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下種共が流刑地にて狂い咲き  作者: 氷純
第三章 薬の邪神

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第八話 一強状態

 ティターは無人となった教会の長椅子に腰掛けて、神像を見上げて笑っていた。


「神とはいまだに人間を信じる偉大な狂人だ、とは誰の言葉でしたか。あぁ、神よ。あなたの顔を拝む事が出来ないのが残念でなりません」


 愉快そうに笑って、ティターは周囲を見る。

 血の痕がそこかしこに見受けられ、長椅子はあちこちが破損し、壁には穴が開いている。壁の穴の周りには赤黒く固着した血痕もあった。


「いやはや、まさかこうも速やかにエルナダ大陸から手を引くとは思いませんでしたね。やはり、邪神を匿っていたという醜聞は覆しがたいものがありましたか」


 三角教はエルナダ大陸から手を引いた。

 教会から邪神が現われ、教会兵は麻薬中毒を起こしリニューカント執政軍と交戦したのだ。とてもではないがエルナダ大陸での活動が許される状況ではなくなっていた。

 大陸各地の教会もすでに関係者の撤収作業が始まっており、今後はいくつかの大規模な教会を拠点に細々とした活動を行うだけになるだろう。エルナダ大陸の覇権争いに参加する事はもう叶わない。

 街の住人の視線も危険物を見るような物に変化し、三角教の信者と名乗れば商取引にも影響しかねない有様だ。

 ティターがいる教会の付近には三角教の庇護を求める商会がいくつも軒を連ねていたのだが、機を見るに敏な商人は早々に建物を引き払っており、リニューカント執政軍との取引を開始するか本国に引き上げている。

 宗教的権威から歯止めをかけていた三角教の撤退はエルナダ大陸の情勢を大きく動かした。

 最大のライバルが消えた事でリニューカント執政軍の専横が拡大し、本国との貿易にはリニューカント執政軍が定めた税を払わなくてはならず、賄賂も別途必要となる有様だ。本国からの輸入食品もリニューカント執政軍の管理下にあるため価格が値上がりしている。

 三角教の撤退により、協調関係を明確にし始めていたサウズバロウ開拓団もあおりを受けている。食料品の生産能力がある開拓地はリニューカント執政軍から高額の税をかけられ、リニューカント執政軍が定めた商会との取引しか認められない有様だ。

 港は封鎖されているためエルナダ大陸からの脱出もままならない。

 サウズバロウ開拓団の開拓地を野盗や魔物から守ることで収益を上げていたダックワイズ冒険隊はリニューカント執政軍と共闘する事で生き残りを図りつつ、Gの兄弟と通じてリニューカント執政軍との仲介を行い、エルナダ大陸の治安の安定化を図ろうと試みている。

 リニューカント執政軍もいまだに力を持っているダックワイズ冒険隊やサウズバロウ開拓団とすぐに事を構えるよりも弱らせてから始末しようと考えているらしい。

 だからこそ、力と暇を持て余したリニューカント執政軍の矛先はエルナダ先住民へと向かった。

 エルナダ先住民への課税を強化したのだ。

 エルナダ先住民は独自のコミュニティ間での物々交換を主にした経済基盤を持っているため、リニューカント執政軍が提示する貨幣での税支払いは難しい。


「夕食できた」


 教会裏手の厨房で料理を作っていたンナチャヤが声を掛けてくる。

 ティターは立ち上がり、礼拝堂から厨房へと向かう。

 廊下には未だ血の痕や破壊跡があったが、厨房はンナチャヤが掃除したのか綺麗になっていた。水はけの良い石の床は多少欠けているところはあれど血痕一つ見当たらない。

 机の上には皿の上に盛られた食事があった。エルナダ先住民の民族料理ではなく、移民たちの郷土の料理だ。


「旦那様好みに合わせた」


 惚れ直したかと言わんばかりに得意げに胸を張るンナチャヤに苦笑を返して、ティターは席に座る。

 ンナチャヤが語る永遠の愛を全否定したというのに、彼女は未だにそばにいる。

 否定された事に対する反発心ゆえかと思ったが、ンナチャヤの態度を見る限り思うところは無いようだった。


「偉大なる狂人の慈悲に感謝を」


 ティターは皮肉気に食前の祈りを捧げる。教会の中での傍若無人な振る舞いを咎める者はいない。

 ンナチャヤには馴染みのないはずの郷土料理だというのに、ティターが今まで食べた料理のどれよりも美味い。川魚のムニエルはきちんと香草で臭い消しまでされていた。


「美味しい?」

「悔しいですが、非常に美味しいですね」


 ティターの評価にンナチャヤは満足そうに頷いて食べ始める。


「旦那様と行った料理出す家で食べた物の真似」

「あぁ、あの飲み屋ですか。確かにこのメニューでしたね」


 酒を提供しているが普通の食事もできる飲み屋を思い出す。ンナチャヤとクッフスタの三人で食事をした場所だ。

 ンナチャヤが川魚のムニエルを食べながら思い出したようにティターに声を掛ける。


「おじさん、どうなった?」

「クッフスタ氏なら、今は教会の取りまとめに奔走しているようです」


 三角教がエルナダ大陸からの撤退を決めたとはいっても、エルナダ大陸に住む信者を完全に切って捨てるのは道義的に問題がある。

 エルナダ大陸の土着宗教の信者であれば問題ないのだが、三角教の母体であるラステ教とメッティ教は本国での二大宗教であり、信者を見捨てたと知られれば大事になる。

 エルナダ大陸で細々とでも活動を続ければ言い訳になるが、もはや出世も望めないエルナダ大陸での活動に意欲的な関係者はいるはずもなく、各地の教会を守っていた関係者は我先にと本国行きの船に乗った。

 そんな中で一人残って分散した三角教を立て直そうと奔走しているのがクッフスタだ。

 手柄を立てて本国に凱旋してやろうという気概が教会に放逐された一件でどうねじ曲がったのか、この機会に本国へ帰ろうともせずに粉骨砕身に駆けずり回るさまはなかなか見物だった。

 ティターとしては、信者が三角教を見る目の変化よりもクッフスタの変わりようの方が面白いくらいだ。


「エルナダ先住民と協力して土着宗教を一本化し、ラステ教やメッティ教と擦りあわせて三角教そのものを守ろうとしているようです」

「結婚式、まだ無理?」

「クッフスタ氏の事よりも式の日取りが気になっていたんですか」


 ンナチャヤに苦笑しつつ、ティターはクッフスタの言葉を思い出す。


「どうにかまとめ上げて見せるから、しばし待て、との事でしたよ」

「分かった」


 ンナチャヤは納得したが、クッフスタの目標は達成できないだろうというのがティターの見方だった。

 リニューカント執政軍がエルナダ先住民の締め上げを強めた今、勢力が大幅に衰えた今の三角教がどうあがいても叩き潰される。エルナダ先住民が団結しかねない土着宗教のすり合わせなどリニューカント執政軍が見過ごすはずがないのだ。

 もっとも、現在は薬の邪神ムガジダと農業の邪神ラフトックが復活し、活動しているとの情報がある。この二柱と連携すればあるいは、リニューカント執政軍に対抗できるだろう。


「とはいえ、三角教はもう玩具にもなりませんし、次はどうしましょうかね」


 パンをちぎって口に放り込み、ティターは思案する。

 調子付いているリニューカント執政軍で遊ぶのも一つの手だが、すでに評判は底辺を這っている。世間の見る目が変わるだけの材料はなく、玩具としての魅力に欠けた。


「今さらどんな悪評が出たところで、あぁまたか、と思われるのが関の山。かといって、彼らが善行を積んでいるわけでもなく、嘘でも吐かない限りは評判をひっくり返すのも難しい」


 嘘を吐くのは美学に反する。ティターは情報を暴露する事により人々が他者に寄せる感情、表情や視線の変化を楽しみたいのだ。

 暴露する情報に真実が含まれていなければ変化は一過性の物に過ぎず、楽しめない。


「――ティター氏はいらっしゃいますか?」


 大声で呼ぶ声が聞こえて、ティターは礼拝堂の方向を見る。ここにいることを知るのは泊まっている宿の主人くらいのはずだ。

 なんだろうかと席を立ち、声の方へ向かう。

 礼拝堂で血痕を見つけて嫌そうな顔をしている青年がいた。


「私がティターですが、なにか急用ですか?」

「あぁ、いえ、大きな事件ってわけでもないんですが、この手紙を託されまして」

「手紙?」

「本国のご友人だそうです」


 青年が差し出してきた封筒には、学園で働いていた頃の知り合いの名が書かれていた。


「あぁ、彼から。わざわざありがとうございます」

「いえいえ、それでは、自分はこれから商談がありますので、失礼します」


 青年を見送って、ティターはさっそく手紙の封を切る。

 中から出てきた手紙はのんびりした時候の挨拶の後、本題が綴られていた。


「……これは、これは」


 手紙には、もはや本国の手を離れたリニューカント執政軍はエルナダ大陸の独立政府ともみなされており、その勢力を削ぎ落とすべく本国は動き始めるという。


「旦那様、楽しそう」

「えぇ、新しい遊びを見つけましてね」


 悪質な笑みを浮かべながら、ティターは手紙を封筒に収める。


「本国から新聞を送ってもらえるよう、返事を書かなくてはなりませんね」

「新聞?」

「えぇ、新聞です。本国が、リニューカント執政軍を見る目が綴られた新聞が良いですね。返事を出した後でンナチャヤさんの集落へ参りましょう」

「なぜ?」


 てっきりこのまま街で暮らすのだと思っていたらしいンナチャヤが首を傾げる。

 ティターは手紙をポケットにねじ込んで笑った。


「エルナダ大陸の覇権を握ったと思われたリニューカント執政軍を打倒するのは、誰も予想していなかった先住民であった方が面白いからですよ」


明日から最終章です。

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