五話
教室に戻ってきた悠は、静かに自席に座っていた。
教室内では既に複数のグループができていて、これから一、二ヶ月後にはスクールカーストが確立される。
イマドキの女子や男子達が集まるキラキラなトップカースト。平凡な学校生活を過ごすことができるミドルカースト。所謂負け組と称されることも多い底辺カースト。大体この三つに分類できるのではないだろうか。
悠の容姿は酷いわけでもなければ良いという訳でもないので、悠がトップカーストの中に入ることはまずありえない。入るとしたら芽依や帝だろうか。あの二人ならばトップカーストにいてもおかしくないだろう。特に芽依。
少なくとも容姿は優れているので、ミドルカースト内に居ると言うのは考え辛い。
「なら、牡丹はどうなんだろう……」
悠の口をから出てきたのは、牡丹の事だった。牡丹は容姿が優れている。なので流石にミドルということはないだろう。だが、実際どうなのかはわからない。容姿が整いすぎて神聖視された結果、誰も寄り付かず孤独に学校生活を送っているのかもしれない。悠的になんかそれは嫌だ。
「彩芽は……多分大丈夫だろうな」
牡丹とは違い、彩芽は中学生だ。高校生程カースト制度が厳しいと言うことはないだろう。それに、彩芽はトップに位置していることは揺るがない事実だろうと思っている悠には、彩芽が底辺に孤独でいる姿が想像できない。したくない。
「あ、悠君悠君。今、女の子の事考えてた?」
「え? あ、あぁ、うん」
突然話しかけてきたのは、少し前まで考えていた芽依だった。
芽依は自己紹介した時から悠を下の名前で呼び、一気に距離を詰めてきた。先程も言ったが、いくら義妹以外の女性に興味がないと言っても、芽依のような可愛い子に下の名前で呼ばれてしまえばドキッとする。牡丹の時のように。
「え~誰の事考えてたの?」
頬を弛ませながら聞いてくる芽依は、悠の事をからかっているのかも知れない。そして彼女の瞳の奥は、何かを期待するような光が燈っている。
「安心しろ。永野の事も考えてえた」
「そうなんだっ! 嬉しいな。……ん? 永野のこと〝も〟ってどういうこと?」
「ちょっと色々あって」
「あ~誰から食べようって言う観察?」
「ちげぇよ」
第一、悠にそんな度胸はない。更に悠は義妹にしか興味がないので、他人をそういう目で見たことはない。
「やだ~! 私も悠君に食べられちゃうの?」
前言撤回。少し潤んだ瞳で上目遣い気味に訪ねてくる芽依。口元はとても緩んでいる。からかっているのだろう。いくら興味が無くてもときめいてしまう。男って単純。そして芽依はこういうキャラだっただろうか。
「っとまぁ、それは冗談として」
「周囲の目が気になるのでそういう冗談は是非やめていただきたい」
今だって芽依を目で追っている男子生徒が沢山いる。帝もその中の一人だ。それだけではない。女子だって芽依の事を見ている。
女子の場合はカーストの権力が強いのでただ見定めているだけかもしれない。特にトップに行くであろう芽依の事を。
「それで、どうして永野は俺の所に来たんだ」
「用事が無かったら、来ちゃいけないの?」
揺れる瞳で悠を見つめてくる芽依。当然悠は直視できず、視線を逸らす。逸らした先には帝がいた。恐らく心の中では血涙を流しながらハンカチでも噛み切っているそうな表情をしている。
「俺をからかうなら、金輪際俺は永野を無視する」
「へぇ~? 悠君は私を無視したらどうなるか、わからないのかな?」
男子から忌み嫌われることは間違いない。カーストトップに君臨するであろう芽依を無視することは許されないのだ。
それだけではない。異常なまでに強固な女子の結束力によって、悠の学校生活に安泰が訪れることはなくなる。
「お、お前ぇ……自分の可愛さを理解しているのか……っ」
「え、そ、そう、かな……私、可愛い?」
まだからかい続けるのかと芽依を見ると、からかっているような表情というより、可愛いと言われて照れているような表情だった。
頬がほんのりと桃色に染まり、さっきまで悠の事を直視して目を見て話をしていたのに、今はちらちらと、まるで目を合わせるどころか悠の顔を見ることすら恥ずかしいかのような反応をしているではないか。
「(まさかさっきまでのは無自覚だったのか……っ⁉ あそこまで無自覚に人を脅せるのか……っ⁉ まさかこいつ……天然かッ⁉)」
流石に天然の一言で済ませることができるほど緩い脅しではなかったのだが。明らかに自分の容姿の良さを自覚している人のそれだったが。
だが、今はチャンスだ。さっきまで散々からかわれてきた悠が、芽依に反撃するための。
「ああ、永野は可愛いと思うぞ。俺も今日まで永野程の美少女には会ったことがない」
牡丹と彩芽の事を棚に上げ、さも今日初めて美少女に出会ったかのような感想を述べる悠。普段このようなことを言わない悠にとって、これは難易度が高かった。次第に羞恥度が上昇し、芽依を見ることができなくなる。
対する芽依も同じ状況だった。今まで〝可愛い〟なんて言葉は親や親戚にしか言われたことがないし、小学校高学年から中学校でそう言ってくる男子は下心丸出しだったので、男子に可愛いとなど本心から言われたことが無かったのだ。その為、体温が上昇し、悠を見ることができなくなる。
悠と芽依の二人は、顔を赤く染めたまま互いを見ずに無言でいる不思議な空間に取り残されてしまった。
というのも、今までの一連の流れを見ていた教室内のほぼ全ての生徒からは〝なんだあの相思相愛のアツアツカップルは〟と、生暖かかったり羨むような視線を送るだけで、あの空気に入っているのは二人だけだったからである。
つまり、二人だけ別世界にトリップ中である。そういう意味では入学式終了後の空気に浸っている他クラスと比べ、砂糖大量生産中のこのクラスも大体同じような状況だろう。
「ぁ、ぁ……と」
「ん?」
「……ありがと」
「い、いや……うん」
短いスカートの前裾を両手で握り、ちらちらと悠を見ながらそういう芽依の姿に、悠はドキドキしっぱなしだった。
周囲の生徒達、特に男子達は、悠を妬んだり呪ったり羨んだりするのも忘れ、只々砂糖を口から放出するマーライオンとなっていた。
勿論女子だって同じ状況の人がほとんどだった。唯一男子と違うところは、目が生き生きキラキラしていたところだろうか。死んだ魚のような目をしている男子とは精神構造が根本的に違うのだろう。
「あ、あのさ、悠君」
「な、何……?」
「えっと、ね。あのね……お、お願いが、あるの……」
「お、お願い……?」
未だに体温が下がらず、何処かしどろもどろに会話を続ける悠と芽依。他の生徒達(主に男子)はまだ続くのかと絶望の表情を見せる。
「あ、あのね……わ、私の事も、下の名前で呼んで欲しいの」
「ぇ、あ、えっと……芽依?」
「……お、思ったより恥ずかしいねっ!」
誰が見てもわかるほどに頬を紅潮させ、少しでも熱を冷まそうと手のひらでパタパタと仰ぐ芽依。視線はもう悠を捉えていない。捉えられない。
悠も芽依を見ることができない。男が頬を赤らめてるところを描写しても気持ち悪いだけなので、想像したい方だけ想像してください。
激甘空間に遂に耐えきれなくなった帝が、悠と芽依の間に割り込んで強制的にこれ以上砂糖を量産させないようにしようと席を動いた。
が、ガシィッとやけに力強く腕を掴まれ、阻止されてしまった。驚いた帝が振り向くと、血走った眼をしている女子に腕を握られていた。
その目は語っていた。邪魔をするんじゃない、と。
怖くなった帝は、素直に椅子に座り直した。
未だに悠と芽依はちらちらと相手を見るだけで、一言も発さない。
しかし、そんな時間も長くは続かなかった。
「あなた達、ホームルームを始めるので席に座ってくださいね」
いつの間にか教室の中に入ってきていた真由によって強制的に激甘空間が無くなったからだ。
真由の指示に従い、遠くから見守っていた生徒達が自席に戻る。芽依も自席に戻っていく。去り際に後ろ髪でも引かれるかのように名残惜しそうに悠を見ていたが、その理由までは悠が察することはできない。男子生徒からの殺気が格段に増したように感じる。