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下種共が流刑地にて狂い咲き  作者: 氷純
第三章 薬の邪神

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第五話 邪神ムガジダと忠犬たちの門出

 観るのなら特等席にかぎると、ティターは上等な茶葉で淹れた紅茶の香りを楽しみながら、対面に座るクッフスタに声を掛けた。


「手筈は整いました。リニューカント執政軍が教会に到着し、邪神ムガジダが出てきた後でクッフスタさんが場を収めてください。私はここから応援しております」

「あぁ、感謝する。これで過激派どもを教会から追い出すことができる。そうなれば、君たちの祝言も誰にはばかることなく行えるだろう。これがエルナダ先住民と移民の融和の一助となれば幸いだ」

「……はぁ」


 クッフスタは晴れやかな顔でティーカップを傾ける。

 どういうわけか、クッフスタは生来の傲慢さ、プライドの高さが鳴りを潜めてエルナダ先住民と移民の融和をことあるごとに語るようになっていた。過激派にしてやられたのがよほど堪えたのか、過激派とは真逆の目標を掲げているのだ。一種の反抗心の表れだろう。

 単純な人物だとは思っていたがこうも極端に振り切れると使い勝手が悪いな、とンナチャヤとの式の日取りを決めようとするクッフスタをあしらいながら、ティターはため息を吐く。

 クッフスタがンナチャヤに声を掛ける。


「ンナチャヤさん、エルナダ先住民の祝言は村の皆で歌い踊り騒ぐものだったと記憶している。ティター殿と祝言を挙げたのかね?」

「挙げた。熱い夜だった」

「ほぉ、それはそれは。子供の洗礼はするのかね?」

「子供……」


 ンナチャヤが意識し出してもじもじし始める。

 ティターはお茶請けのクッキーをンナチャヤの口に放り込んで黙らせてから、クッフスタを見る。


「クッフスタさん、今は目の前の事に集中してください。三角教過激派とリニューカント執政軍の武力衝突の最中に飛び込んで場を収めるのですから、相応の危険が伴います。渡した魔法道具の使い方をおさらいした方がいいのでは? 台本の読み直しは必要ありませんか?」

「ははは、ティター殿は心配性だ。どちらも万全を期しているよ。ティター殿が場を整えてくれている間、ただ宿に籠っていたわけではないのだから」


 自信満々に言いきって、クッフスタは窓の外を見る。

 この宿は道を挟んだ正面に教会を捉えた高級宿だ。三角教はリニューカント執政軍と対立できる力を持っているため、その周囲はリニューカント執政軍の横暴から逃れることのできる安全圏と認識されている。

 もっとも、教会もまた腐敗組織であるため裏ではわいろなどが横行しているとの話だが、客の立場にいるティターたちには関係のない話だ。

 今重要なのは、この部屋の窓から外を覗けば教会の状況を確認できる事である。


「やじ馬が増えてきたように思えるな」


 クッフスタが呟いた通り、さりげない通行人を装った野次馬やリニューカント執政軍の監視役が大通りを行きかっている。

 これから何が起きるかを知っているティターたちだからこそ気付く差異だ。


「過激派に情報が洩れている心配はないのかね?」

「ないでしょうね。リニューカント執政軍のティッグ大佐は事前に過激派スパイに欺瞞情報を流しているようです。あの野次馬もGの兄弟あたりでしょう」

「行政を担当するリニューカント執政軍が犯罪組織Gの兄弟と手を結んでいるのも嘆かわしい話だが」


 クッフスタが諦めたように頭を振る。


「それにしても、先週教会を出発した兵たちはどこに向かったのだろうな。一向に帰ってくる気配がないが」


 クッフスタが言う兵たちの行き先に心当たりのあるティターだったが、肩をすくめた。


「さて、五十人からの兵を出すのですから安全な場所とは思えませんが、果たしてどこに行ったのでしょうね」


 十中八九パッガス村だろうと見当を付けながらも、ティターは素知らぬ顔で続ける。


「それより、あの教会に今集まっている兵の方が気になりますね」

「先の五十人も過激派勢力だとすれば、過激派が動かせる残りの戦力はおそらく百五十人から二百人だろうな」

「多いですね」

「本来はエルナダ大陸全域に散らばっているのだ。まとまった数ではあるが、まとめて運用する事の出来ない頭数になるよう調整していた。過激派に必要以上の武力を持たせるのは危険だからな。教会が動かせる戦力と考えればさらに三倍はあるが、リニューカント執政軍とてここの教会にだけ注目しているわけではあるまい。他の戦力は各地で教会を守るだろう」

「三角教もリニューカント執政軍も、戦力を分散するしかないと。街が戦場になるよりはましだと考えましょう。ンナチャヤ、少しこちらに寄りなさい。流れ矢が飛んでこないとも限りません」

「旦那様!」

「いえ、抱き着いてほしいわけではなく、魔法道具の効力が及ぶ範囲に入ればそれでよかったのですが」


 ティターの胸に顔を埋めるンナチャヤに説明するが、背中に腕を回して離れようとしない。


「仲睦まじい事だ」


 クッフスタは和やかに評した。

 魔法道具の効果範囲に入っているから良いかと諦めた時、ティターの耳にざわつく人々の声とやや不揃いながらも大人数の足音が聞こえてきた。


「始まりましたね」

「ついに来たか」


 クッフスタと揃って窓の外へと目を向ける。

 大通りを三列縦隊となって進んでくるリニューカント執政軍の姿があった。三角教による抵抗も想定した完全武装で、人数も三百人近い。あらかじめ三角教が兵を集めていると情報を掴んでいるのだろう。

 いくら邪神ムガジダがいるとはいえ、本職の軍人と寄せ集めの兵では勝負にならないだろうと、ティターは眉を顰めた。

 これでは、邪神ムガジダの姿が世間に晒される前に秘密裏に処理されてしまうかもしれない。そうなっては三角教の評判は大して変わらないだろう。

 まぁ、それならそれでリニューカント執政軍が突然三角教に喧嘩を売ったと噂が流れて面白いな、とティターは考え直した。

 リニューカント執政軍が教会前に集結する。

 何事かと飛び出してきた教会の関係者を問答無用で捕縛し、指揮を取っているティッグ大佐が号令をかけた。


「突入せよ。邪神ムガジダとそれを復活させた三角教関係者は残らず捕えるのだ」

「はっ!」


 ティッグ大佐の号令が飛ぶと、兵たちが入り口だけでなく窓からも進入していく。


「腐っても軍だな。逃げ出す隙もない」


 クッフスタは古巣が突入される様子に嫌そうな顔をしながらも、素直にリニューカント執政軍の手際を褒めた。

 事実、こっそりと逃げ出そうとした者が槍の石突で足を払われて転倒し、縄を打たれていた。

 ここからでは死角になって見えないが、教会の裏手も封鎖しているらしくリニューカント執政軍は無駄口を叩かず淡々と家宅捜索を進めているようだ。

 だが、状況は暗転する。

 突然、教会から兵たちが大通りへと転がり出て来たかと思うと、それを追うように武器を持った兵たちが出てきた。


「地下にでも隠れていたか」

「あの教会、地下まであるんですか?」

「あぁ、緊急避難用に作られたものだったが、今は武器や食料を収める蔵のようになっている。兵たちも隙を突かれて武装を整えるのに手間取ったのだろう」


 クッフスタは冷静に状況を俯瞰しながら推理し、立ちあがった。


「では、私は行くとしよう。あの騒ぎを収めねばならん」

「お気を付けて」

「うむ。祝言の日取りを決めておきなさい。どんなに忙しくとも取り持とうではないか。はっはっは」


 高笑いしながらクッフスタは部屋を出ていった。

 ティターは外へ目を向ける。

 武装した教会兵とリニューカント執政軍が衝突している。槍と剣が打ち合わされ、鋭い音が大通りに響き渡る。


「妙ですね」


 宿の二階にいるため戦場を見渡せるティターはすぐに違和感に気付いた。

 教会兵が圧倒しているのだ。

 ティッグ大佐が隊列を整えさせているが、教会兵は痛みを感じていないのか整えられた隊列に無理な突撃を仕掛け、重傷を負いながら隊列を割り裂いていく。


「変な臭い、する」

「……なるほど」


 ンナチャヤの言葉で何が起きているのかに気付いて、ティターは窓を閉めた。ガラス窓に硬化の付与魔法をかけて、教会へ目を凝らす。

 突如、悲鳴が上がった。戦場となった大通りから避難してきた一般人だろう。ティターのいる宿を含め、あちこちから怯えたような悲鳴が上がっている。リニューカント執政軍も気圧されたように僅かに後退し、教会兵に分断されていた。

 そんな周囲の騒ぎを気にも留めず、ティターは目を細める。


「あれが邪神ムガジダですか」


 教会の入り口に異形の人型が立っていた。赤いカビの斑点が目立つ皮膚を持たないその人型は一つしかない目で戦場を見回すと緑色の歯を見せて嗤笑する。


「理性が無くなるのは嫌だと喚く口で人の理性を奪う薬を求め、挙句に自ら薬に手を出し理性を捨て去る。人は変わらず欲に塗れ、救いを求め、神に縋って薬に頼る。あぁ、本当に変わらぬ。即効性のある救いを、痛苦からの解放を望むのなら、最初から神など生み出さなければよいものを」


 ケラケラと笑い飛ばしたムガジダが手を叩くと、虚ろな目をした三角教の兵たちが目の前のリニューカント執政軍を無視して背を向け、ムガジダに駆け寄った。そのさまはあたかも訓練された犬のようで、武装集団としては一つの完成形にも見えたが、人の集団としては醜悪そのものだった。


「良い子たち、さぁ、参ろうか。我が友を起こしに」


 ムガジダが先導する形で三角教の兵たちが移動を開始する。

 リニューカント執政軍が追いかけるかと思いきや、ティッグ大佐は部下を制止した。


「追う必要はない。教会内部を捜索せよ。残っている者の生死は問わない。抵抗した者は殺せ」


 苛烈な命令ではあったが、異形の人型とそれに操られていると思しき武装集団を見た後では誰も異を唱えることはない。

 リニューカント執政軍が教会へ再突入する。

 ティターはふと、不思議に思って大通りを隅から隅まで見回す。


「クッフスタさんはどこに?」


 あの戦場に飛び込んで大演説の末に場を収める手はずだったのだが、クッフスタはムガジダが去った今も現れない。

 と、その時、部屋の扉が申し訳なさそうにノックされた。


「どうぞ」


 入室を許可すると、扉が静かに開かれて困り顔のクッフスタが現れた。


「……登場するタイミングを逸したのだが」

「あぁ……」


 邪神ムガジダ登場のインパクトが大きすぎたため、クッフスタは機を逃したらしい。


「どうすればよいだろうか?」

「そうですね」


 ティターは窓の外をちらりと見て、恐る恐る大通りに出てくる一般人を見下ろし、笑みを浮かべた。


「怯えている民衆を導くのも、聖職者の務めではありませんか?」

「お、おぉ、そうだな! うむ、行ってくる」

「お気を付けて」


 クッフスタが自信満々に宿を出て大通りの真ん中に立つ。

 教会に踏み込んでいるリニューカント執政軍を見ながらひそひそと噂話をしている一般人を見つけると歩み寄って説法を始めた。

 だが、ついさっき教会から異形の人型が現れたばかりである。三角教の説法など誰も聞く耳を持たないばかりか、怯えと嫌悪が混じった瞳を向けられるばかりだ。

 それでもめげずに説法を続けるクッフスタはなかなかに根性がある。

 ティターはニヤニヤと大通りの様子を眺めつつ、冷めた紅茶を美味そうに飲み干した。


「通りを行く人々の視線に怯えと嫌悪が入り混じるあの瞳の色の変遷。自らが信奉する宗教の施設へと向けるあの悪感情! かくも人の心は移ろいやすい! 脆い、儚い、それが良い!」


 この光景が見たくて仕方がなかったのだとティターは最高の見世物を堪能する。

 その瞬間、ンナチャヤが突然に体を起こし、ティターの顔を両手で挟んで鼻先が触れ合うほどの距離まで自分の顔を近づけた。


「愛は永遠だから良い」


 これだけは譲れないという強い決意と共に放たれたンナチャヤの言葉に、ティターは目を白黒させた。

 だが、ンナチャヤの言葉を理解すると同時に思わず天井を仰ぎ見て、笑いを堪えた。


「言うに事欠いて永遠の愛だなど――そんなモノに何の価値があるのでしょう?」


 ティターの返答にンナチャヤは不可解そうに首を傾げる。

 どうやらわかっていないらしいと見て、ティターは苦笑しながら続ける。


「感情は移ろうからこそ美しい。感情の移ろいを、花咲いて華やいで枯れ落ちる様を愛でる私に、こともあろうに永遠の愛とは……ははは」


 堪えきれなくなって笑いだしながら、ティターはンナチャヤの襟首を掴んで引き寄せた。


「馬鹿にしてるんですか? 永遠の愛なんてものは存在しませんよ」

「存在、する」


 元々気の強いンナチャヤは譲る事なくティターを見つめ返す。

 ティターはンナチャヤの琥珀色の瞳をしばし眺めた後、肩をすくめた。


「良いでしょう。勝手にしなさい。私はその愛とやらが変貌するその時を楽しみに待つとしましょう」



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