一話
誰一人と喋らず、体育館を静寂が包む。
壁には紅白幕が張られ、ステージ上には数人の生徒と校長、副校長の姿がある。
体育館では三年生がパイプ椅子に座り、真剣な表情でステージを見つめる。生徒の横にも座席が設けられており、そこには来賓の方々が座っている。生徒の後ろには保護者席があり、その保護者も生徒と同じくステージを見つめている。
「——橘樹 悠」
「はい」
ステージに上がっている生徒の名が呼ばれる。呼ばれた生徒は大きな声で返事をすると、生徒や保護者の方を向いていた体を右に九十度回転させ、ステージ上に置かれ校長と副校長が待つ演台へと歩を進めた。
「卒業おめでとう」
校長が副校長から受け取った卒業証書を両手で渡し、生徒——悠は左手から右手と交互に卒業証書を掴むと、一歩後ろに下がり頭を下げながら受け取った。
そして左に九十度体を回転させ、ステージから降りる階段へと向かう。
「——田中 唯人」
悠の次の生徒の名前が呼ばれ、悠や彼よりも先の生徒と同じく、演台へと向かう。
悠はそれと同時に階段を使ってステージから降り、卒業証書を筒に入れてもらってから自席へと戻った。
今日は卒業式だ。
■■■
周りが友達や家族と和気藹々とした空気で学校から帰る中、悠は一人で帰路に就いていた。
悠は友達がいないと言う訳ではない。だが、その友達は家族と一緒にいたので、邪魔をしたら悪いと思い悠は軽い挨拶だけして別れた。
悠の父は多忙で、今日も卒業式という大事な日なのにもかかわらず来ることができなかった。だが悠は悲しむことはない。何故なら、それはもう小学校の時に経験済みだからだ。今更悲しむ必要がないのだ。
家に着き、二階にある自室の中に入った悠は、今日以降着なくなる中学校の制服に特に何も感じることなく部屋着に着替えた。グレーのスウェットに同色のスウェットパンツというとてもラフな格好だ。
着替え終わった悠は一階に降りて、冷蔵庫の中を覗いた。
今日は卒業式だったので、当然昼食などない。朝食はしっかりと食べたが、それでもお昼頃になるとお腹は空く。
張り詰めた空気の中に長時間居たことによる精神的疲労により、昼食を作る気力がない悠は、簡単に常備している菓子パンで昼食を済ませることにした。
冷蔵庫から牛乳だけを取り出し、コップに注ぐ。
「いただきます」
しっかりといただきますと言ってから食べ始める。それが悠の中の独自のルールだ。
今日のメニューはメロンパンと牛乳。それだけ。メロンパンを一口食べ、パンによって水分が吸収されパサパサになった口内に牛乳を流し込み潤いを取り戻す。
流石というべきか、やっぱりというべきか、いくらコンビニのパンだと言ってもおいしいものはおいしい。
「ごちそうさまでした」
いただきますと同様にちゃんと挨拶をしてから席を立ちあがる。
パンの袋をゴミ袋に入れ、牛乳を飲んだコップも流し台の中に入れておく。
昼食を取り終わった悠は自室に戻り、少し眠ることにした。
「ん……」
悠が目を覚ましたのは、すっかり日が落ちた頃だった。いつの間にか電気は消され、布団もしっかりかけられていた。
廊下に出た悠は、静かに階段を下り一階に降りた。
階段の隣にあるリビングを見ると、電気が点いていた。この家には悠と悠の父しか出入りしないので、必然的に悠の父がそこにいると言うことになる。
「お帰り。いつ帰ってきたの?」
「あぁただいま。少し前だよ」
廉人。それが悠の父の名前だ。
廉人はソファに座りテレビを見ていた。ソファの前にある背の低い長机の上には湯気を立ち昇らせているコーヒーが乗っていた。廉人の少し前に帰ってきたという発言は正しかったようだ。
それに廉人は未だにワイシャツを着ていた。そこに悠は疑問を抱いた。
「着替えないの?」
いつもは帰ってきたら何よりも先に着替える父が、何故今日は着替えずにコーヒー片手にテレビを見ているのか疑問だ。
「ちょっとな……」
その〝ちょっと〟とは、どういうことなのだろうか。深く追求したいが、言葉を濁すと言うことは、言いたくないのだろうと予想し、これ以上聞くのをやめておいた。
もし教えてくれるのならば、こちらからではなくあちらから言ってくるのを待とう。
「なぁ悠。もし、悠に妹ができるって言ったら、どうする?」
「まずどこの女性を孕ませたのかを問い詰める。そして情報を聞き出してからその女性に土下座を決行する」
突然話しかけてきたと思ったら、何やらとんでもない言葉が飛び出してきた。
「何故そう言う発想になる? 僕が再婚するという可能性は考えなかったの?」
「考えたがそれはないと即断した」
「しないでよ」
廉人はもう既に四十である。確かに再婚の可能性はあるだろうが、廉人はとある性癖があるのでその可能性はないだろうと即座に切り捨てたのだ。
そして、その性癖というのが、
「だって父さん、無類の妹属性好きだろ」
「いやまぁそうだけど……」
廉人は、妹属性が好きなのだ。だから悠の母も妹属性持ちだった。
「だけど?」
「それを言うなら悠だって好きじゃないか、妹」
「好きじゃない。大好きだ」
「変わらないよ」
遺伝子なのか何なのかは不明だが、悠も廉人と同じく妹属性が好きだった。
しかし、同じ妹好きである悠と廉人には、相容れない激しい主張の鬩ぎ合いがある。
「それと何度も言うが、俺が好きなのは妹だけども、どちらかというと実妹よりも義妹派だ。妹好きという一括りで纏めるのはやめてもらおうか」
「僕だって妹が好きだけれどもどちらかというと義妹よりも実妹派だよ。そっちこそ妹好きという括りで話すのやめてよ」
義妹属性好きである悠と、実妹属性好きの廉人の、仁義なき戦いはかなり前から勃発している。
「……まぁ、それは今は良い。で、再婚ってどういうこと?」
「……今日、直接会って決めた」
「おぉ、もう手は付けたのか」
「言い方、気を付けて。まだだから」
「〝まだ〟ねぇ……?」
悠の顔から笑みがこぼれて止まらない。
「……ゴホン。それで、前々から好きだったことを伝えたらそのままの流れで結婚まで行っちゃって……」
「へぇ~? 別に父さんが再婚しようが俺には関係ないと思うが? 何か相談があったから話してくれたんでしょ?」
質問ではなく、断定するような聞き方。実際、悠は何かあると踏んで尋ねた。今までも何度かこういうことがあったので、勘と言う訳ではない。
「いや、悩みがあるという訳じゃないんだ。実は、相手の女性もバツイチで子持ちなんだよ」
「バツイチなら珍しくないんじゃないか?」
「確かに珍しくないだろうけど、そのお子さんが……」
「かなりアレ、とかか?」
暴力を振るうとか、暴言を日常的に吐くなどのかなりアレな子がいるとしたら、悠としては是非とも結婚を考え直して欲しいところである。
しかし、廉人の口から出てきた人像は、悠の想像とは違っていた。
「いや、礼儀正しくてとても良い子達だよ」
「良い子、達……?」
「うん。その子達って言うのが、もし再婚したら悠の義姉と義妹という関係になるんだ」
「是非とも結婚してください!」
義妹がいる、という時点で悠は断る理由はない。それどころか応援する理由には十分だ。義妹属性好きである悠にとって、廉人の再婚はとてもいい話だった。
もし先に考えた通り暴力や暴言が激しい子であっても、悠は再婚を進めるだろう。
「く、食いつきが凄いね」
「義妹ができる時点で俺は無理にでも父さんを結婚させる覚悟だ」
「凄い覚悟だね。別にそこまで覚悟する必要はないんだけど。それにできるのは義妹だけじゃなくて義姉もだからね?」
「そっちには興味ないから」
「徹底してるね」
悠は年上が嫌いと言う訳ではない。好きというにはまだ遠いかもしれないが。
「それで? さっきも言ったが俺にそれを言う必要があったのか?」
「勿論だよ。……悠、血の繋がりが無いからって、襲わないでね?」
「襲わねぇよ」
少し食い気味に反応する。
確かに悠は義妹属性が好きだ。けれども、性欲の対象は義妹じゃない。
悠にとって義妹とは、神聖な存在なのだ。そのお方に対して欲情することは万死に値すると考えている。ただし、同意があった場合は除く。
「それだけか?」
「うん。一番の心配事がそれだったからね」
「それはどういう意味だ」
息子が新しくできる義妹を襲わないかを一番心配するとか、自分の事をよく理解してくれている良い父親なのか、自分の事を信用していないダメな父親なのか判断に悩むところだ。
「それでね、悠。明日から春休みでしょ。明日も会うことになってるから一緒に行こうよ」
「やだよ面倒くさい。てか俺が行く必要あるのか」
「明日はお互い子供を連れてきて合わせようって今日話して——」
「何時に出発なんだ?」
「流石だね」
義妹となるお方と会えるのならば、この世に面倒なことなどという事柄はない。義妹様の為ならば、喜んでパシリになるだろう。
「明日は十時待ち合わせだから、それに間に合うように準備してね」
「まず目的地を知らないのでいつここを出るのか知らないんですがそれは」
「とりあえず一時間くらい前にここを出るよ」
「了解」
そこで悠と廉人の会話は途絶え、悠は自室に、廉人は風呂に向かった。
自室に戻った悠は、義妹ができるかもしれないという喜びから、枕を抱きしめながら吠えた。大丈夫、枕を口に当ててるから近所迷惑ではない。はず。
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