第九話 消えた種
「エイルお姉さま?」
不思議そうな顔で振り返ったリピレイに、エイルは馬の形をしたゴーレムを作り出しながら答える。
「悲鳴が聞こえました」
ひらりと馬型ゴーレムに飛び乗ったエイルはリピレイの腕を掴んで引っ張り上げ、一気に馬型ゴーレムを走らせた。
普通の馬とは異なる揺れにリピレイが慌ててゴーレムの首に抱き着き、姿勢を安定させようとする。
路地に飛び込んできた馬型ゴーレムに唖然とする浮浪者の頭を跳び越えて突き進む。
見えてきたのは地下水道の出口だった。馬型ゴーレムを止めたエイルは警戒しながら周囲を見回す。
「リピレイさん、感覚鋭敏の付与魔法は使えますか?」
「かけましょうか?」
「私には必要ありません」
馬型ゴーレムから下りながら、エイルは足元の地面に手を当てて真剣な目をしている。
リピレイは不思議に思いながらも自分自身に感覚鋭敏の付与魔法をかけ、直後に顔をしかめた。
「カビ臭いですね」
「やはりですか。カビの臭いは地下水道から来てますか?」
「……いえ。違いますね」
「臭いの元を追えますか?」
「私は犬じゃありませんよ? 無理です。ミチューさんくらいに熟達していれば可能かもしれませんけど」
「私も付与魔法は不得手です。後を追うのは難しそうですね」
地面の土を指先で擦って確かめているエイルに、リピレイは声を掛ける。
「追うって、カビの臭いの元は移動してるんですか?」
「おそらくは。どうにも状況が掴めませんが、ここで大規模な魔法が使われたようです」
エイルは指先についた土を払いながら答える。
「この辺りの土に特殊な染料で魔法陣を描き、魔法を行使した痕跡があります」
「そんな事が分かるんですか?」
「周辺の土に比べて私の魔力が通りにくくなっていますから、同じ土魔法使いが魔法を行使したか、さもなくば土に魔法陣を描いてそこに魔力を集約させる儀式魔法が行使されたのでしょう。二日もすれば元に戻りますが、隠蔽作業としてはお粗末ですね。土魔法使いであればこんな分かりやすい痕跡は残しません」
となれば、ヘボの土魔法使いか儀式魔法の痕跡となる。
リピレイが周りを見回して、何の変哲もない裏町の風景に首を傾げる。
儀式魔法ともなれば大規模な効果をもたらすが、周辺には破壊の一つも見受けられない。
「儀式だとしても、攻撃魔法ではないですね」
「分かりませんよ。毒に関連する魔法なら、パッと見は何も変わらないはずですから」
エイルの指摘に、リピレイはすぐさま口と鼻を手で覆う。
「毒に侵されているのだとしたら、まずは信頼できる医師を探してこのカビの臭いの元を――」
「リピレイさん、盛り上がっているところ恐縮ですけれど、毒は例えです。それよりも、悲鳴の主を探したいところですね」
「付近に人影はありませんよ。被害者も、加害者も、目撃者も」
「お手上げですね」
手がかりがなくては手の打ちようがない。
エイルは地下水道の中を覗き込む。暗がりが奥へと続くばかりで水の音以外に何も聞こえてはこなかった。
しかし、地下水道の出口にはめ込まれている鉄格子を見たエイルは付着している赤い錆にも似た何かに気が付いた。
「……カビ、ですね」
鉄格子に付着している赤い物が錆ではなくカビだと気付き、エイルは頬に手を当てて考え込む。
リピレイもエイルが見つけたカビを覗き込んだ。
「金属にもカビって付くんですか?」
「通常は発生しません。誰かがわざわざカビをこの鉄格子に乗せたと考えるのが自然ですが、何のために……」
「儀式魔法の一環でしょうか?」
謎ばかりが増えていく。エイルは鉄格子を掴んで揺さ振ってみるが、びくともしない。
「少なくとも、鉄格子を破壊する意図はなかったようですね。すると、儀式魔法を行った者たちも悲鳴を上げた者も地上を逃げたのでしょう。今日一日、目撃者を捜して可能なら保護しましょう」
「種はどうしますか?」
「放置です。パッガス様に報告はしますが」
鉄格子に背を向けて歩き出すエイルに、リピレイが並ぶ。
「前向きに考えてみれば、種がどんなものであれ、使い方を知っている人たちが持っている方が危険ですよね!」
「楽しそうですね」
「はい、とても楽しみです」
曇りのない笑みを浮かべるリピレイに、エイルは肩を竦める。
種を持ち帰ってエルナダ大陸に対するパッガスの影響力を増した方がずっと楽しいはずなのに、と。
※
ティターは人気のない路地の暗がりでンナチャヤにのしかかられていた。
「婚約した」
「あなた方の文化は尊重しますが、それが普遍的な物ではない事もご理解いただきたいですね」
村で説明する前に本人からと考え、ンナチャヤの部族で女性の腕飾りを取る行為が求婚を意味すると知らなかった事を話したのが不味かった。
ティターに馬乗りになったンナチャヤは琥珀色の瞳でティターをまっすぐに見下ろしている。
「旦那様はあなた」
「誤解させたことは深くお詫びします」
どうあっても意見を曲げないと分かったのか、ンナチャヤはしばらくティターを見下ろした後自らの服の帯に手を掛けた。
既成事実を作るつもりだと気付いて、ティターはンナチャヤの手を押さえようとする。その瞬間、ンナチャヤが手の位置を絶妙に調整して、ティターが伸ばした手の延長線上に自らの腕飾りをかざした。
ティターはすぐさま手を引っ込める。
「それはずるいと思いますがね」
「良い男、村にもいない。私より強い男もいない。私を魔物から助けられる男いない」
「あなたを助けた時のことなら、不意を打っただけのことですよ」
「村の男はギドロクの不意を打てない」
「逃げた方が無難と判断しているだけでは?」
ンナチャヤはむっとしたように唇を尖らせると、再度自らの服の帯に手を掛け、はっとしたように顔を上げた。
「血の臭――」
言いかけたンナチャヤの肩を掴んで自らに抱き寄せ、ティターは顔を横に向けて地面に耳を当てた。
「むごご」
「静かに」
感覚鋭敏の付与魔法で地面から音を拾う。路地を歩いてくる集団の足音が聞こえた。
同時に、交わされている言葉も聞こえてくる。
「結局、種はどこが手に入れたか分からずじまいってか?」
「サウズバロウ開拓団にダックワイズ冒険隊、リニューカント執政軍まで出張ってきて大混乱ですからね。ただ、ボス、気になる話が一件あるんでさ」
「勿体つけねぇで話せ」
「三角教の連中、今度は種じゃなく金髪の異端者の少女を探し始めてるんです」
「……処刑したって話じゃなかったか?」
「関係は不明ですが、順当に考えれば別人でしょう。その金髪の異端者が種を掠め取ったって可能性もあります」
「どこの奴だろうな。まぁ、三角教のブラフかも知らねぇが」
暗がりに息を潜めているティターたちに気付いた様子もなく、集団は歩き去っていく。
集団の一人はズボンに返り血を浴びており、周りの男たちもそれを平然と受け入れて気にした様子もなく話していた。明らかに堅気ではない。
集団の気配が遠ざかったのを確認してから、ティターはンナチャヤを開放し、体を起こす。
「Gの兄弟ですね。返り血を浴びていましたが被害者は……いや、それよりも三角教が探している金髪の異端者……」
思考に没頭するティターは抱き寄せられた感触を思い出して上気した頬に手を当ててもじもじしているンナチャヤに気付いていない。
「抱きしめられたから子供ができる。名前、決めないと」
ンナチャヤに性知識はなかった。
立ち上がったティターは集団が歩いてきた方へと向かう。
一歩進むたびに血の臭いが濃くなる中、それは転がっていた。
男二人の遺体である。顔は潰され、身元を確認するすべはない。
だが、今日顔を合わせたばかりのティターは二つの遺体が着ている服に見覚えがあった。
「応急手当は結果的に意味がありませんでしたねぇ」
さして残念に思うわけでもなく呟いて、ティターは二つの遺体を跨いで歩く。
後ろから駆けてきたンナチャヤが隣に並んだ。
「旦那様」
「あぁ、負けましたよ。ですが、最低でも三年は待ってください。今後のためにもエルナダ先住民の文化や言語を学んでおかないといけませんから」
「子供の名前、ナンテールで、どう?」
「言葉、通じてます?」




