表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

いまを生きる

作者: akumunotumugite

視界に映るのは何もない。6月に入り随分と暑くなってきたせいか、寝つきが悪い。結局今も、明かりを消して目を閉じてもなかなか寝れず、目を開けてぼーっとしている。困った。何を考えて気を紛らわそうか。

そうだ、人はなぜ寝るのだろうか。いや、これは疑問として正しくない。人はなぜ起きれるのだろうか。寝ている間に死なないという保証がどこにある?

不思議と僕たちは寝ることに慣れてしまってはいないだろうか。


「死にたくない。」

口から言葉が漏れる。答える者はいない。


そう思ったのはいつだったか。小学生の頃だろうか。

死というものが自我の消滅だとすれば、現実を“認識”できなくなるということだ。僕たちは皆、この日々が続くと無意識のうちに信じてしまっている。明日が来ないはずがないと。しかし本当にそうだろうか。


「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」(論語)


「死は人生の終末ではない 生涯の完成である」(マルティン・ルター)


「武士道というは、死ぬことと見付けたり」(葉隠)


「死に至る病とは、絶望のことである」(キェルケゴール)


「人は死ぬ。だが死は敗北ではない。」(ヘミングウェイ)


「戦士は死ぬ。だが、思想は死なない。」(フィデル・カストロ)


歴史上の偉人は誰もが死んでいる。死から逃れられた者はいない。

宗教では、人の死と魂の死を分けるものがほとんどだ。その点、宗教は死の恐怖から逃れる唯一の方法だと言えるだろう。

だが、誰もが気づいているのだ。死とは本質的な“無”だと。


僕たちは無限の中に生きている。死のことを忘れ、終わりない日常に没頭している。1日が終わればゲームセット。そんなところだ。


僕たちの人生は無から始まった。世界は変わらずそこにあったはずなのに。

そしてもし僕が今死んだとしても、誰も気づかずに今が続いていく。

そう。それはとても悲しいことだ。とても、虚しいことだ。


それでも僕は眠る。誰かが死んだ、明日を迎えることを知りながら。

僕だけの描ける夢や理想を、追い求めて。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ