第一話 エルナダ大陸行きの船
エルナダ大陸。
百二十年ほど前に発見されたこの大陸は当初、流刑地として活用された。
犯罪者を送り込み、彼らに開拓させたうえで移民を送り込む計画だったのだ。
百年もの間、犯罪者を送り込まれ続けたエルナダ大陸では流刑民の二世、三世へと世代が交代し、治安は最悪ながら新たな資源の宝庫として注目を集め始めていた。
だが、その成り立ちから犯罪者集団を監督、管理する治安維持組織リニューカント執政軍の組織腐敗を筆頭に多様な問題を抱えている。
今も犯罪者が高跳び先に選ぶため組織的犯罪の温床でもある。
それでも一攫千金や冒険を求めて移民が今日も船に乗る。
※
船に寄せる波を甲板から見下ろして、エイルは欠伸していた。
エルナダ大陸行きの船は検査も甘く、王立学園で騒動を起こしたエイルすら素通りして乗る事が出来た。
(貴族の殺害はやっぱり大事件になりすぎましたね)
エイルとしては、殺そうと思ったが死ぬとは思っていなかった。
ルワート伯爵は有能で、エイル程度ならば簡単に返り討ちにするだろうと本気で思っていたのだ。
当てが外れて追われる身となってしまったが、自分がやったことが犯罪行為だと認識するだけの常識は備えていた。
(おかげで本国では凄い人の部下になれませんでしたし、反省点ですね。エルナダ大陸では上手くいくと良いけれど)
反省の仕方は世間一般とは明らかに異なっていた。
「――あ」
横から小さな声が聞こえて、エイルは振り返る。
口に手を当ててエイルを見つめている、妖精のような可愛らしい金髪の少女がいた。彼女の手には本国で発刊されている新聞がある。
はて、どこかで見たような、とエイルは記憶を探り、思い出す。
「ミチューさん?」
「な、なんで名前!?」
退路のない洞窟で猛獣と出くわした草食動物のように怯えながら、ミチューは狼狽える。
エイルは安心させようと微笑を浮かべて、ミチューの手にある新聞を指差した。
「そこに載っているでしょう?」
はっとして新聞を広げるミチュー。一面記事には『王立学園の凶行』と題した事件記事と『ルワート伯爵家、謀反計画を身内に崩される』とストレートに題した記事が載っている。どちらにもエイルの名前があった。
エイルも船に乗る前に購入して船室に置いてあるその新聞記事にはかつての同僚の証言でエイルの人柄についても触れられていた。
曰く、承認欲求と服従欲求を拗らせて自らの能力ごと磨き上げた怪物。端的に表現すれば『社会から認められる上司から承認される私は凄い』という価値観の持ち主だと。
実によく見ているとエイル自身も感心してしまう人物評だった。
「本当に私のことまで載ってる……」
学園主催パーティーの事件に関する記事の前日譚に書かれている自分の名前を発見したミチューが肩を落とす。
「……ミチューさん、なんで笑ってるの?」
肩を落としながらも暗い笑みを浮かべているミチューを不思議に思ってエイルは訊ねる。
ミチューの名前が載っている記事は決して肯定的な物でも同情的なものでもない。バリスの暴走については恣意的に隠した上で許嫁の関係であったミチューやその実家がルワート伯爵家の謀反に関わっているのではないかと囃し立てる記事だ。
「え、あれ?」
無自覚に笑っていたのか、ミチューは片手で口元を覆い隠した。
「す、すみません。最近なんだか変なんです。悪評を立てられたりするとなんか嬉しくなるというか、心がフワフワしてしまって。これが原因で実家を勘当された時も笑っていたらしくて、えへへ、不気味ですよね。すみません」
「そうね。不気味ね」
「で、ですよね」
「でも、心に正直なのは良い事だと思うの。私、地味で何もできない人並以下の子供だったけれど、偉い人に認められたくて独学で勉強して、公証人になったのよ」
公証人とは、法律などの公文書の作成を行う技能を持つ職業人だ。
身分を問わずになれる職業だが、競争率が高く商契約の取引文書の作成なども請け負う事から文字の読み書きだけでなく数字の取り扱いも必須技能。加えて、法律に関する知識を十分に有し、他に解釈の余地がない文言を書かなくてはならない。
独学でなろうとすればどれほどの努力が必要か。
「あの、記事には公証人ではなくルワート伯爵家私兵団の顧問の一人と書かれているのですけど」
「それ嘘よ。確かに顧問みたいなことをしていた時期もあったけど、誰も習得できなかったから元の公証人の立場に戻ったの。でも、顧問をしていた時期に作った人脈のおかげでルワート伯爵の謀反に気付けたのだけどね」
「習得できなかったって……」
一体何の顧問をしていたのかとミチューは底の見えないエイルに腰が引ける。
「それで、ミチューさんはエルナダ大陸に何をしに行くの?」
「実家を勘当されたので、本国での居心地も悪くて。エルナダ大陸なら仕事もあるかなぁと」
「この時期だと学園は中退かしら? それでもエルナダ大陸なら数字が読めるだけで重宝されると聞いたことがあるし、きっと仕事も見つかるでしょう」
「ありがとうございます」
意外と普通の対応をされて、ミチューは警戒を緩めた。
※
リピレイはエルナダ大陸行きの船に揺られていた。
本国の北方の民族に特有の青銀の髪を潮風になびかせながら、リピレイは懐中時計を見る。
「そろそろエルナダ大陸が見えてきてもいいはず」
手帳を開いて予定を確認していると、甲板の手摺りに背中を凭れさせていた男が手を振っているのに気付いた。
目障りだと横目で睨もうとして、そこに意外な人物を見つけた。
「――ティター先生?」
「やぁ、やっと気付いてくれましたね」
微苦笑したティターは丸い片メガネをはずしてレンズを拭き始める。
「まさか同じ船にかつての教え子が乗っているとは思いませんでしたよ。もっとも、リピレイさんは自室から出て来ず、したがって授業にも出席してくれませんでしたから教え子と呼ぶには語弊があるかもしれませんがね」
「ティター先生はなぜ、この船に?」
リピレイが訊ねると、ティターは肩をすくめた。
「あの事件の責任の一端を押し付けられましてね。騎士団からも何人か責任を取らされて更迭された方が出たようです」
「ティター先生は無関係では?」
「事件の舞台が学園である以上、誰かが責任を取らなくてはならないのですよ。それよりも不思議なのはリピレイさんがこの船に乗っていることです。学園はどうしました?」
「中退しました」
端的に答えて、リピレイは海の向こうに見えてきたエルナダ大陸に目を凝らす。
「あの事件で人生観が変わったんです」
「そうですか。ともあれ、引き籠りだったリピレイさんがこうして船に乗って見知らぬ土地へと旅に出ているのなら良い影響があったのでしょう」
「はい。尊敬できる人も見つけましたし」
「実に良い傾向です。元教師としては、尊敬されるのが自分でなかった事にやや悔しい気持ちもありますがね」
片メガネを装着したティターは、甲板に出てきた水夫長を見る。
「間もなくエルナダ大陸に到着しますので、下船される方は準備をお願いしまーす」
水夫長の連絡に、甲板にいた乗客たちがのろのろと動き始める。
ティターが手摺りから背中を離し、リピレイに軽く手を振った。
「それでは、またエルナダ大陸のどこかでお会いしましょう」
「はい。ティター先生もお気を付けて」
ティターを見送って、リピレイは迫るエルナダ大陸の港を一瞥した後、下船の準備をするため船室へと戻った。
乗客の中では一番最後に下船したリピレイはキャスター付きの鞄をゴロゴロと転がしながら港の宿に部屋を借りに行く。
「食事付きですか?」
「別料金だがそこの食堂で出せるよ。お嬢さんは可愛らしいからウエイトレスに雇ってもいいよ」
宿の女将は気さくに笑いながら一階の食堂を指差す。
すでに日は傾いており、早めの夕食を食べに来た船乗りや荷卸しの屈強な男たちが酒を片手に騒いでいるのが見える。雇われらしいウエイトレスが忙しそうにテーブルへ料理を運んでいた。
「安定した仕事に興味が無いので」
「あぁそうかい? なら仕方が――ぅん?」
女将はなにやら妙な台詞を聞いたと眉を寄せる。
しかし、リピレイは気にせずに部屋の鍵を受け取るとカウンター席へと座ってアジのハンバーグを注文し、客たちの噂話に聞き耳を立てる。
ほとんどがどこぞの娼館の誰々が良いといった下世話な話ばかりで、ウエイトレスが顔をしかめている。
だが、興味深い話もあった。
「……呪われたマルハス?」
噂か怪談かいまいち判然としないその言葉を呟くと、カウンターでシェイカーを振っていたバーテンダーがリピレイを見る。
「さっき来たばかりのお客さんは知らないだろうね」
「有名な話なんですか?」
「いま持ちきりの話題だよ」
バーテンダーの語るところによれば、マルハスとは本国からやってきた考古学者だという。
そのマルハスは今、エルナダ大陸の遺跡を調べている途中で呪いを受け、四肢が先から腐り堕ちていく状態との事だった。
「遺跡を作った古代文明の呪いだって話だが、どうにも出所不明で怪しげでね」
「出所不明というのは呪いのですか? それとも、呪われたという噂そのものですか?」
「両方だね。マルハス本人は呪われたって公言してる。そんで、解呪のためにとある森の深部にあるらしい遺跡に行きたいってことなんだが、ダックワイズ冒険隊に協力を要請して断られたそうだ」
ダックワイズ冒険隊。リピレイは記憶を探り、件の団体がエルナダ大陸で魔物の討伐や開拓地の護衛業の傍ら、未だ全貌が掴めないエルナダ大陸内陸部の希少な動植物や鉱物資源を探す冒険者の集団だと思い出す。
エルナダ大陸の情勢をあらかじめ調べておいてよかったと、自身の計画性に酔いしれているリピレイの笑みをどう受け取ったか、バーテンダーは顔を顰めて忠告する。
「マルハスには関わらない方がいい。来たばかりのお客さんは知らないだろうがエルナダ大陸の古代文明はなかなか侮れないってもっぱらの噂だ。ダックワイズ冒険隊も呪いの話を警戒してるって話だしな」
「――ちょっと待てよ」
横合いから口を挟んだのは酒に酔って顔を朱に染めた髭の大男だった。
「俺らは別に呪いにビビってるわけじゃねぇぞ」
「お客さん、ダックワイズ冒険隊の?」
「おうよ」
所属するだけである程度の誇れる事なのか、髭の大男は胸を張る。
「この間うちに入ってきた金髪の美少女ちゃんはビビってたが、ダックワイズ冒険隊の中に呪いごときを恐れる臆病者なんざいやしねぇ」
発言中に矛盾があったが、リピレイは指摘しないでおいた。
「だが、無謀な計画には賛同できねぇし付き合うつもりもない。ダックワイズ冒険隊は無茶無謀と勇敢をはき違える馬鹿の集まりとは違ぇんだからな!」
聞き捨てならない単語を耳にして、リピレイは髭の大男を見る。
「無謀な計画?」
「おうよ」
十人いれば十人振り返って噂するような美少女、リピレイに合いの手を入れられて髭の大男はご満悦だ。
「無謀も無謀だ。解呪しに行く遺跡ってーのが森の奥にあるんだが、とんでもなく危険な魔物がごろごろいる。エルナダ大陸固有種で対策もろくにない魔物ばかりがな。中には蟻系並の社会性持ちの魔物までいる。お荷物を抱えて突破できるような森じゃねぇのよ」
「へぇ」
髭の大男の話を聞いて、リピレイは笑みを浮かべる。蠱惑的なその笑みに髭の大男が鼻の下を伸ばしたが、続く一言に冷めたように真顔になった。
「そんな破滅的な計画に乗らないわけにはいかない」
「は?」
リピレイの言葉に耳を疑う髭の大男を捨て置いて、リピレイはカウンターに乗り出してバーテンからマルハスの居所を聞き出すと、頼んだアジハンバーグが運ばれるよりも早く席を立った。
「髭の人、面白い話をありがとう。これで飲んで」
銀貨を三枚放り投げたリピレイはスキップしながら宿を出ていく。
遠ざかる銀髪を見送り、髭の大男はバーテンを見た。
「なに、あれ?」
「さぁね。仕事柄、人の話を聞かない酔っぱらいはよく見るが、人の忠告を聞いて暴走する素面は見たことが無いよ」
バーテンダーはそれだけ言って、グラスを拭き始めた。