三話
春休みに突入して、既に三日経った。菫達に会った日から数えると、二日。つい一昨日だ。
その日いつも通り朝早く起きた悠は、リビングでアワアワしている廉人を目撃した。
不思議に思った悠は、廉人に尋ねる。
「どうした父さん。フラれたか?」
「なんてことを言うの⁉ ち、違うよ、そうじゃなくて……」
「俺に実妹ができる、とか?」
そうだとしたらいつの間にやることやったのかと思う。少なくとも昨日はずっと家にいたはずだ。
「そんなに早く性別はわからないよ?」
「え、でも子供ができることに否定の意を示さないってことはまさか……?」
「それも違う! お、落ち着いてね? 落ち着いて聞いてね……?」
「まずは父さんが落ち着こうか。深呼吸、深呼吸。ほら、ヒッ・ヒッ・フー、ヒッ・ヒッ・フー」
「ヒッ・ヒッ・フー、ヒッ・ヒッ・フー……ってこれ深呼吸じゃなくてラマーズ法! 出産のときにやるやつ!」
落ち着きがなくてもしっかりと悠のボケにツッコミを入れる廉人。そのおかげで少し落ち着いたようで、一度深く呼吸をする。
そして悠の方を向いて、衝撃の事実を告げた。
「——菫さん達が、今日からうちに住むことになった」
「あぁうん。ごめん父さん。それ知ってる」
「えっ⁉」
衝撃の事実を伝えたつもりが、衝撃の事実を伝えられた廉人だった。
「それ、いつ決まったんだ?」
「昨日、だけど……?」
「てことは昨日からこんな調子だったのか」
「違うよ。昨日は大丈夫だったんだけど、今日になったらなんだかソワソワしちゃって……じゃなくて、どうして悠は知ってたの?」
「いやだって連絡先交換したし」
「いつの間に⁉」
「一昨日会った時」
大人は大人で、子供は子供で会話を楽しんでいた時に、連絡先を交換していた悠は、昨日の時点で菫から同居する旨を伝えられていた彩芽から教えてもらったのだ。
悠も伝えられた時は廉人と同じくソワソワしていたが、今はどうということはない。いつも通りの平常心だ。彩芽が来たらどうなるかはわからないが。
「それじゃあいつ来るかもわかってるんだよね」
「いや、俺は知らん」
「えっ、嘘……僕も知らないよ」
「聞いてみるか」
そう言って悠はおもむろにポケットからスマホを取り出す。
素早く画面に指を滑らせ操作し、無料通話アプリ——LINK——で用件を伝える。
「僕は掃除してるね。連絡来たら教えて」
「わかった」
と、そう言った会話を交わした時だった。ピロンッと言う音が響き、悠のスマホにメッセージが来たことを教える。
スマホの画面に目を落とした悠は、少し目を見開くとガバッと顔を上げ廉人を見た。
悠の行動を不審に思った廉人は、イヤな予感が頭を過りつつも悠の言葉を待った。
果たして、悠の口から紡がれた言葉は、廉人のイヤな予感を的確に射抜いていた。
「もうそろそろ、だってさ」
「まだ九時にもなってないよ⁉」
予想以上の早さに驚きを隠せずアタフタとする廉人に、悠はスマホを突きつけた。そこには悠と彩芽のメッセージのやり取りが書かれており、最新のやり取りには確かに、もうすぐ悠の家に着くと書かれていた。
「なんでこんなに早いんだ?」
「……しよ……どうしよう」
「俺に言うなよ」
どうすれば良いのかわからなくて少し涙目の廉人。どうやって宥めようかと悠が思考し始めたその時、インターホンが鳴った。
「来た⁉」
「俺が出てくるよ」
外に設置されているインターホンにはカメラが搭載されていて、家の中から訪問者を知ることができる。その機能を使って訪問者を確認した悠は、玄関へ向かった。
サンダルを履き、玄関の鍵を解錠して扉を開ける。
扉の向こう側にいたのは、黒髪の美女と美少女二人。紛れもなく菫、牡丹、彩芽の三人だった。
全員が大きめのボストンバッグを持ち、かなりの大荷物だ。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよ」
菫、牡丹、彩芽が悠に挨拶をする。悠も「おはようございます」と返して、家の中へと招き入れる。
「持とうか?」
「そう? じゃ、お願い」
ドアに施錠した後、靴を脱いでいる彩芽の隣に並んだ悠は、何気ない感じを装って提案した。
それに彩芽は軽い感じでお願いし、廉人が用意したのだろうスリッパに足を突っ込んだ。
彩芽にお願いされてやる気を漲らせた悠は、軽々とボストンバッグを持ち上げリビングに運んだ。ついでに牡丹と菫の分もやっておく。いくら牡丹が苦手とはいえ、ギクシャクしない円満な家族を築いていくためには好感度はあった方が良い。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
緊張した様子の廉人が、菫にお茶を出す。牡丹達にはオレンジジュースだ。
ダイニングテーブルは四人掛けなので、廉人と菫がそこに座り、悠達はソファに座っている。対面型のソファではなくL字型のソファなので、悠は牡丹と彩芽が座っていない方に座った。
本当は彩芽の隣に行きたかったが、LINKを使って沢山交流しているとはいえ、まだ今回を含め二回しか会ったことのない女子の隣に座るのはまずいと思い、やめておいた。
「そんなに緊張しなくてもいいのよ?」
「き、緊張なんてしてませんって」
「そう? 私には緊張しているように見えるけど。あなたもそうよね、彩芽?」
「うちもそー思う」
確かに悠は緊張していた。逆に、美少女二人とこれから義理の姉弟妹として暮らしていくと知って、緊張しない男などいるのだろうか? それに一人は悠の好みにばっちりはまっているのだ。
牡丹に突然話を振られた彩芽は、軽い感じで牡丹に同意した。感情が籠っていないことなど悠でもわかる。
「まずは敬語をやめた方が良いわね」
「……わかった。これから家族になるんだもんな。敬語はおかしいよな」
言葉遣いを指摘され、それには悠も異論はないので言葉遣いをいつも通りに戻す。
「あと、私達の名前、憶えてる?」
「牡丹さんと、彩芽さん」
「それ、さん付けやめてね」
「いや、でも……」
いくらこれから家族になる人でも、女子の名前を呼び捨てで呼ぶのは少し……いやかなり気恥ずかしい。
「お願い悠。呼び捨てで呼んで?」
さらりとごく自然に悠を呼び捨てで呼ぶ牡丹に少しドキリとしつつも、これは美少女に呼び捨てで呼ばれたからだと思い込み、激しく動悸する心臓を鎮める。
「……牡丹、彩芽」
「よくできました」
「子供じゃないんだけどなぁ」
名前を呼び捨てで言っただけで褒められたことに、子ども扱いだと思った悠は、牡丹に抗議の視線を送る。
そんな悠の視線を無視し、牡丹はこれまた自然な動作でソファを立ち上がると、悠の隣に座り直し、悠の頭を撫でた。昔廉人に頭を撫でられた時とは違う。あのゴツゴツしたような固い手の感触ではなく、柔らかい感触。いつまでも撫でられていたくなるような気持ちよさを孕んだ手だった。
「彩芽? さっきからほとんど話してないじゃない。どうしたの?」
「……別に」
牡丹に話しかけられた彩芽は、何処か不機嫌そうに牡丹から視線を逸らした。逸らした先にあったのは悠の顔で、目が合った瞬間不機嫌さが増したような気がした。