二話
陽光照らす春の温かさを感じる部屋に、悠の姿はあった。七畳ほどの広さの部屋には、ベッドに勉強机、びっしりとラノベが詰まった本棚だけが置いてある。勿論ラノベは妹モノが九割以上を占めている。
現在時刻は七時半。出発まであと一時間半ある。
「やばい。隈できてないかな」
悠はそんな部屋の中、具体的にはベッドに寝転がり布団に包まり、必死に寝ようとしていた。
今更寝ても遅刻するだけなのだが、遠足前の小学生のように昨夜は一睡もできなかったのだ。その為、悠は自分の目元に隈ができていないかが心配だった。
義妹様(仮)と今日会うのだから、少しでも自分をよく見せておきたい。
「お~い悠~! ご飯だよ~」
「わかった~! 今行く!」
階下から廉人の悠を呼ぶ声が聞こえてきた。
それに悠は返事をし、布団から出た。いくら寝ていないとはいえ、朝のこの冷える空気に身を晒してしまうとどうしても布団の中に戻りたくなってしまう。これが布団の魔力だろうか。炬燵と似たような魔力。まぁどちらにしても最強であることには変わらない。
「おはよう、悠」
「おはよ、父さん」
挨拶を交わし、それぞれの定位置に座る。ダイニングテーブルを挟んで対面に座る形だ。
今日の朝食は、トースト二枚とベーコンが下に敷かれた目玉焼き、インスタントのコーンスープだ。
「「いただきます」」
手を合わせ挨拶をしてから朝食に手を付ける。
こんがりと焼きあがっているトーストのサクサクした食感を楽しみながら、とろりとした半熟の目玉焼きを口に入れる。トーストによって水分がなくなり、黄身によってさらに口の中が気持ち悪くなったころにコーンスープを口に含む。
やはり昨日のパンと同様、安くても美味いものは美味い。トウモロコシの甘みを多分に含んだコーンスープをごくりと呑み込んだ。
二枚目のトーストはバターを塗り、バターが解けていく様子を楽しむ。完全に溶け切り口に含むと、ジワリと染み込んだバターが口内を刺激する。噛めば噛むほどバターの旨味が染み出してきて、全く飽きない。
最後に少しカップに残ったコーンスープを一気に飲み干し、今日の朝食は終了。
「「ごちそうさまでした」」
同時に廉人も朝食をとり終わり、いただきますと同様一緒に挨拶をする。
「さて、そろそろ準備しようか」
「そうだな」
いつの間にか時計は八時を過ぎていた。待ち合わせ時間まで十分に時間があるが、二人とも楽しみなのか早々に準備をすることにした。
自室に戻った悠は、自分のクローゼットを開けた。そこに広がるのは、ほぼ服が入っていない空間だった。
「ま、仕方ないよな。昨日買いに行っておけば……いや、あの時間じゃ無理か」
本当は義妹様に会うのでおしゃれをしていきたいが、生憎悠が持っている服はそこまでおしゃれではない。だがダサいと言う訳ではないので我慢することにした。
数年前から着ているように草臥れている去年買ったジーンズに、最近買ったかのように真新しい先週友人に買わされた真っ白なパーカー。それが今できる悠にとって最大のおしゃれだった。
「……義妹ができたら全身コーデしてもらおう。ついでに服を買ってあげて好感度を稼ぐのも……」
義妹を神聖視している思考はどこに行ったのか。今の悠の脳内にはどうやって義妹の好感度を稼ぐかで埋め尽くされていた。
「っと、もうこんな時間か……」
義妹への妄想を捗らせている間に、既に時計は八時四十五分を指していた。そろそろ一階に降りて廉人の準備が整うのを待っていた方が良いだろう。
「父さん、準備できた?」
「あぁ、悠。そっちこそできたの?」
「当たり前だ」
廉人はもう準備が整っていた。会社に行くときのようなスーツに身を包み、まるでこれから初対面の相手とのお見合いがあるかのように緊張しているように見えるので心の方の準備はまだのようだが。
「じゃ、じゃあ行くよ」
「まだ五十分だぞ。あと十分もある」
「早く行く分には大丈夫でしょ」
「それもそうか」
遅刻をしてしまうのならまだしも、早めに行く分にはなんにも問題はないはずだ。むしろ早めに行くべきなのかもしれない。
「鍵は閉めた?」
「閉めたよ」
悠が廉人に鍵をかけたのか確認する。実は以前に鍵をかけ忘れると言う事件が起こったのだ。幸い、空き巣によって荒らされることはなかったが、それ以降必ずどちらかがもう片方に確認することにしている。
閑話休題。
鍵の確認を済ませた悠と廉人は、廉人を先頭に待ち合わせ場所へと歩を進めた。
「なぁ父さん。今九時なんだけど」
「そうだね」
「そうだね、じゃねぇよ。もう目的地についてるんだけど」
「そうだね」
「いくら何でも早すぎないか?」
「そうだね」
「それしか言わないの?」
午前九時。それは昨日決めた悠と廉人が家を出る時間だ。しかし、今現在悠達がいるのはとある喫茶店。悠の家から歩いて五分もかからないほど近くにある喫茶店だった。
「父さん昨日、十時に待ち合わせだって言ってたじゃん。絶対早いよ」
「だから早い分には——」
「早すぎんだよ⁉」
あと一時間くらい出るのが遅くても十時までには間に合ったはずだ。いくら早い方が良いと言っても、限度があると悠は思う。あと一時間も男二人で何をしろというのか。
そして一時間が過ぎた。一体何をしていたのかというと、只々無言で過ごしていた。最初の数分は頻りに話しかけていた悠だが、ひどく緊張しているのか、何処か上の空の廉人には何を言ってもちゃんとした反応がなかったので、諦めてスマホゲームをしていた。
そうして過ぎた一時間。遂にその時が来た。
「いらっしゃい」
カランカランという喫茶店の扉に設けられているベルが鳴る。マスターのどこか安心するような優しい音で放たれた、来店客を迎え入れる声が耳朶を打つ。
この一時間の間に何回かその音は鳴ったが、待ち合わせ時間ではなかったのでそこまで気にしていなかった。
しかし、今回はそうはいかない。待ち合わせ時間だからだ。だから、どうしても意識が来店する客の方に向かってしまう。
「お待たせしてしまいましたか?」
「い、いえいえ、全然……」
果たして、先ほど来店した客は、廉人の待ち人だったようだ。
テーブルの横に立っているその妙齢の女性は、目を見張るほどの美しさだった。
店内の照明を反射し煌めく黒髪に、服を盛り上げる膨らみ、服の上からでもわかるモデルもうらやむようなウエストの細さに、大きすぎず小さすぎないお尻。テレビで見かけるような女優と引けを取らないその容姿は、悠を一瞬にして虜にして見せた。
白のブラウスに黄緑色のカーディガンを羽織り、黒色のゆったりとしたスカートを穿いている。
この方が義姉だろうかと一瞬思ったが、この人の後ろに二人いることから、廉人のお相手さんだと考え直した。
悠よりも年上の子供を持っているので、もしかしたら廉人よりも年齢が上なのかもしれないが、とてもそうは思えない。二十代と言ってもバレないかもしれない。
「そ、それより、座ってください」
「失礼します」
廉人のお相手さんと、その子供だろう二人は、席に着いた。廉人と悠が並ぶように座り、その対面に三人が座るような形だ。
「自己紹介でもしましょうか。わたしは菫です。よろしくお願いします」
「わかってるわよ。私は牡丹よ。牡丹の花の牡丹。よろしく」
「うちは彩芽。彩る芽と書いて彩芽。よろしく」
「悠もして」
「わかってるって。俺は悠。悠然の悠と書く。こちらこそよろしく」
二人とも母親と似た艶やかな黒髪だが、牡丹が腰にまで届きそうなほど長いのに対し、彩芽は背中あたりまでしか伸びていない。容姿も遺伝なのかモデルや女優が裸足で逃げだすような美しさ。ただ、彩芽は美しいと言うよりも、年齢が中学生のような感じから可愛いと感じてしまう。
母に負けず劣らずなボリューミーさを持っている牡丹に対し、彩芽は微かに膨らんでいるだけ。それが逆に悠の好みなので、今現在悠の義妹に対する思いが爆上がり中なのだが、それは置いておく。
自己紹介が終わってからは、妙に緊張してる廉人と菫の大人の会話と、悠と牡丹と彩芽の子供同士の会話が続くだけだった。
それで得られた情報としては、牡丹は悠より二つ年上で、彩芽は逆に二つ年下だと言うこと。悠が来年度から通うことになる高校に牡丹が通っているということ。今まで悠が通っていた中学校に彩芽が通っているということ。あとはそれぞれの誕生日や好きな食べ物、嫌いな食べ物くらいだ。
「あら、長く話過ぎてしまいましたね。そろそろお夕飯の準備をしないと」
時が流れるのは速いもので、十時に会った時からもう六時間が経っていた。流石に経ちすぎだろうとは思うが、誰も帰ろうと言わなかったので、それだけ楽しかったということだろうか。
少なくとも悠は楽しかった。義妹になるであろう彩芽と話すのは楽しかった。義姉になるであろう牡丹との会話も楽しかったが、やっぱりどちらの方が楽しかったかというと彩芽に軍配が上がる。
理由としては、何故か牡丹を見てしまうと言いたいことが言えなくなってしまうのだ。その気持ち悪さから、悠は家族になってもあまり話さないようにしようと心に決めた。
「どうだった?」
「彩芽が可愛かった」
「牡丹ちゃんは可愛くなかったの?」
「見た目は良いけど、なんか苦手」
「何それ」
廉人は失笑した。悠の言っている意味が分からないのだろう。
「父さんこそ、どうだったんだよ」
「僕? 楽しかったよ、とっても」
「あのさ、父さん」
「なに?」
「菫さんってさ……」
「気付いちゃったか……」
「そりゃあ、父さんだから」
それは、昨日から思っていたこと。薄々そうなんじゃないかとは思っていたが、確信を得られなかったこと。今でも確信は無いが、廉人が認めると言うことは、やっぱりそういうことなんだろう。
「菫さんってさ——妹なんだろ?」
「それ、僕の妹みたいに聞こえない?」
父、廉人は大の妹好きだ。その廉人が好きになるのは、妹属性持ちだろうとは思っていた。実際、悠の母には兄と姉がいた。
「父さんは俺以上に変態だと思う」
「僕は悠が僕と同じくらい変態だと思ってるんだけどなぁ」
「それはないな」
妹属性が好きだから、妹属性持ちの相手と結婚する。かなりヤバい人じゃないだろうか? ちゃんとそこに愛はあるのだろうが、悠にはどうしても変態にしか見えなかった。