魔法が使えるのかすらも不明だ。そこら辺を、もう少し検証してから来るべきだったか……後悔しても、もう後の祭りだが。
「だーれもいなか~……。住んでる感じもおらんし、ついにばっちゃんもボケちゃったがや?」
『……それなんだが、ピオ。朗報だ。お前の祖母はまだ惚けてはいないらしい。……この部屋、魔法の気配がする。推測するに、薬師の魔女が隠しているのだろう。人と関わるのが嫌いか、或いは、面倒ごとに関わりたくないのか、そこら辺はよくわからないが』
「えっ!? 部屋隠しとるんか~……そいじゃあ、よくわからんのも当たり前ばい。出直すしかないっちや」
ピオがそう言うと、部屋にかけられた魔法の気配が、微弱だが揺れた。薬師の魔女も相当の手練のようだが、この天才の私にはまだまだ劣るというわけだ。
まぁ、魔女というのは何かに秀でた者の事を言うから、私の方が優っているとは言えないが。
とにかく、出てこないならば出直そうということになり、私達は家屋の外にでる。
…………そして、私は絶句する。
悪意ある霊が出没している。
来た時はいなかったはずなのに、何故か今、出ている。
しかも、聖者の魂を欲しがり、ゆっくりとではあるが、確実にピオに迫ってきている。
だというのに、呑気に歩いているピオ。ゴーストに触れたら、最低でも体を乗っ取られるんだぞ!?
『おいっ! 何をぐずぐずしている! 早く墓地の外まで走れ!!』
「へっ? なんでばい? 今日は色々あって疲れたから、急ぐ用事もないしゆっくり歩くばい~」
『馬鹿かお前は!?!? いいから走れ!!』
無理やりピオと繋がっている部分を引っ張ると、ピオの体がふわりと宙に浮く。浮くというよりは、引っ張られるが正しいが。
どうやら、ピオが引っ張ることも出来るが、私がピオを引っ張ることもできるようだ。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。こいつ1人だったら別に放って置いてもいいが、私にどんな影響があるかわからないのが恐ろしい。ひとまず逃げなければ。
とりあえずピオを外に出すために引っ張るが、この柵の外側に出れば外……というところで、ベチンっ!という音と共に「いでっ!!!」という声がした。
何か壁のようなものにぶつかったらしく、痛みで顔をおさえている。
「いっでででぇ~…………突然逃げろって言ってきたり、引っ張ったり、一体何事ばい……? なんか、見えない壁みたいなんもあるがやし」
『結界に、突然現れたゴースト……他の人物がいないのであれば、薬師の魔女の仕業か……。とりあえず、聖水か何かないのか? 塩でもいい』
「は? ゴーストとか聖水とか塩とか……ユウさん、一体全体、何を言い出しとるがや?」
『………………もしやお前、ゴーストが見えないのか?』
きょとんとした顔をしているピオ。
…………私は見えるのに、普通のゴーストは見えないのか!?!?それなら今までの行動に納得がいくが……大変まずいことになったぞ。
こいつ、ゴーストが迫ってきても自分で避けられない。
『聖水か、塩を自分の周りに円を描くように蒔け!! とりあえず、今は私の言うことを聞くんだ! ゴーストに乗っ取られたくなかったらな』
「えぇえ?? 意味がわからんが……とりあえず、わかったばい……」
納得はしていないが、とりあえず渋々といった体で袖の中を漁る。
ゆっくり、しかし確実に近づいてくるゴーストをそわそわと見つめながら、ピオが袖から何かを出すのを待つ。
そして袖から出てきのは、綺麗な薄黄緑色をした液体の入った小瓶。小瓶に貼られたラベルには「軸:ユニコーンの髭。人魚の泡。朝露の最初の一滴。無垢な祈り」と書かれている。
きゅぽんっ!と音を立てながら小瓶の蓋をとり、自身の周囲に液体を撒き、最後にその円の真ん中から、液体を撒いた線を辿るように魔力を流せば、完了。
簡単結界の出来上がりだ。耐久力は、そこまでないが。
「ふぅ……できたばーい! でも、これになんの意味が…………ひょえっ!?!?」
バチバチィッ!!という音と共に、ゴーストが結界にぶつかると、眩い光を発した。
どうやら、その結界に当たった時は見えるらしく、ピオはマヌケな声をだして腰を抜かした。口元が恐怖からか、わなわなと震えている。
「なっ、なななっ、なんだがや!?!? 変なんが、こう、バチッ!ってなって、あいたっ!ってなって、こう、えっ!?!?」
『お前……本当に魔法使いか? あれは悪意ある霊。死んだ人間から抜け出た魔力が寄り集まって出来る魔物だ。これが見えないものは、一般的に魔法使い適性がないとされるが……』
「そ、そう言われて、わからんもんはわからんばい!!」
私の姿がほかの人に見えないは、まぁわかる。私は特殊だからな。むしろピオ以外に見えない方が安心する。
しかし、魔法を使っていたピオが、魔力の塊であるゴーストが見えないのは、一体どういうわけだ。魔法を使えているのだから、見えるはずなのだが……。
……いや、今はそんなことより、ゴーストをなんとかするのが先か。一時凌ぎで結界を張ったとはいえ、簡易的なものでしかない。いつかは壊されてしまう。
そうなる前に、倒さなければ。
『この際、見える見えないは気にしない。私がわかるからな。だが、こいつらをどうする。この結界だって、長くは持たんぞ』
「そ、そう言われても、ゴーストの対処の仕方なんてしらんばい……。なんか方法しらんっちや??」
『一番は、こいつらを消滅させる。他の方法として、浄化させる、眠らせる、なんてのもあるが、消滅させるのが一番手間がかからない』
方法を提示すると、ピオは考え込むように黙り込んだ。
時折、ゴースト達が結界に触れて呻き声をあげる。だが、結界の力が弱くなってきたのか、頻度が上がっている気がする。
刻一刻と経過していく時間の中、ピオが俯いていた顔を上げる。その眼差しは、真っ直ぐとゴースト達を見ている。
「……ゴーストって、死んだ人達の魔力から出来た存在ばい? ここには、オイラのじっちゃんや、ご先祖さまも眠ってるがや。……大事な人たちの魔力を消滅させるのは、オイラは、やりたくないばい」
『…………ゴーストが見えないお前には、結構手間がかかる上に、準備の最中にゴーストに乗っ取られる可能性もあるんだぞ?』
ため息をつきながら、ピオに返答する。その言葉に、にっこりと、ピオは笑った。
「見える見えないは気にしない、って言ったのは、誰ばい? とーぜん、協力してくれるばい?」
『………………私も、不可抗力とはいえ、面倒なやつの背後霊になったものだ』
呆れ顔をしつつも、ピオの瞳を真っ直ぐ見つめる。
その瞳は、まるで最悪の事態が起こるということを予測していない。絶対になんとかなると、信じきっている瞳だった。
出会ったばかりで。しかも、得体の知れないやつを信用しなければいけないというのに、大したやつだ。
……アズラに、なんとなく似ている。
そんなところが、なんとも癪に障る。
でも、その瞳は、私が前の世界で、ずっと欲しかったものだった。




