第一枚 現代人は原始人
カードは革である。
「ドロー。来たっ! ゴブリンを生贄にデーモン召喚。そしてダイレクトアタック!」
「トラップカード発動」
「なっ!?」
M市に一つしかないカード専門店のバトルスペース。
俺は同好の士と対戦して夏季休暇を潰していた。
「ぐぁー、負けた」
「僕の勝ちですね。謙太さんはちょっと攻めすぎです」
「良いカードが来たらすぐ使うでしょ」
「しっかり準備を整えてから、確実性を高めて攻撃するべきです」
反省しつつ、広げたカードを回収する。
「それにしても謙太さん。スリーブ使わないんですか。値段の張るカードもありますよ」
「カードは使ってなんぼだろ? 磨り減った裏面、中の白い紙が見える。くぅー、味があるじゃないか。俺はコレクターだけど、それ以上にプレイヤーなんだよ! 分からないかなー」
「あーはいはい。どうせ僕はコレクターですよ」
出会ってから何度も繰り返したこの問答はいつからか別れの前振りになっていた。
「謙太さん、また今度」
「ああ。今日も楽しかった。ありがと」
「こちらこそ。では」
対面が空席になると無性に悲しくなる。
「おじちゃん帰るよ。ついでに一パックちょうだい」
「毎度ありがとねー」
店を出て自宅まで歩く道中、買ったパックを開封する。
ノーマルカード四枚を捲って最後のレア確定の五枚目を確認する。
『異世界への招待』
「なんだこれ。こんなカードあったっけ?」
カードの内容を見てみると、悪質なイタズラじみていた。
『溝口謙太』
『汝は異世界へ行くことが出来る』
『後戻りは不可能』
『YES/NO』
カードゲームとして破綻した記載に呆れてしまう。
しかし、ふと真面目に考えてしまった。
本当に異世界へ行けたらいいな、と。
仲違いした家族。趣味はカードだけ。
振り返った人生があまりにモノクロだったから、つい『YES』を選択した。
すると突然カードが光だし、悲鳴をあげる間もなく俺は吸い込まれてしまった。
◆◇◆◇◆◇
目を覚ますと、そこは洞窟だった。
公園ほどある空間、天井には空まで繋がった大穴があり、そこから差し込んだ光が円柱となっている。
俺は光の中心で、なぜかサッカーボールほどの卵を抱き締めていた。
身動きすると地面に肌が擦れる。
どうやら俺は素っ裸だった。
「イヤーン!」
空しく洞窟内に反響し、返事はなかった。
俺は直近の記憶を探り、『異世界の招待』のカードを思い出す。
「もしかして...まじ異世界?」
光に包まれた時に着ていた洋服や持っていたスマホや財布が全てなくなっている。
とりあえず服を探そう。恥ずかしくて堪らん。
広場を探索した所、風が流れる横穴が一つ、あとは天辺の大穴の二つだけが外部に繋がるルートだった。
あと目ぼしい発見は水がチョロチョロと湧くのと肉眼で見える生物がいない事ぐらいだ。
ちなみに横穴の探索は暗いため中断した。
「ステータス! ステータスオープン! 開示!」
異世界ならではのイベントは起こらなかった。
喋ったので喉が渇き、湧き水を飲む。
それから再び検証を行っていると、腹が痛み出した。
「ぐ、ぐぅ。これだから、温室育ちの日本人は...」
現代日本の素晴らしさを呪いつつ、横穴がある反対側の壁付近で用を済ます。
「か、紙がねぇぞ...!」
悩みぬいた末、不浄の左手。
日本に住んでいる時に染み付いた倫理や道徳観にヒビの入る音が聞こえた。
ひどく気分が落ち込んだので、気分転換に走ってみた。
汗を流す事で腹痛を紛らわす。
それでも痛みの限界が来たら仕方なくふんばる。
腹をさすりながら、こういう時は暖めるべきだと思い立ち、ぬくい卵を腹巻代わりにした。
というか、この卵...生きているのか。
微かに動いているようだ。
俺は男だけど抱きしめていると妊婦になった気分だ。
厳しい現状と合わさって頭が混乱する。
とりあえず卵を我が子のように撫でたり、寂しさからトチ狂って『○VERLAP』を胎教として歌っておく。
『~♪ ~♪ ~♪
や・み・を貫く信じる心~魂眠る場所探して~
瞬きできない鋭い眼光燃やすぅ~』
将来すばらしい決闘者となるに違いない。
初日は何の卵か考えず、腹痛と戦いながら倒れるように寝た。
翌日。
腹の痛みが目覚ましとなり、そのまま壁に向かった。
「腹が減った」
横穴の探索を行う事を決めた。
暗闇に慣らした目はうっすらと壁や地の凹凸を見つけ出す。
曲がりくねった穴を歩いた先で、念願の外に出れた。
ただし断崖絶壁でした。
十数メートル下を覗けば森が彼方まで広がっていた。
「こりゃ、無理だ」
広場に戻り、意を決して湧き水を飲む。
せっかく引いた腹痛がまた痛み出す。
日本人は海外旅行の際に現地の水を飲むな、と口を酸っぱくして言われる。
しかし日本人も人間だから適応力は高く、病気が重く進行しなければ数日で慣れてしまうのだ。
自身の能力に期待しつつ走って腕立て伏せ、腹筋に柔軟と気分転換をし、疲れたら卵を抱き締めて睡眠。
そんな生活を続けて四日が経った。
食欲は三日目に頂点を迎えて現在は落ち着き、湧き水を飲んでも腹を下す事はなくなった。
苛立ちや痒みで体や頭を掻く回数が格段に減った。
なんだ、人は葉っぱ一枚すら無くても生きていけるのか。
YATTA! YATTA!
「よし。次は食料の確保か」
食欲が失せただけで栄養失調は徐々に体を蝕んでいる。
ふと、卵に視線がいく。
「いや食べちゃダメだ。あれは俺の子だ」
もはや思考が正常なのか異常なのか判断できない。
そもそも自己の精神の正誤を自ら判断する事なんて出来ないんだ!
だから俺は正常なんだ!
我が子である卵(異種)を優しく撫でつつ、今日は友情の大切さを冒険譚を語ることで教える。
物語が佳境を向かえ、主人公が親友のピンチに駆けつけるシーンを語っていると、卵に亀裂が入った。
亀裂は広がり、次第に穴となり、最後には殻が割れる。
卵から出てきたのは小さなトカゲだった。
いや、背中を見れば翼がある。
もしやするとこれは...
「ドラゴン、なのか?」
「キューイ」
つぶらな瞳が俺の心を突き刺す。
我が子の可愛さに心臓が止まる。
「名前はブルーアイズホワイトドラ...は違うな。こいつの色はレッドアイズグレードラゴンだもんな。よし、縮めてレグドと名付けよう」
「キューイ♪」
喜んでくれた様子に名付け親として安心する。
レグドは腹が空いていたのか、殻を食べ始める。
「どれどれ、俺にも少し食わせてくれ」
ペチ。
伸ばした手がレグドの尻尾で叩かれた。
生まれたばかりなのに知恵が回る。
殻の上半分を食べてお腹一杯になったレグドが、胡坐をかく俺の足に乗る。
そのまま俺の腹に顔や体、翼をこすりつける。
残った殻を俺が食べてしまおうかと思ったけど、無警戒に体を預けてくれるレグドを見て止めた。
寝息を立て始めたレグドの背中を摩る。
トイレや飢餓によって生じた精神の磨耗が治っていく。
「よし! 行くか」
気合を入れる。
レグドが孵化したことで洞窟に留まる理由はなくなった。
残った殻を頭に被せたレグドを抱えて横穴を歩き、断崖絶壁に立つ。
「起きろレグド。いいか、絶対に俺の頭から落ちるなよ」
「キューイ」
うろ覚えの知識だけを頼りに崖を降りる。
手足の四点の内、絶対に三点は壁を掴んでいる状態を維持しつつ、石橋を叩くような慎重さで降りていく。
三十分ほど掛けて無事に着地する。
森の気温、湿度、草木の形状、サイズなどを見る限りここは温帯気候であろう。
良いスタート地点だ。これが熱帯雨林であったなら死んでいた。
一息ついて食料を探す。
この世界の水には免疫が出来たけど食料は分からない。
自生している草をむしってレグドに食べさせる。
殻を食べて満腹のレグドだけど、俺が差し出すと食べてくれた。
食後の様子を観察した限り問題はなさそうなので俺も食べる。
匂いは雑草、味は山三つ葉だった。
その傍らで大きな葉や丈夫な蔦を探し、十枚ほど葉を重ねて足を包み、蔦で結う。
簡易の靴が出来たことで足を怪我する危険性を減らせた。
腰巻はデリケートな部分に接触するので無加工の葉が怖くて断念した。
燻すなり、熱湯消毒するなりしてから腰巻は作ろうと思う。
崖沿いに歩き、小さな滝を見つける。
体を洗い、小バエや蚊の予防に泥を全身に塗りたくる。
昔、田んぼに落ちた時を思い出した。
レグドが俺の真似をして泥んこになる。
それが滑稽でつい笑ってしまった。
「キュッ...」
ムッとしたレグドが体当たりして来た。
ひと時の間、俺達は遊んだ。
「たんぱく質が足りない」
太い枝を拾って梃子の原理で倒木を転がす。
虫がウジャウジャと生息している中、お目当ての幼虫を掴む。
うねうねと動く。
一気に口へ運び、目を瞑り鼻を摘んで無我夢中に噛み砕いて喉を通す。
食感はミニトマト、味は銀杏だった。火がないのが悔やまれる。
その後、洞穴から降りた場所に戻って一夜を過ごす。
洞穴に動植物がおらず、レグドだけが居た事からも予想していたが、やはり神聖な場所だったようで付近は森の中よりも虫の数が少なかった。
本当は洞穴に戻りたかったけど断崖のため諦めた。
日が顔を出す。
塗った泥が乾き、気分はダビデ像だ。
すみません嘘つきました。あんなイケメンじゃありません。
似ているのは息子のサイズだけです。
滝のほとりで泥を更新する。そして小川沿いに下り、人里を探す旅に出る。
そんな感じで生きていたら一週間が経った。
腹痛、吐き気、眩暈、高熱などと戦い、兎以上の動物からは逃げ、昆虫と草木で飢えをしのいだ。
それらの苦難を経て体が適応した頃、ついに森を抜けて草原に出た。
草原を渡る風の気持ちよさを感じつつ、視界の先に見つけた村を目指して歩みを再開する。
「$#&!!」
村にやって来ると農具を武器として構えた男達が荒げた声で喋りかけてきた。
何を言っているのか分からない。
素っ裸で異世界転移された時点で思っていたけど神様は不親切極まる。
言語の翻訳能力ぐらい付与してくれよ。
代表者と思われる図体のデカイ男の持つ農具には鉄が使われ、貧困者は木製。
家屋は木造、村民の服装はチュニックにズボンが基本。
文化水準は中世、いや近世ぐらいだろう。
ここは二十一世紀の文明人として高い知性を発揮しなければ。
「マイネーム イズ ケンタ。ナイスミーチュー」
「「「...」」」
反応が悪い。村人たちがブロンドで目鼻立ちが深いため、英語で語りかけたのだがどうやら間違いだったようだ。
フランス語にすれば良かった。
「$#&!!」
また怒鳴られた。
状況的に「帰れ」「何用だ」「何者だ」といった意味だろう。
頭にドラゴンを乗せ、全身泥だらけで葉と蔦で作った腰巻、靴、冠、黒髪黒目の男が突然やって来たのだから警戒されて当然だった。
ちなみに冠は雰囲気作りのためだ。本当は茨で作りたかった。
両手を挙げて敵意がない事を示すも、効果は薄い。
「##@>%&」
農民達から何度も声を掛けられたが意味は分からず、こちらは身振り手振りで説明を試みる。
しかしジェスチャーで『異世界転移した』なんて伝えられる訳もなく、膠着状態に至ってついに若者の一人がキレてしまった。
「【バインダー】」
初めて言葉が理解出来た。
しかし喜べなかった。
「【召喚:%#$】」
シェパードを彷彿とさせる獰猛な犬が突如現れた。
犬歯をむき出しにして威嚇する様は明らかに敵対的であり、身の危険を感じずにはいられない。
尖った気配に当てられたレグドも本能に従い臨戦対戦。
一触即発。
「双方、牙をおさめなさい」
張り詰めた空気は腹に響く、怜悧な声によって壊された。
村人の囲いが割れて二人の人物が前に出てきた。
一人は老人。白髪に青空と似た目。服装は執事然とした燕尾服に近い。制止の声を出した人だ。
一人は少女。茶に近い金髪に深海のような瞳。黒のノースリーブのゴシックドレスとアームカバーを着て脚は革のブーツ。
露出した肩は雪のように白く、胸元はカード型のネックレスが彩っている。
高慢なお嬢様と老執事といった二人組みは明らかに村人と違っており、支配階級にいる人物だと分かった。
「【送還】」
老執事の言葉に若者が渋々と従い、犬をカードに変えて拾い【バインダー】にしまう。
「あなたも【送還】して下さい」
「ん? 俺の事か...すまん。【送還】がなんなのか分からないんだ」
「ふむ。分かりました。村の皆様、彼はどうやら【送還】が分からないそうです」
村人達の視線が一層いぶかしむ様に鋭くなる。
その反応で老執事の言葉が思念で伝わっている事を確信した。
「彼の身柄を私に預けてはくれませんか」
「「「...」」」
村人は話し合い、老執事に一任する事を決定した。
チラチラと覗き見ながら解散していく。
「助かりました。ありがとうございます」
「いえいえ。感謝は不要です。お嬢様の指示でございますので」
お嬢様と呼ばれた少女が前に出る。
「%&$#?@==¥」
何を言っているのか分からない。
「お嬢様。やはりカナン語は理解されていない様です」
「#”+*<l”」
「かしこまりました。分不相応を承知でお嬢様の代わりに私が会話いたします。まずは紹介させていただきます。こちらの御方はルイス家次女シェリー・アン・ルイス様でございます。そして私はお嬢様に身も心も捧げた従順な僕フレデリックと申します」
「俺は溝口謙太と言います。呼び方はなんでもいいです。謙太でもケンでも」
「では謙太様とお呼びいたします。失礼ですがいくつか質問させて頂きます。まず謙太様は何者でしょうか?」
俺は嘘偽りなく異世界転移した所からこれまでの経緯を話した。
「謙太様は異世界人でこの世界に来たのは一週間前。それから裸一貫で生きぬいた、と」
「ああ」
老執事フレデリックが要点をまとめて反芻したのは確認の意味だけでなくお嬢様シェリーに聞かせるためでもある。
聞いたシェリーの目が爛々と輝き、おもちゃ売り場の子供のように落ち着きがなくなる。
「次にドラゴンについて詳しくお願いします」
この質問にも覚えている限りの全てを説明した。
「なるほど。状況から察しますに龍の山脈でしょうか。神聖な洞穴に卵があり、謙太様が孵化させたために懐いているのですね」
「親だと勘違いしてるんじゃないかな」
ドラゴンの話を聞いたシェリーは鼻息を荒くする。
「最後にこの村に来た目的はなんでしょうか?」
「見て分かる通り、服もなければ満足な食事も出来ていない。だからとりあえず人里にやってきたって所です。もちろん敵意はないです」
「村を害する気はないそうです」
「#%$&&#」
「かしこまりました。謙太様、提案なのですがしばらく私たちと行動を共にしませんか?」
嬉しい申し出にすぐさま了承する。
「$&#%#&$?@」
「よろしいのですか?」
「&&」
「かしこまりました。謙太様、こちらを登録して下さい」
一枚のカードを渡された。
馴染みのTCGと同じサイズだ。
「まずは【バインダー】と唱えて下さい」
【バインダー】の部分だけノイズが入ったように認識がブレる。
真似て発音してみるが、うまくいかない。
何度か繰り返すと、スイッチが入ったようにノイズは消えた。
「【バインダー】」
A3程度の冊子状のファイルが現れる。
「表紙を捲り、一番上が自己のページとなります。三段の空きスロットがあると思いますが、一段目にお渡ししたカードをセットしてください」
「分かりました」
僅かに凹んだスペースにカードがぴったりと嵌る。
バインダーが淡く光、一瞬体が暖かくなる。
「これでワラワの声が聞こえるじゃろ」
声の主はシェリーだった。
「ワラワの言葉が理解できたら右手を挙げろ。うむ。異世界人でもしっかりとカードは機能しておるな」
「これってもしかして...言語翻訳の能力なのか」
「そうじゃ。言っておくと貴重で高いのじゃぞ。さらに危ないところも助け、その上生活の面倒を見てやるのじゃ」
恩着せがましい言い分であるが、まったくその通りなので反論できない。
そして求められる対価は予想できる。
「ワラワは珍しいモノが好きでの。恩の返しにドラゴンをくれぬか?」
「シェリーたちには感謝しているけど、それだけは無理だ」
「ではケンタ自身を貰おう。しばし、そうだな五年ほどワラワに仕えてくれれば良い。なに無茶な命令はせぬ」
「...他の対価はないか?」
「ない。ドラゴンを譲るか、ケンタが五年仕えるかの二択じゃ」
「分かったよ。しばらくお世話になるよ」
「うむ。お世話するのはケンタじゃがな」
握手を交わす。
こうして俺は珍品コレクター:シェリーと一緒することになった。
「キューイ」