第四話 滅亡した集落
時間を少しだけ遡る。
ティターはエルナダ大陸の港に到着してすぐに船を下りた。
船には教え子のリピレイも乗っていたが、ここはもう学園ではない。教師と生徒の関係ではなくなった今、赤の他人だ。
まずはエルナダ大陸の情勢を把握するべく、ティターはリニューカント執政軍の支部を訪れた。
リニューカント執政軍は元々流刑地であったこのエルナダ大陸の実質的な行政組織を担っている。徴税権すら有し、本国では軍閥として認識されていた。
しかも、本国の意向が届きにくいこのエルナダ大陸で手に入れた各種利権に胡坐をかき、行政組織としては腐敗している。その腐敗ぶりは海を越えて遠く本国まで悪臭が届くほど。
曰く、本国との貿易を牛耳り、物流を掌握。
曰く、犯罪組織Gの兄弟と繋がり人身売買や麻薬密売を黙認し、キックバックを受けている。
他にも様々な噂が聞こえてくる組織だ。
(しかし、何事も自分の目で見なくてはいけません。人の噂は事実を誇張しやすいのですから)
ティターは鼻歌交じりにリニューカント執政軍の支部の前まで来て、回れ右して宿を探すことにした。
一目見て、役に立たない組織だと分かったからだ。
(まさか、昼間から支部に娼婦を連れ込むとは。これでは玩具にもなりませんね)
腐敗していようと行政組織ならば何らかの情報が得られるかもと期待していたが、当てが外れた形だ。
ティターは適当に見つけた宿に一室を借り、宿の主人に世間話を持ちかけた。
「エルナダ大陸の情勢?」
「えぇ。先刻、船で到着したばかりでして。人手を募集しているところなどあれば出向いてみるのもいいかと思いましてね」
「へぇ、本国から? それはまた物好きな。人手ねぇ」
どこも人手不足ではあるが、と宿の主人は呟いて、思い出したように外の通りを指差す。
「三角教が懸賞金をかけて金髪の少女を追ってるらしい。何でも異端者らしくてな。聞いて驚け、エルナダ文明の邪神の封印を解いちまったんだそうだ」
「ほぉ、エルナダ文明ですか」
エルナダ大陸には先住民がいるが、彼らの文明レベルはさほど高くない。しかし、エルナダ大陸各地で見つかる遺跡は非常に高度な魔法文明であったらしいことが研究で判明している。
魔物に襲撃される危険もあるため調査が遅々として進まず、未だに未発見の遺跡も数多く残されている。エルナダ文明はどうやら複数の国家からなっていたとも言われるが、真相は定かではない。
「しかし、妙ですね。三角教は先住民の信奉する土着宗教も半ば取り込む形で発展していると聞きましたが?」
「発展ときたか。本国ではそんな皮肉が流行ってるのかい?」
とびきりの冗談を聞いたとばかり快活に笑った宿の主人は続ける。
「人を生贄にした妖しい儀式をやっているなんて噂もあるくらい、教えが捻じ曲がってるよ。敬虔な信徒ほど近寄らない教会だ。まぁ、おおっぴらに批判するのが不味い風潮はまだ根強いがね。ともあれ、異端者が復活させた邪神というのは先住民にとっても邪神らしい。遺跡に封印されていたんだと」
「それはそれは、年代物の邪神でいらっしゃる」
「もしかしたら角が取れて丸くなっているかもな。焼いた樽に保管されていたって話は聞かないが、多少不味くても金髪の美少女に酌をしてもらえれば気分よく酔えるって――」
「おっと、店主さん、その辺りで」
「なんだい? 年増が好みだったかい?」
ティターが止めるのも聞かずに冗談を言って笑おうとした宿の主だったが、後ろから聞こえてきた軽い足音に気付いて口を閉ざした。
間をおかず、朗らかな顔をした茶髪の女性が裏口から入ってくる。今日の夕食用にか、細長いパンと海産物や野菜が乗った籠を持っていた。
「お客さん、いらっしゃい。うちの旦那が失礼な事を言わなかったかい? お客さんとずいぶん盛り上がっていたみたいだけど」
女性にしてはやや低いが濁りのない綺麗な声をかけてきたこの女性は、どうやら宿の主の妻らしい。
ティターはにっこりとほほ笑み返す。今年で二十八歳になったティターだが、整ったその顔立ちで笑みを浮かべると信頼できる好青年のように見える。
「えぇ、人手を募集しているところはないかと相談に乗ってもらっていたのですが、思いの外、息が合いまして。多少不味い酒も金髪の美少女に酌をしてもらえば気分よく酔えるとの旦那さんの言葉は私も同感ですよ」
「ちょっと待てってお客さん、それは言葉の綾ってもんだ」
妻の前で蒸し返されたくない話題を出されて、宿の主は慌てふためく。
女性はすっと目を細めて、すねたように宿の主を見た。
「――金髪でもない年増で悪かったね」
ぎくりとした顔の宿の主が振り返る事も出来ずに硬直した。
(良い表情です。実に良い。この引き金が引けたことを邪神と異端者の少女に感謝しなくてはいけませんね)
ティターはとても晴れやかな気持ちになっていた。
「それでは、私は部屋に行きますね」
「お客さん!?」
見捨てないでと言いたそうな悲鳴染みた声が聞こえてきたのを無視して、ティターは廊下の奥の客室へ引っ込んだ。
※
宿を拠点に数日間情報収集してみたところ、三角教が追う異端者の少女についていくつか判明した。
一つ、金髪で小柄な美しい少女である。
二つ、邪神を復活させたとの噂だが出所は三角教までしか辿れない。
三つ、異端者の少女が邪神を復活させた遺跡につい最近調査に入った考古学者がいる。
四つ、件の考古学者は名をマルハス。調査中に呪いを受けたとのうわさが流れている。
五つ、異端者の少女の目撃情報は不確かながら、三角教の人員の動きを追うとマルハス氏を追いかけている素振りがある。
六つ、マルハス氏はこの港町で銀髪の北方系美少女と合流し、呪いを解くため森の奥の遺跡を目指している。
「北方系美少女ですか」
リピレイの顔が思い浮かぶ。
ティターと同じ船でこの港町にやってきたリピレイの姿は下船直前から一度も見ていない。
エルナダ大陸は先住民と流刑民と自由移民で成り立っているため、別人の可能性は否定できなかったが、時期が符合しすぎているのが気になった。
いずれにしても、異端者の少女について探るのであれば考古学者マルハスの足取りを追うのが効率的だろう。
「三角教の内情を探るのにも利用できそうですからね」
三角教の評判に関わる重大事項が出てくればそれをネタに面白い事も出来るだろう。
そう考えて、ティターは手始めに考古学者マルハスが調査したという遺跡に向かったのだが、現地は武装した三角教の教会兵が封鎖していた。
「これは、何の騒ぎでしょうか?」
「なんだ、お前は」
教会兵はティターの質問には答えずに槍の穂先を向けてくる。
「本国から遺跡観光に来ました。ここに遺跡があると聞きまして」
「見てわからんのか。現在封鎖中だ。失せろ」
「三角教の方々が遺跡の管理をしていらっしゃるんですか?」
「失せろと言っているのが分からないか!?」
質問には一切答える気が無いらしく、槍の穂先を向けるだけではなくいつでも突けるよう構えまで取る。
ここで騒動を起こしても何も得る物はないと判断して、ティターは両手を上げて降参の意を示し、背を向けた。
真偽はどうあれ考古学者が呪われた遺跡だ。封鎖されるのはおかしい話でもない。問題は、何故行政組織としての役割を持つリニューカント執政軍ではなく三角教が出張ってきているのかだ。
いくらリニューカント執政軍が腐敗した行政組織であっても、自らの利権の根幹をなす行政機能の一部を他所に委託するとは考えにくい。
つまり、遺跡の封鎖はリニューカント執政軍ではなく三角教の独断専行の可能性が高い。
(この情報をリニューカント執政軍へ垂れこめば対立構造を誘えますが、それだけでは面白くありませんね。組織上部で話し合いの末に手打ちとなれば私が楽しめませんし)
巻き込むのならリニューカント執政軍だけではなく世間一般を巻き込みたい。
考えていると、港街へ続く道から増援らしい三角教の武装集団がやってくるのが遠目に確認できた。
鉢合わせるとまた面倒なやり取りをすることになりそうだと、ティターは道を外れて森の中へと入る。
手入れされていない森の中はあちこちに見慣れない植物が生えている。植物型の魔物の可能性もあるため慎重に奥へと進んでいくと、遠くにきらりと太陽光を反射する何かが見えた気がした。
木の陰に身を隠しながら、ティターは森の奥へと目を凝らす。
「集落?」
誰にともなく呟く。
森の奥へと分け入ってみると、ティターの予想通り紛れもない集落がそこにあった。
太い丸太を中心にした円筒形の木造家屋が立ち並ぶ。エルナダ大陸原住民の建築様式だ。
だが、人はいない。
「どうにもおかしな話になってきましたねぇ」
ティターは呟きながら、集落を見回す。
人はいないが死体はある。無数に、無残に、異常な死体が。
遺体は、木造家屋の中心に添えられた丸太から伸びた無数の太い枝に拘束されていた。まるで、急成長した樹木から逃げ切れなかったように見える。
「死因は餓死ですか」
遺体を一つ一つ検分しておおよその死因を推測する。苦悶の表情を浮かべている遺体は一つもない。どれも諦めたような表情だ。
死後どれくらい経過しているのかは分からないが、腐敗はしていないように見える。拘束している木に防腐効果でもあるのかもしれない。
「ちょっとお邪魔しますね」
ティターは建物の入り口で餓死しているご老人に和やかに声を掛けつつ建物へと足を踏み入れる。
中央に鎮座する丸太はどう見ても立ち枯れている。魔物の類にも見えず、ティターは警戒しつつもこの異常な現場を作り出したヒントが無いかと家探しを始めた。
「お邪魔しました。いい家ですね。素敵なタペストリーでした。今度はこちらにお邪魔します」
別の家へと入って家探し、そして次の家へ。
何度か繰り返していると、集落の長らしき人物の家を見つけた。
先住民の言葉で書かれた本がいくつか残っていた。もっとも、ティターは先住民の文字までは分からないため、ぱらぱらとめくるだけのつもりで中を見た。
「絵本? いえ、伝承を伝えるための物でしょうか?」
本の中には独特の挿絵と短い文章が載っていた。挿絵の雰囲気から見るに神話や伝承を伝えるための物かと最初は思ったが、ページをめくっていくにつれてどうにもおかしな挿絵が続くのに気が付いた。
遺跡を残して既に滅んだエルナダ文明の在りし日を表したような絵に異質な人型の生物を崇めるような絵が続く。
崇められている人型の生物は、樹皮のような肌を持ち、頭部は球状に密生した小さな花で構築されていた。次のページも構図が同じ絵だったが、人型の生物の足元に植物の芽が出ており、さらに次のページでは芽が巨木となって果実を付けていた。
まるで、この異形の人型が植物を急成長させたような絵だ。
奇しくも、この集落の異常な状況に説明が付く。
(植物の生育を操る能力を持ち崇められるナニか。農業の神か何かでしょうか。封印されていた邪神の正体?)
次のページには異形の人型が倒れ伏す人々に種をまく姿が描かれていた。最後のページには倒れ伏す異形の人型を肉体と精神の二つに分けたような絵と何かの魔法陣。
ティターは半ば確信しながらも、断定はしなかった。
本を鞄に入れて、家を出る。
「この本をお借りしますね」
近くで木に飲み込まれているご老人に声を掛けて、ティターは集落跡を出た。
遺跡を三角教が封鎖しているのも気になるが、異端者が復活させたという邪神も気にかかる。
(もしかすると異端者が邪神を復活させたのではなく、マルハス氏が邪神の精神を復活させ、異端者と呼ばれる金髪の少女が再封印のために後を追っているのでは? 考えすぎかもしれませんが、マルハス氏との接触を急いだ方がよさそうですね)
その日の内にティターは港町の宿を出て、エルナダ大陸の内陸へ向かった。
※
「――というのが、ミチューさん、あなたに会うまでのあらましというわけです」
ミチューが異端者のレッテルを貼られて逃げ出したところを捕まえたティターは語る。
だまって話を聞いていたミチューは小首を傾げた。
「つまり、件の異端者の少女はマルハスって考古学者さんを追いかけているから、マルハスさんのところに行けば、異端者の少女を捕まえられる?」
「えぇ、その通り。ですが、現在はマルハス氏の足取りが掴めておりません。そこで、マルハス氏が目指している遺跡へ先回りしようと思います」
「森の奥にあるという話の遺跡ですか?」
「その通り。ただ、森に巣食う魔物が非常に強力で、私一人では突破できずに困っておりましてね。ミチューさんは魔法実技の成績も良好だったと記憶していますので、誘ってみようかと」
お互いに異端者の少女や邪神についてなど、情報が足りていない。悪い取引ではないはずだとティターが提案すると、ミチューは頷いた。
「分かりました。私も何が起こっているのか知りたいですから、ティター先生と利害が一致してます」
世間が持つ情報を知らなくては自らの評判を覆して見返す事も出来ないからと、ミチューは同行を決意した。
森の奥へ向かうための準備をするべく、まずは拠点を確保しようと並んで歩き出す。
ティターは尾行の有無を確認しながら考えをめぐらせる。
(不確かな情報でミチューさんの身柄を確保しようと動くほど三角教は焦っている。遺跡の封鎖といい、どんな裏があるのでしょうね)
どんな裏があるにせよ、暴き立てて公表した時、果たしてどんな騒ぎが巻き起こるのかティターは楽しみで仕方がなかった。