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2016年/短編まとめ

ストレス嘔吐彼女と嘔吐フェチ彼氏

作者: 文崎 美生

洗面所で水を出しながら、込み上げてきた酸っぱい液体を吐き出す。

胃のある場所が冷たくて気持ち悪い。

内臓そのものが冷えているような感覚で、部屋着の薄手のTシャツを握り締める。


胃痙攣でも起こしてるような気になるけれど、ただのストレスから来る胃痛と嘔吐だ。

げぇげぇ、と吐き続ければ楽になる。

酸っぱい液体と水が混ざりあって、ぐるぐると渦を描いて排水溝へと吸い込まれていくのを、涙で視界を滲ませたまま眺めた。


あぁ、くそ、あのクソ上司。

いつもいつも無理難題を押し付けてきて、上から目線でパワハラを仕掛けて来る。

今時男尊女卑なんて流行らないっつーの、と心の中で何度吐き捨てただろうか。


同僚は心配してくれるが、心配するくらいなら止めてくれ、変わってくれ。

そんなこと言ってみたとしても、結局自分が大事なのは知ってるから無理だろうけれど。

先輩達も憐れみの目を向けてくるが、そんな同情要らないからこっち見んな、と言いたい。


「まーた吐いてんの」


水音と心臓の音で足音に気付かなかった。

背後から聞こえた声と一緒に肩を掴まれて、掴んでいた洗面台から引き剥がされる。

涙で滲む視界の中に映ったのは、同居人で彼氏の男で、黒縁眼鏡越しに私を見ていた。


何となく恍惚とした、蜂蜜みたいにとろりとした目を向けられて、冷や汗が項を伝う。

ひくり、喉が、胃が、引き攣って悲鳴を上げる。

汚い音を立てて溢れ出た液体を見て、おぉ、と感嘆の声を上げるのが私の彼氏なのか。


少し選択肢を間違えたような気もするが、そのままフローリングの上に座り込み、流れ出るそれに咽る。

あぁ、くそ、シンドい。

下を向いたせいで落ちてくる雫が鬱陶しいのに、目の前の男はそんな私の心中を知ってか知らずか、無理やり顎を掴んで視線を合わせてくる。


何だよお前、胃液の味しかしない口から滑り出た言葉は、酷く掠れていて自分の声とは思えなかった。

顔を顰める私を見て、嬉しそうに笑う彼氏はもう常軌を逸している。

変態、嘔吐フェチ、異常性癖、そんな言葉が浮かんでは消えていく。


「あーあ、喉焼けてる」


顎を掴んだまま、逆の手で私の口に指を突っ込み、舌を押さえつけて喉を覗く彼氏。

マジか、お前、空いた口が塞がらないとはこのことだ。

物理的にも表現的にも。


「もう辞めちゃえば?」


あぁ、でも、そしたら吐かなくなる?なんて嫌味ったらしい笑顔で言うのが私の彼氏か。

酸っぱい唾液が口の端から流れて、顎を伝って落ちていくのを見ながら、くそ、と呟く。

それが目の前の彼氏に向けられたものなのか、クソ上司に向けられたものなのかは、私自身分からない。


ついでに翌日、彼氏の言葉通り辞表を提出してやった時に、胃のある場所が温かく感じた。

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