心構えはいいですか?~山岳専門店
月曜日を迎え、部室には晴、花、勝利が集合した。
ジャージに着替え、準備体操をして、ランニングを始める。
「よーい、スタート」
花の合図で全員が走り始める。今日は六キロメートルを走ると花が言ったら、週末登山の失敗で反省したのか、勝利は「わかったよ」と言って静かに頷くだけだった。
晴は、六キロメートルはキツイと思ったが、花と勝利がやる気になっている所に自分が走りたくないと言って水を差したくない。辛そうだなという気持ちを胸の奥にしまって校舎前を走り始めた。
晴達ワンダーフォーゲル部の後ろから別の集団も走り始めた。別の部活だろう。走るスピードは、正直、晴や勝利とどっこいどっこいだった。追い抜いては抜かれて、ということを繰り返し、最後、晴は学校を目指して背の低い男子生徒と競争になった。息を上げ、精一杯走ったが、あとわずか距離が届かない状態でゴールとなった。
ゴールでは走り終え、汗を乾かした花がいた。今の競争を見ていたようで「すごい競争だったね。あとちょっと、惜しいね」と言い、拍手をして晴を励ました。
息を落ち着かせて、晴が校舎前の道を振り返ると、勝利は体格の良い生徒と競争をしていた。どうやら二人共長距離走はあまり得意ではない様子で、息をぜいぜい吐き、満身創痍といった様子でゴールした。ほぼ同時だ。勝利は玄関前の階段に座り込んだ。
「あいつ、太っているのに速ええ」
息をぜいぜい、勝利が言う。
体格の良い生徒は、自分の集団に戻って行く。彼が来るのを、皆が待っていたようだった。
部室に引き上げようと晴達が立ち上がると「あーえーいーうー」という大きな声が外に響き渡る。集団がさっきランニングで戦った生徒達であるのを見て、晴は集団が演劇部だろうなと目星を付けた。
部室に戻ろうとすると春香と会った。
「反省会をするわよ」
演劇部とはまた違う、意志の込められた強い声だった。
「前回の円山は危なかった。もしこれがもっと高い山だったら命が危ない。私も……花も、低い山だからと油断して必要なことを皆に伝えていなかった」
花は頷き、俯いている。
反省会は人数分の机を合わせて、その周りに皆が座っていた。
「そこで計画書を作ろうと思います。今度の週末登山に向けて」
春香は皆を見たが何か意見を言う人はいなかった。そもそも計画書とは何だろう。晴と勝利はよくわからないのでポカンとした顔をしている。
「計画書には登山に必要な物を全部書くから、本当に必要な物だけを持って来ることが出来るはず。勿論、忘れ物がないようにするためにも計画書は必要よ」
勝利は不満そうに口をすぼめた。週末登山の失敗を思い出して不機嫌になったようだ。しかし勝利が春香の意見に反対するようなことはなく、部室にある過去の資料を参考にして計画書作りは実行されることとなった。
過去に書いた計画書を見つけようと言い出したのは意外にも勝利だった。
「そもそも俺ら計画書を見ていないからどんな物かわからないだろ」
春香が職員室に戻った後、三人で計画書を探すことから始まった。
「確か、ここに計画書があったはずだけれど……」
花は部室にある薄い引き出しを何段か開けた。そこには大量の紙が眠っていた。
計画書は他の紙と一緒に引き出しに詰め込まれていた。その一枚一枚を取り出して行く勝利。
「うわ、これ十年前のだ。そんな前からあったのかよ、ワンダーフォーゲル部」
黄ばんだ色の紙を手にして勝利が言う。
「伝統ある部活ですから」
なぜか花が自慢げに言った。
最近の計画書は、引き出しの、別の段にあった。
「うわー懐かしい。これ、先輩が書いた計画書なのかなあ」
花は嬉しそうにまだ白い計画書を眺めた。
「それを参考にして計画書を書けば良いんじゃないかな」
晴は鞄から筆箱を取り出しながら言った。
計画書には登る山の名前、山行の日程、参加者の情報、装備する道具等が書かれている。
「えっとじゃあこれで」
花はルーズリーフの、横線の入った紙を一枚取り出した。見本にする計画書はパソコンで書かれていた。過去の計画書は先生が書いた物のようだと晴は思う。
「取り敢えず、昔の計画書と同じように枠線を引いて、その中に必要なことを書いて行きましょう」
晴の意見に花は頷いた。花は慎重に線を引いて行く。晴と花は机を挟んで向かい合って計画書を書いていた。勝利はというと、引き出しの所で昔の計画書を黙って読んでいる。
枠線が出来てからは、晴が昔の計画書を読み上げ、花がそれを紙に書き込んでいく、その繰り返しだった。『山の名前』や『日程』はまだ決まっていないから書けないが、『装備』や、『部員の名前』、『住所』、『連絡先』、『住所』等は書くことが出来た。
「えー、ザック、帽子、スパッツ、防寒具、地形図……」
晴は『装備』の欄に書いてある物の名前を読み上げた。
次は『部員の名前』だった。花は自分の名前を書き、その横に連絡先と住所を書いた。晴も自分の連絡先と住所を花に教える。
「おい、お前の連絡先と住所は」
晴は勝利に声を掛けた。面倒臭いなあと言いながら、勝利は読んでいた資料を脇に避けて、連絡先と住所を言った。
「うーん」
ほぼ出来上がった計画書を見て、花が唸る。
「どうしたんですか?」
花は真剣に、計画書を見ていた。
「山の道具、二人共持っていないよね」
花は勢いよく物置のドアを開けた。
埃が外に溢れ出て来る。晴が両手で埃を避けているうちに、外の広い空気に溶け込んで、埃は消えて行った。
物置の中は何かガスっぽい臭いと、体育館倉庫の白いマットみたいなカビのような臭いが同時にして、晴は物置から飛び出した。
「どうしたの?」
「いいえ……」
物置の中には古そうな山の道具が沢山ある。花は物置の中を物色した。晴は物置の外から細々と動く花の様子を窺がいながら、埃や臭いを恐れ、中に近付くことさえできない自分を情けなく思った。
空を仰ぐと青い空に白い雲が所々あって、ゆっくりと動いている。視線を下にずらすと、四階の教室に部室があり、勝利が窓際で何か本を読んでいるのが見える。
まだ冷たい風が吹きながらも、日差しが温かい。
ドン、という音がして物置を見ると、花が、沢山物が入ったダンボール箱を地面に置いた所だった。
「これ、必要な物を入れたの」
花の言葉に晴は急いでダンボール箱に近付き「部室に運びます」と言ってダンボール箱を抱えて正面玄関に向かって走った。
晴が何往復かして、部室に荷物を運び終えると、花は自分で書いた計画書を手に持ってダンボール箱の中をチェックした。
「今ある物は揃えたけれど、雨具がないし、コンパスもないし、あ。ホイッスルもないし……それに物置にあった物は古くて……」
あれもないこれもないと言う花は少し放心状態に見えた。「どうしよう」と言う花に、「大丈夫です、落ち着いて下さい」と晴は言ったが、内心、恐怖心で一杯だった。もしかして古い物を持たされるのかもしれない。自分の物は自分で用意しなくては駄目だと思った。古い物は晴にはキツイ。今も勝利が「新しい方がオレの物な」と言って、ダンボール箱の中を物色する度に、古い山の道具から埃が飛び散っている。
「山の道具って結構なお値段なの……部費があればいいんだけれど」
「部費、ないんですか」
「あると思う……多分、顧問の先生が管理していると思うけれど……」
花は自分で書いた計画書を見てうーんと言う。
晴も花が見ている所がわかって考えた。書きかけの計画書は、教師の欄が空欄だった。晴は顧問の染田先生を思い出し、死にそうな雰囲気を思い浮かべた。部活に対する情熱みたいなものは少なくとも感じられない。
「春香先輩が顧問だったらいいのに……あ。春香先輩の名前を書くのを忘れてた」
花は書きかけの計画書を机に置いて、勝利の名前の下、空いている所に春香の名前を書き、住所の欄にOGと書いた。
「取り敢えず、顧問の先生に話しに行ってみましょうか」
古い山の道具から埃が舞っている。制服の裾を口に当てながら晴が言うと、花が頷く。憂鬱そうな花の顔を見て、晴は、花は明るい顔が一番だと思った。
職員室には、やっぱり染田先生がパソコンに向かって死にそうな顔をしている姿があった。腰を曲げて細い体を酷使する姿は、なぜだか死にゆく老人を思い起こすものがある。
晴は何か話さなくてはと口を開けたが、その前に部長らしく花が話し始めた。
「先生、新入部員の道具を購入したいので部費をお願いしたいのですが」
染田先生はパソコンを打ち付ける細い手を止め「はて?」と言う。
「物置と部室を見たんですが、新入部員が山に行くために必要な物が足りないんです」
「山? 行く?」
染田先生はまるで初めて聞いた言葉であるかのように聞き返した。
「はい。今度、週末登山に行こうと思って、計画書を作っている所でした」
「計画書、ですか……」
染田先生は花のことを驚いて見上げた。花がいることに今気付いたというように。
「なんのことだかわかりません。何しろ私は山に登ったことがありませんから……」
花の目が輝いた。
「先生も山に登りましょう。楽しいですよ!」
「突然のことで何のことか……」
あからさまに山を嫌がっているな、と晴は思う。汚い物が嫌いな晴としては、その気持ちはわからなくはないが、花の落ち込んだ表情を見て、晴はまともに取り合ってくれない先生を責めたい気持ちになった。だが晴が何か言おうか考える前に、後ろから明瞭な声が響いた。
「まだ登る山は決めてないんです。ミーティングをするので、先生も参加して下さい」
春香が後ろに立っていた。手には何か資料を持っている。
「えっと、君は教育実習生の……」
「定山春香です。ワンダーフォーゲル部のOGです。以前から何回か部室に遊びに来ていました」
「ああ……」
染田先生は停止し、電気が切れたように黙り込んだ。
「せっかく新入部員が入ったし、山に登った方が良いと思いますよ。部費を使って登山靴を買った方が良いと思います。あ、染田先生の分も買いましょうか」
そこに、背が低い先生が近付いて来た。突然騒がしくなって、周りの先生達が染田先生や春香を見ている。
「おいおい定山君。あまり染田先生をイジメないようにね。君達と違って私達は嵐の中わざわざ山に登ったりしないんだから」
そう言い終えると、背が低い先生は通り過ぎて行く。笑いながら遠くの席へ行き、近くの先生にボソッと話し掛ける声が聞こえた。
「第一、あの事件の後にワンダーフォーゲル部が存続するのはどうかと思いますがね」
背の低い先生の声は小さくともしっかりと晴の耳に届いた。
「嫌な感じ」
花のボソリと呟いた声も相手に聞こえただろうが、背の低い先生は隣の席の先生と何食わぬ顔で談笑をしていた。
「ミーティングをしましょう。染田先生も参加して下さい」
はきはきと言う春香の顔が心なしか青かった。
「春香先輩……」
花は不安気に春香の顔を見た。
晴は雨の日でも山を登るんですか、という質問をしたくなったが、今はそれを言うべきでないとわかっている。
「今、仕事が……終わったら行くので待っていて下さい……」
染田先生は、死にそうな顔でキーボードを叩きながら、春香の質問に答えた。
「来ねーな。本当に染田は来るのかよ」
部室の時計は夕方六時を指している。春香は染田先生を呼びに職員室に行ったきりだ。
「嫌味な教師にイジメられているんじゃないだろうなー」
勝利の間延びしているが、怒りを含んだ声に、晴は答えた。
「ああ、あの事件のことを直接言ってくる教師がいるとは思わなかった」
事件のことはタブーとなっていると思っていたから、わざわざ話して嫌味を言う教師がいるとは思っていなかった。
数年前にワンダーフォーゲル部が参加した大会で、死者が出たという話は伝説みたいになっていた。つまり、昔話だ。でもその話が地元のニュースになった時のことを朧気に思い出すと、このワンダーフォーゲル部の過去が見えて来る。あの事件を機に、山は危険だという保護者や先生の意見が反映され、大会は縮小の一途を辿ったのだろう。実際、昔、ワンダーフォーゲル部の部員が多かったことは、物置にあった備品の、数の多さから見て、明らかで、昔の計画書に書かれた、部員の数も、今とは比べものにならない。野風高校ワンダーフォーゲル部は、数年前の遭難死の事件で大打撃を受けたと言える。
「あー許せねえ、ワンダーフォーゲル部の大会で死者が出た話だったら、そん時、春香がいたかもしれないじゃん」
晴と花は黙り込んだ。
「そうなの?」
晴は暫くして聞いた。
「だって春香はワンダーフォーゲル部のOGだぜ」
「私が入部した時、三年生の先輩達は何も話さなかったけれど……」
花が言った。
「あれ、いつ起きた事件だ」
勝利が聞く。
「さあ……確か、三、四年は前だったような」
言って、晴は確かに春香が事件の時にいてもおかしくないことに気が付いた。春香は大学生だから、野風高校にはぎりぎり在籍していたか、大学に入学して間もない頃か。いずれにしても、あの事件の時に心にショックを受けたという生徒達と、春香は面識がある可能性が高い。
「酷いな」
晴 は事件のことを口にした先生が心底醜いと思った。本当に吐き気さえしてくる。
心の傷は癒すのに時間がかかることを晴は誰より知っている。受験勉強をしなさいと言う両親の言葉でノイローゼに罹った晴だが、病気の原因が両親の期待だと晴が訴え、彼らが謝っても、病は治らず晴を縛り付けている。
暗い雰囲気になった部室のドアが開き、春香がちょっと困った顔で言った。
「今日は染田先生、仕事で来られないそうよ。ミーティングは明日」
三人はそれぞれ自転車で帰った。五月に入って、雪が降ることもなくなり、生徒は自転車で帰ることが多かった。
自転車は細い坂道を通るから、話をするときは大声で声を掛け合わなくてはならない。何より、花の顔を見ることが出来ないことが晴は残念だった。
翌日の放課後、ランニングを終え部室に戻ると春香が来て「買い物に行くわよ」と言った。
駐車場に部員全員と春香が揃った。
「春香が運転するのか」
いつものスーツに春用の、薄手のコートを着ている春香を見て勝利が言った。
「先生でしょ、沢ノ宮君。染田先生だけでは何を買うにしても大変でしょうし、登山経験のあるOGとして買い物に同行することになりました」
「で、肝心の染田先生は?」
五月とはいえこの地域ではまれに雪が降ることもある。春風が冷たく吹く今日みたいな日には、上着が欠かせない。花は制服に薄手のピンクのジャンパーを着て寒そうに震えている。
職員玄関に入り、待つこと三十分、染田先生が現れた。
「すみません……その、仕事がありまして……」
「いいえ、こちらが無理を言ったんですから。外出許可を申請して下さってありがとうございます」
晴は春香が染田先生を動かしたことに感心した。
駐車場に止めてある染田先生のワゴン車に全員乗り込んだ。春香が助手席に座り、花がその後ろ。折り畳み式の後部座席には晴と勝利が座った。
「では行きますよ……」
ワゴン車は急発進、急ターンした。そのまま駐車場を駆け抜ける。
「きゃあ」
「うわ!」
悲鳴が上がった。
春香は目を丸くして染田先生を見た。染田先生は超スピードでワゴン車を走らせていた。
晴はさっそく酔って来た。遠くの景色を見ようと窓の外を見る。
「車、速くねえ?」
勝利が呟いた。
車はメイン通りを駆け抜け、時に隣の車とデットヒートを繰り広げた。晴は限界を感じ、手を口に当てた。食べたものが体の中で逆流しそうだ。
窓に寄り掛かり、吐き気を抑えていると、車が急停止。晴は窓に頭をぶつけた。もう死ぬかもしれない……晴の脳裏にそんな思いが過ぎる。
「ど……どうしたんですか、染田先生」
メイン通りのど真ん中で車は止まっていた。後続車がいないのは幸運だった。
「あの、大変、その、言いにくいのですが……」
「どうしたんだよ?」
勝利が聞いた。
「腰に痛みが……」
染田先生は申し訳なさそうにそう言うと「イタ、イタタタタ……」と小さく呻いた。
バックミラーに映る、染田先生の痛そうに皺を寄せた顔を、晴は見た。
その後、車はゆっくりと道路脇に移動、痛がる染田先生には慎重に助手席へ移ってもらい、代わって春香が運転席に座った。
春香は速度規制ぎりぎりの安全運転で、メイン通りを直進した。町の中心部に入った後も、春香は勝手知ったる様子でワゴン車を運転し、きわめて冷静な態度で、ごみごみとした町の駐車場にワゴン車を止めた。
染田先生を除く皆が車を降りると、駐車場の向いにある横断歩道を渡った。すぐそこが山岳専門店だった。
花が先頭を切って進むので、皆がその後に続いた。
「えーと、まず絶対に必要な物……」
花は二階の一番目立つ所にある山靴コーナーに立ち寄った。
一口に山靴と言っても、色々な種類があり、どれがいいのか晴はわからなかった。どの靴もごつごつしていて、色々な機能がありそうだと思いながら、晴は目に付いた山靴を手に取った。
山靴は触ると固く、持ち上げると重たい。靴底には滑り止めの模様が深く刻まれている。靴紐は長く、紐通しが沢山あった。
「結構カッコイイな」
勝利が素直に感想を言った。
花は晴と勝利を見て、ニッコリとして言った。
「さあ、履いてみましょう」
山靴は厚手の山靴下を重ねて履いてから試すのだと花が言う。
勝利は立派な宿泊登山用の山靴を試し履きした。
「これ、恰好良いし、オレに合っている」
「どれどれ」
春香が近付いて山靴を見た。
「良いけれど……ちょっと高いかな」
値札を見ると数万円はした。
「えー。この靴履いたカッコイイ、オレ。春香は見たくないの」
「今、履いたからいいでしょう」
晴は売り場の入口にバーゲン品の山靴を発見した。色は地味な茶色だけれど品のあるデザインの山靴だった。
晴は山靴を試し履きした。実際に山ではどんな感じになるのか、店内に用意された木造の坂に立ってみたり、歩いたりする。
「いいね、これにしよ。勝利君も履いてみようよ」
晴が試し履きするのを見て、花が言った。
結局、部費ではバーゲン品の山靴を二足買うことになった。サイズも丁度良いし、値段も山靴としては手頃だ。春香が会計を済ませるのを見ながら、お揃いの山靴なので、間違えないように名前を書いておこうと晴は思った。
「うーん、実は山靴は部費で買えるんですけれど、その他の物は部室の古い物で代用するか、自分で買ってほしいの。部費が少ないみたいで……ごめんね」
花が謝った。
「ええー」
文句を垂れる勝利とは逆に、晴は新しい物を買って良いことに安堵した。
「まだ作っている途中だけれど計画書を持って来たの。必要な物を見て下さい。」
花が計画書を配った。昨日花が書いた計画書を印刷したものだった。
春香は計画書を見ながら「雨具は必要だから先に見て来なさい」と言った。そして「染田先生の様子を見て来ます」と言って、駐車場に向かった。
晴達が雨具売り場に行くと、既に先客がいた。群がっている人達は、皆、晴達と同じくらいの年齢だった。晴達が集団の後ろで売り場が空くのを待っていると、大柄な大人がやって来て「帰るぞ」と言う。その一言で皆、振り返り、やっと待っている人がいたことに気付いたらしい。多分教師だろう、大柄な大人の後に付いて、皆ぞろぞろと雨具売り場を離れて行く。最後の一人……白い肌の少年と、晴の目が合った。
「おい、伸久も! 行くぞ!」
遠くで先生が叫んでいるにも関わらず、白い肌の少年……伸久は晴のことをじっと見た。晴はじろじろ見られて思わず、一歩後ずさった。
「あ。ごめんなさい。驚かせちゃいましたね」
突然、伸久という少年が話し始めた。
「ひょっとして山岳部ですか?」
伸久は晴や後にいる勝利や花を順々に見た。目がくりっとした少年だった。
「野風高校の、ワンダーフォーゲル部なの」
花が言った。
「僕らは稲上高校の山岳部です……といっても、僕は一年生ですけれど」
伸久は笑う。
「先週は円山で会いましたよね」
「えーと」
「覚えてねえな」
花と勝利が答えた。晴は山頂に高校生らしき集団がいたのを思い出した。
「そういえば……いましたよね?」
晴が言うと、伸久は嬉しそうに笑った。
「大会で会ったらよろしくおねがいしますね。何しろあの遭難死で山岳部が減っているんです。皆で大会を盛り上げないと……」
「うん……そうね」
少し元気がなさそうに花が笑った。
「いい加減にしろ! 伸久」
少し離れた所で、大柄な先生が叫んでいた。
「はい! わかりました! じゃ、また」
伸久は皆の所へ走って行った。稲上高校の集団は、階段を下りていなくなった。
「大会って……」
晴は言い掛ける。そんなものが、噂によるとあったんだと思い出す。
「うん、大会。あるにはあるんだけれど……」
花は顔を曇らせたままだ。大会と聞いて、晴れは良いイメージがない。噂のこともあるし、花の表情が暗いこともある。
駐車場に戻ると、染田先生はまだぎっくり腰が治らず、辛そうにしていた。
「帰りも私が運転するわ」
染田先生は後の席で横たわり、晴、花、勝利は真ん中の座席に窮屈に座った。
「稲上高校の山岳部に会いました」
花が報告する。
「あそこは部員が多いらしいから大会に出られるわね」
ふう、と春香は溜息をついた。
「ワンダーフォーゲル部の大会ってどんな大会?」
勝利が聞いた。
「山での体力と知識を競う大会よ。でも、団体戦なのよね……」
「男女に分かれてやるんだけれど、一チームに四人必要なの」
花が説明した。
女子一人に男子二人。晴にとっては幸運なことに、いわくつきの大会には出られそうになかった。けれど、車が揺れる度に後ろでガタガタ言う物がある。さっき買った新品の山靴だった。もう逃げられないな、と遠くを見ながら晴は思った。雲とビルの間をピンクに染める夕日が見えた。なぜか、ほっとした気持ちになっていた。