ストレス嘔吐彼女と嘔吐フェチ彼氏
洗面所で水を出しながら、込み上げてきた酸っぱい液体を吐き出す。
胃のある場所が冷たくて気持ち悪い。
内臓そのものが冷えているような感覚で、部屋着の薄手のTシャツを握り締める。
胃痙攣でも起こしてるような気になるけれど、ただのストレスから来る胃痛と嘔吐だ。
げぇげぇ、と吐き続ければ楽になる。
酸っぱい液体と水が混ざりあって、ぐるぐると渦を描いて排水溝へと吸い込まれていくのを、涙で視界を滲ませたまま眺めた。
あぁ、くそ、あのクソ上司。
いつもいつも無理難題を押し付けてきて、上から目線でパワハラを仕掛けて来る。
今時男尊女卑なんて流行らないっつーの、と心の中で何度吐き捨てただろうか。
同僚は心配してくれるが、心配するくらいなら止めてくれ、変わってくれ。
そんなこと言ってみたとしても、結局自分が大事なのは知ってるから無理だろうけれど。
先輩達も憐れみの目を向けてくるが、そんな同情要らないからこっち見んな、と言いたい。
「まーた吐いてんの」
水音と心臓の音で足音に気付かなかった。
背後から聞こえた声と一緒に肩を掴まれて、掴んでいた洗面台から引き剥がされる。
涙で滲む視界の中に映ったのは、同居人で彼氏の男で、黒縁眼鏡越しに私を見ていた。
何となく恍惚とした、蜂蜜みたいにとろりとした目を向けられて、冷や汗が項を伝う。
ひくり、喉が、胃が、引き攣って悲鳴を上げる。
汚い音を立てて溢れ出た液体を見て、おぉ、と感嘆の声を上げるのが私の彼氏なのか。
少し選択肢を間違えたような気もするが、そのままフローリングの上に座り込み、流れ出るそれに咽る。
あぁ、くそ、シンドい。
下を向いたせいで落ちてくる雫が鬱陶しいのに、目の前の男はそんな私の心中を知ってか知らずか、無理やり顎を掴んで視線を合わせてくる。
何だよお前、胃液の味しかしない口から滑り出た言葉は、酷く掠れていて自分の声とは思えなかった。
顔を顰める私を見て、嬉しそうに笑う彼氏はもう常軌を逸している。
変態、嘔吐フェチ、異常性癖、そんな言葉が浮かんでは消えていく。
「あーあ、喉焼けてる」
顎を掴んだまま、逆の手で私の口に指を突っ込み、舌を押さえつけて喉を覗く彼氏。
マジか、お前、空いた口が塞がらないとはこのことだ。
物理的にも表現的にも。
「もう辞めちゃえば?」
あぁ、でも、そしたら吐かなくなる?なんて嫌味ったらしい笑顔で言うのが私の彼氏か。
酸っぱい唾液が口の端から流れて、顎を伝って落ちていくのを見ながら、くそ、と呟く。
それが目の前の彼氏に向けられたものなのか、クソ上司に向けられたものなのかは、私自身分からない。
ついでに翌日、彼氏の言葉通り辞表を提出してやった時に、胃のある場所が温かく感じた。