~エピローグ~
テストが終わり、新入生歓迎登山なるものが、学校近くの山小屋で行われた。佐藤先生が提案したものだ。
夜は既に更け、ランタンやストーブ、ヘッドランプの灯りが辺りを照らしていた。
ガスストーブの上ではラム肉の入ったコッヘルがぐつぐつ言っていた。ラムしゃぶだ。ラムしゃぶは独特の匂いを周囲に放っていたが、ラムしゃぶより山小屋の木造の壁や天井の方が濃い匂いを放っている。木の古めかしい匂いはなんだか晴に懐かしさを感じさせた。
山小屋は古くても清潔だった。山小屋を管理している人や使ってきた人達が代々、大事にしてきたのだろう。明日は掃除をすることになっていたので、晴はマスクを持って来ていた。しかし、ここには晴が吐いたとしても、バカにしたり嫌がったりする人はいない。多分、皆気遣ってくれる。
「いやははあ! うめえ! うめえ!」
勝利だった。胡坐をかき、一心にラムしゃぶをかき込んでいる。
「春香先生は何て言っていたの?」
晴れが聞くと、勝利は「『山でまた会いましょう』だってさ。オレ、もう登るしかないじゃん?」と言っていた。春香がいなくなった後もワンダーフォーゲル部に毎日顔を出している。
「うん、美味しい。ラムもいいもんだなあ」
「これで明日からまた走れるな」
友太と、活彦だった。助っ人として大会に参加してくれたお礼で招待された。明日予定している登山にも参加するつもりらしい。いつ走るんだろう。晴れは目が回った。活彦の走りは日々成長し、晴とのランニングタイムは開く一方だった。
「皆、ジュースが届いたよ‼」
山小屋の扉が開いたと思ったら、花が手に大きな袋を持ち立っていた。
「わーい!」
「暑っ! 喉渇いた所だったんだ」
「ジュース……届いたってどこから?」
山小屋は森の奥深くあるはずだが……。
袋には付箋が付いていた。
『皆さんで飲んでください。春香』
しん、とする。
誰が今日、この場所にいることを教えたんだろう。
「いやあ、山小屋の酒はいいなあ。皆も早く大人になって下さいねえ」
上機嫌に、コップを持って佐藤先生が言う。この人かな……と晴は思う。
「なんで言わないんだよ、花ちゃん」
「ドアノブに掛けてあったの」
花はえへへ、と笑った。
「まあ、山に来るくらいだから、きっとまだ春香先生は登るよ」
晴は勝利を励ますつもりで言った。
「オレ、絶対、春香を振り向かせてやる。山の男になってやろうじゃないか!」
勝利は皆の前で宣言した。
「お、少し男前になりましたねえ」
佐藤先生は忠告するどころか、楽しそうだ。
「それより、外。キレイだよ」
花は晴の手を引っ張った。
「行ってらっしゃい」
勝利が呟く。他の誰も、立ち上がりそうになかった。扉の外は光るボタンを散りばめたような星空だった。
「晴れて良かったー」
花が言う。煌めく瞳をした花さんの方がキレイです、と晴は心の中で呟く。
「星空がキレイだから、明日は晴れるね。あ、山頂で写真撮ろうね」
晴は星空のスポットライトが花に降り注いでいる気がした。
花の笑顔を見ながら、晴の中にある感情が花開いた。少しずつ開いてはいたのだが、晴には今、突然生まれた気持ちに思えた。晴の中で汚れが去り、星空を飲み込んだように澄んだ気持ちになった。
「あの……」
「うん?」
その言葉は自然に晴の口から零れ落ちる。
「僕は、花さん、君のことが、好きなんだ」
晴にとってその言葉はとても当たり前のものに思えた。
花は笑った。
花は晴れの手を握りながら、無邪気に話をしている。北極星の話だ。昔の旅人は北極星を頼りに旅をしたという話。
これから二人の旅も続くのだろうか。そうであって欲しい。晴は目の前に道が続くのを感じた。それは山あり谷ありのまさにワンダーフォーゲル部のような道のりだろう。
「流れ星!」
花は満面の笑みを浮かべた。そして手を合わせてこう言った。
「晴君とずっと山に登れますように」
握る手にそっと力を込める。握り返す力が心地良い。
山の麓、夜は二人を見守りながらさらに更けて行く。




