十八話
会話は、ほんの数分前よりも少ない。二人の間を沈黙が支配し、靴が地面に接触する音や路上の小さな石を蹴飛ばす音がえらく耳に残る。
けれど、悠も牡丹も居心地の悪さは感じていなかった。芽依やさつきがいた時と比べてコミュニケーションの量が減っているが、その時と同じかそれ以上に充足感を感じている。落ち着く、という意味でも二人っきりの方が大きい。
「悠?」
「ん?」
突然、牡丹が話しかけた。悠は牡丹の方に顔を向け、牡丹の横顔を見る。
「計画は実行できそうかしら?」
「……わからん。そもそも俺に惚れさせるために、どうすれば良いのかすらもわからない」
「そんなの簡単よ。デートに誘えばいいの」
「俺にそんだけの勇気があるとお思いか。その前に如月先輩が外に出たら大変だろ」
今は活動の頻度を大幅に下げているが、さつきは国民的女優だ。だから、一度街中に出ればそこにいる人たちに囲まれて大変なことになってしまうだろう。
「変装すれば大丈夫よ。仲のいい兄妹と思われるはず」
「確かにその通りかもしれないが……」
「もう、悠は素直じゃないわねぇ。騙されたと思って一回アタックしてみなさい? 言ったでしょう、さつきは優しいのよ。仲良くなった相手のお誘いを断るとは思えないわ」
「……如月先輩の弱点に付けこめ、と?」
「別にそこまで言ってないわ。さつきだって仲が良いからこそ、きっと許してくれるだろうと断るかもしれなわ」
「ほぼ有り得ないことだろ、それ。唯一あるとしたら牡丹くらいじゃね?」
「そうね。もし、デートが難しいのならば、名前呼びしてみるとかはどうかしら? 結構ドキッとするはずよ」
「名前呼びねぇ……」
想像してみる。
あの国民的女優で可愛いさつきに、自分の名前を下の名前で呼んで貰えることを。
果たしてそれは、表現が仕切れないほどの幸福で満ち溢れているのではないだろうか。それをさつきも感じてくれるのならば……
「いいかもな」
「そう、じゃあ明日から実行しているといいわ。善は急げ、よ」
「試してみるよ」
駅から悠の家まで、それほど遠くはない。牡丹と話しているうちに、家の前まで辿り着いていた。
「ただいま~」
悠が扉を開け、そのままの順番で家に入る。先に『ただいま』と言ったのは悠だ。
その声に反応したのか、リビングの方からトテトテという擬音が付きそうな足取りで彩芽が現れた。
彩芽は玄関まで迎えに来ると、満面の笑みで、
「おかえりなさいっ、お姉ちゃん!」
と言った。
これは予想できていたことだ。だから悠のショックはそれほど大きくない。真っ白な灰になる程度だ。消し炭になっていないので軽傷だろう。
「ただいま、彩芽。ちゃんと悠にも言わないとダメよ」
「……おかーり」
凄く不服そうに、棒読みで言われたが、それでも悠は灰から生身の人間へと生き返った。
悠と牡丹は二階に上がり、服を着替えることにした。親鳥に連れる雛のように、牡丹の後ろを彩芽が付いて行く。
「今日はママの手料理だって!」
「そう、それは楽しみね」
「それでね、なんか大事な話があるらしいよ?」
「大事な話……? 弟か妹ができることかしら」
「さ、さぁ……?」
あまりそういう話に慣れていないのか、顔を赤らめて小声になる彩芽に、悠は勿論死亡した。「あんな表情、反則だろ……」と言い残して。
部屋着に着替えた悠と牡丹は、彩芽を連れ立ってリビングへ向かった。そこには既に廉人の姿も見えていて、何やら真剣な表情で椅子に座り、テーブルを見つめていた。
その雰囲気に、気圧されるものを感じた悠は、生唾を呑み込んで席に着いた。牡丹も珍しく、見たことのない廉人の雰囲気に圧倒され、顔を強張らせて座る。
当然姉がそんな様子なのだから、妹である彩芽も同じように、緊張した面持ちで着席する。
キッチンでは菫がご飯を作っている。
「そ、それで父さん。何か話があるって彩芽から聞いたんだけど」
「……全員が揃ってから話すよ」
「あ、ああ」
一切表情を崩さず、心なしかいつもよりわずかに低い声で返答する廉人に、悠はただならぬ要件なのだと察する。
「(悠、なんかお義父さん怖いわ)」
「(俺もあんな父さん見たことない)」
「(どんな話があるのでしょうね)」
「(これだけ溜めてるってことは、よっぽど重要なことだとは思うけど……)」
「(見当がつかないわよね。弟妹が増えるということ以外には)」
「(そういうことならいいんだけどなぁ……全く別方向な気がする)」
悠は小さいころから勘が良く当たっていた。些細なことからちょっぴり大きなことまで。
だから悠は自分の直感は当たっていると思っている。
「さぁ、ご飯ができましたよ~」
話の内容を考えているうちに、ご飯ができたらしい。悠と牡丹が協力して、テーブルに料理を持ってくる。
「「「「いただきます」」」」
「召し上がれ」
胸の前で手を合わせ、いただきます。今日のメニューはハンバーグだった。悠的に結構嬉しい。
ご飯を三、四口ほど食べた時、遂に廉人が口を開いた。
「もうみんな知ってると思うけど、少し重要な話がある」
「いつにもなく勿体ぶってるけど、どうした?」
「悠、今は何月?」
「四月だけど?」
「四月の終わりから五月にかけて何がある?」
「……ゴールデンウィーク?」
「そう! ゴールデンウィークがあるんだよ!」
「お、おう」
「そこで、皆で初めての家族旅行に行こうと思うんだ」
廉人と菫が婚約してから、まだ一月も経っていない。さらに悠は入学を控えていたりしてバタバタと忙しく、彩芽は春休みに出された課題を終わらせるのに手いっぱいだった。余裕があったのは牡丹くらいだろう。
ということは、家族で出かけたこともないということで。
だから廉人は、ゴールデンウィークという長期休暇に家族旅行に行こうと言い出したのだ。
悠や牡丹、彩芽に断る理由はないので、三人は快諾した。
「それで、ここからが重要な所なんだ」
少し低くなった声で、廉人がそう言った。それに続くように、視線も変わる。より真剣な物へと。
「──この家族旅行、行き先をまだ決めてないんだ。皆はどこに行きたい?」
手を口の前で組む、所謂ゲン〇ウポーズをしながら、廉人が尋ねる。
「鎌倉が良いっ!」
真っ先に返答したのは彩芽だった。手をテーブルにつき、立ち上がりながら提案する。
「私は三重県にある羽鳥水族館が良いわ」
「俺は鎌倉でいいと思う」
彩芽に続くように牡丹が答え、それに続き悠が彩芽に賛同する。
実は悠には打算がある。ここで自分の行きたい場所を言うのではなく、彩芽に賛同しておくことで少しでも好感を持ってもらおう、ということだ。
菫たちがこの家に来てから、牡丹と話すことは合っても彩芽と話す機会は少なかった。さらに悠に対してだけ反応が冷たいので、悠は必然的に嫌われていると感じていた。
だからここで彩芽に賛同しておくことで、結果的に多数決になっても多数派である彩芽の行きたいところに行くことができ、その結果好感を得られると考えたのだ。
「いいね、水族館! うちやっぱ鎌倉よりそっち行きたーいっ!」
が、彩芽は牡丹に賛同してしまった。悠はそれが自分が同じところに行きたいと言い出したことと関係しないことを願うばかりだ。
「二人とも水族館でいいって言ってるんだけど、悠はダメ?」
「いや、水族館でもいいよ。どうしてもって訳じゃないし」
「じゃあゴールデンウィークは水族館に行こう」
「いぇーい!」
彩芽が嬉しそうに言う。それをほんわかとした気持ちで眺めている悠だった。




