麻婆茄子は危険な香り
テーブルの上には、大皿にのった麻婆茄子の山。
何人前になるんだろう、でも茄子は10本使った。
その料理をウサギ柄のピンクの箸でいそいそと口に運んでいるのは、リリン。見てくれは中学生くらいの小柄な女の子だ。
「ん〜〜〜!悔しいが、高校生の癖に相変わらずいい腕だ。流石だな」
これを作ったシェフ、つまり俺をストレートに褒めてくれた。ちょっと気持ちわりい。
「茄子はあまり得意ではないがな、この麻婆茄子だけは別だ。実に美味い」
「それはありがたいけどね。本っ気でこの茄子全部食べるつもりか?」
「そうだ」
そう言うなり、リリンは大皿をぐわっと持ち上げ、がががっと掻き込む。みるみる消滅していく茄子の山に戦慄さえ覚える。あの小さな体のどこに消えてくんだ。
リリンはこの世界の住人じゃないそうだ。
本人は「違う世界から来た『世界管理人』だ」と言っている。
ある日「今日からうちに住んでもらうから」って姉貴が突然連れてきた女の子。 俺んちは姉貴と俺の二人暮らしで、養ってもらっている以上すべての決定権は姉貴にあり、俺に逆らえる要素はない。
以来、「売れっ子BLマンガ作家」という職業の、超不規則な生活の姉貴にかわり、俺がリリンの面倒を見る羽目になっているってわけ。
とはいえ、「異世界人」という突拍子もない設定、疑う余地もなく信じているかって言うと、まあ、そこはそれ、なあ?
「虎太郎~~!」
リリンの呼び声で現実に引き戻される。
はあ、相変わらずのマイペースっぷり。
「なんだよリリン。―――おい、起きろ。まったくみっともない、年頃の女の子が大の字にひっくりかえって」
「ぐっ! お、女らしさというものは内面から滲みだしてくるモノときいた! 胸の大きさだの見てくれで判断する男などに、どうこう言われる筋合いはない!」
「その内面から滲み出してくる女っぷりのなさをどうにかしろ」
「だ、だまれ! 見ていろ、今に目にものを見せてくれるわ!」
「はいはい、じゃあまずその喰ってすぐ寝っ転がるのをなんとかしろよ」
「おまえはおかんか。いいから助けろ」
「助けるって、何を」
「満腹で苦しい」
「・・・・・・」
茄子10本分を一気に食べたんだ、そりゃあ苦しいだろう。おまけに白飯も食べてたもんな。
俺は戸棚から胃腸薬を出して水と一緒にリリンに渡した。
「またなんでこんなに茄子を食べる気になったりしたんだよ」
「それはな。この世界の風習だからだ」
「―――は?」
「いいか、波風立てず目立たずにこの世界になじむには、この世界の風習をしっかりと踏襲せねばならん。これは女子なら必ずやっている風習だと聞いたからこそ、こうやって茄子をだな」
リリンはこの世界で目立たず暮らすため(笑) に、「この世界の風習はきちんと守る」と決めているらしく、厳しいオバアチャンのように風習とかにはうるさいのだ。
けど、俺それは初耳だよ?
「ええと・・・・・・すみませんリリン様、俺不勉強でその風習って初めて聞いたんですが、どういった風習だと?」
「なんだおまえ、この世界の住人のくせにそんなことも知らんのか!!」
突然鼻高々で嬉しそうに胸を張るリリン。でも、腹一杯すぎてちゃんと胸を張れてない。胸張ったら胃が苦しいよな。ニットのワンピもおなかがぽっこりと・・・・・・
いやいや、そんなこと考えてないよ! リリンにばれたら面倒なことになる。
「いいか、茄子を食べるのは・・・・・・」
そのとき、ぴたっとリリンが固まった。
「リリン?」
リリンはかたりと大皿と箸を置くと、すっと立ち上がった。大皿にはまだ四分の一ほどの麻婆茄子が残っている。
リリンを見ると、今しがたまでのふざけた表情が消えて、怜悧なまでに真剣な顔をしている。
「行くぞ、虎太郎」
「は? どこへ?」
「この世界に綻びが出来た。仕事に行くから、おまえついてこい」
「はぁあ?!」
なんだよその中二病乙! な展開は。
「おまえが私が他の世界から来たことを信じてないみたいだからな。実証してやる、ついてこい」
「ええ!! やだっ!!」
即答するとリリンはぴくりと眉をひそめ、すっと左手を上げた。
ぐわわわんっ!
「ってえ!!!」
俺の頭の上から金だらいが降ってきたのだ。どこのコントだ!
地味に痛いよ、これ。重たいわけじゃないけど、衝撃が―――
って、どこからこんなもの出てきたんだ?!
「行くぞ」
「な、どこからこんなもの」
「言っただろう? 『世界管理人』は時間と生死に関わること以外はなんでもできると」
何を今更、と言わんばかりの冷たい目でリリンが俺を見ている。俺は口をぱくぱくさせるばかりで声も出ない。
「おとなしく行かないと、次は」
リリンがいらっとした表情で俺をにらむ。
「金だらいに水を入れるぞ」
俺は無言で金だらいを見た。
ごとんとそこに転がっているそれには、縁に値札が貼ってある。
「うそだろ?」
魔法? いや、---世界管理人の力? 何かの手品じゃないのか?
でも、手品ならあんな値札貼ったままにするわけないよな。それにこの金だらい、新品そのものにしか見えないし。
「まだるっこしい。とにかくおまえはついてくればいいのだ。行くぞ」
「え?ちょっと待って、リリ・・・・・・!!!!!」
戸惑う俺の台詞が終わる前にリリンが俺の手を取り、そのまま俺たちは跳んだ。
一瞬の出来事だった。
次の瞬間俺達がいたのは、どこかの山の中だ。真っ暗な中に、冴え冴えと月が光る。松林の脇にぽっかりと空き地があって、ススキが群生して穂を銀色に揺らしている。俺は只々呆然とへたり込むしかない。
何だこれ。
「あれだな。1、2、―――3カ所か」
リリンの指さす先は、ススキの少し上。ちょうど波紋が広がるように数カ所空間が小さく波打っているのが見える。
「な、なんだあれ」
「あれが "綻び" だ。世界と世界の境目が綻びて、混ざってしまう部分だ。放っておくと危険なのでな」
いつの間にか手に持っていた細い金色の杖をリリンが天にかざす。杖をスッと動かすと、先端についた大きな透明の石が軌跡を描く。綻びができているらしい空間あたりを指してピッと止まると、淡い光が石から零れだした。
「これで綻びを修復する」
そう言うと石は一際まばゆく光り輝いた。空間の波打っていたところが光に照らされてすうっと消えていく。2つめまではすぐに消えたが、一番大きい波紋を描いていた3つめだけはそうはいかなかったようだ。
「―――ちっ」
舌打ちなんてして、リリンが忌々しそうに言った。
「遅かったか。おい虎太郎、出番だ」
「ええっ!!」
「おまえが来るのを渋らなかったらもっと早く来られた。そのすきに、はぐれものが出た」
「はぐれもの?」
「別世界から "綻び" をすりぬけてくるモノをそう呼んでいる。
迷い込んだだけならただお帰りいただくだけだが、相手によってはそう行かない場合もある。要は、無理に叩き返さなければならないケースだ。
例えば害意を持ってこちらの世界へ来ている場合とか、な」
「まさかそれを俺にやれと?!」
「おまえの失態だからな、おまえが片付けて当然だろう?」
にやりと嗤う笑みはどうみても真っ黒。けれど、そう言われてしまうとぐうの音もでない。
「・・・・・・ワカリマシタ。でも、片付けるってどうやって」
「よろしい。では」
言うなり、リリンの杖がまばゆい光を放った。
「チェンジ!!」
突然石から放たれた光が幾筋もの帯となって俺を包む。ぐるぐると全身を巻かれて光の繭に包まれて、ふわっと意識が高揚する。
だが一瞬で繭は霧散し、俺はふわりと地面に降り立つ。靴がカツリ、と硬質な音を立てた。
カツリ?
俺、裸足のはずなんだけど。
「えええっ?!」
足下を見下ろして思わず大声を上げた。いつの間にかブーツ履いてるよ、俺!
変身? まさか変身してる?!
「どうだ、すばらしいだろう。日曜の朝、いつも戦っている戦士たちを参考に構築してみたぞ」
日曜の朝! それはいわゆる1つの正義の味方、ってやつですか? 5つの心を一つに合わせて最後は巨大ロボで締めちゃう、アレですか?! それともバイクに乗ってるソロプレイのアレ(最近は仲間がいたりするらしいけど)ですか?!
俺だって小さな頃は正義の味方に憧れたクチだ、ちょっと心が高鳴るよ!
足元から見上げていくと、白いロングブーツが見えた。うん、ヒーローの基本だよな。
続いて薄い布を幾重も重ねた短いフレアスカート、ピンクのビスチェ、胸元の大きなリボン。処々にキラキラしたビーズとレースで飾られたドレスは、月の光を受けてキラキラ輝き……
ええと、何でしょうこの格好は!
「おまっ、これ、これって」
「この世界を護る! 戦士の誕生だ!」
「ララキュアじゃねえかああああっ!」
ララキュア。日曜の朝、スーパー戦隊ものの前にやっている、美少女戦士アニメ。女の子に大ブーム!
やったね!俺もこれで流行の最先端!
「なんて、納得できるかボケっ! 日曜の朝っつーたらスーパー戦隊だろ! ○面ライダーだろ! なんで美少女戦士なんだよ!」
「ララキュアは正義だ! あれこそ女子力の塊、可愛らしさの権化! 戦士といえば美少女戦士に決まっている! 喜べ! 女子力全開だっ!」
「俺は男だーーーーーっ!」
ぜーはーぜーはー。
気を切らして抵抗する俺を見るリリンの顔はあからさまに「面倒くさい」と物語っている。
「よく似合ってるぞ?」
「嬉しくないっ!」
「だが、おまえのその立ち居振る舞いはよろしくない。時間もないことだしな、今回は私がサポートしてやろう!」
次の瞬間、またしても杖の石が光った。
サポートって何ですかーーーっ!
嫌な予感しかしないんですけどーーーっ!
バサッと音を立ててスカートを捌き、ヒールのついたロングブーツを履いた脚を踏み出す。
「天を舞うは鳥、地に咲くは花! 光を纏うはこの私! キューティ・ローズ!!!」
びしっ! と効果音がでそうにポーズを決めてダッサダサな名乗りを上げるのは、俺。
《何だこれ! 勝手に名乗り上げ……》
これか? これがサポートか?!
人の体操ってんじゃねえーーーー!
「やかましいぞ中の人。いいから大人しく見ていろ」
ひでえよリリンさん!
と、キューティ・ローズの中で叫んでいると、綻びのすぐ下のススキががさがさっと動いた。キューティ・ローズの目がキッとそちらを睨み、背筋をビシッと伸ばして叫ぶ。
「そこね! おとなしく出ていらっしゃい!」
ビシっと指さした先、ススキの群生から黒い影がぬっと立ち上がった。
でかい。ゆうに2メートルはある。目が爛々と光り、喉の奥からグルルル、とうなり声を上げるその姿は、黒黒として巨大な……巨大な……
「この世界の者ナスか。わざわざ俺に喰われに出てくるとはいい度胸だナス」
茄子だあああああっ!
でっかい茄子にちょろりと手足が生えた感じ。どこかのゆるキャラにいそうな感じだ。なんかつぶらなおめめだし。爛々としてるけど。
《おいリリン、お前があんなに茄子をドカ食いしたから化けて出たんじゃないのか?!》
「阿呆、あれは♯☆※◎♂世界の知的生命体だ。いいから黙っとれ!」
世界の名前は聞き取れなかった。俺達の言葉では表現できないのかもしれない。……あれ? 俺、もう信じてるな、異世界人設定。まあこれだけ見せられちゃ、な。
てか、俺の言ってること聞こえてるんですね、リリンさん。
俺がパニクってる間にも、キューティ・ローズはポーズを決めながら「そんなことはさせないわ!」とか宣言してる。あ、魔法のステッキ出した。
リリンが操っているのか別人格をいれられたのかわからないが、動きまで女の子だよ・・・・・・
俺が一人で呆けている間にも、キューティ・ローズは巨大茄子にキックを入れたりステッキで殴ったりと戦いを続けている。
キックの反動で一瞬キューティ・ローズの動きが鈍る。
そのとき、茄子が口をがばっと大きく開けた。ちょうど縦に包丁入れて半割にしたみたいにパクっと。
キモっ!!
とたんにドンっ!とものすごいプレッシャーが俺を襲い、一気にはね飛ばされてしまった。
「きゃああっ!」
ずざざざざっ!
舗装もされていない地面に打ち付けられ、そのまま土煙を立てながら転がる。辛うじて止まったが、盛大に擦りむいてしまった。
ちなみにダメージを受けたときの痛みはもろ感じる。いってえ!
「くっくっく……脆いナスな、この世界の生命体は」
茄子が低く嗤う。
「まあお陰でお前らを食い放題ナスな。たっぷりと栄養補給をさせて貰うナス」
茄子のくせに肉食とかなにそれ!
やめて、茄子の挽肉はさみ焼きとか食べられなくなるからっ!
「大人しく偉大な我らの食糧になるでナス!」
「そんなこと・・・そんなこと、私が許さないっ!!」
どっかできいた台詞だな。それよりちゃんと避けろよ、俺も痛いんだから。
「はぐれもの! おとなしく自分の世界へ還りなさい!!」
ステッキを真上に構えると、先端の宝石がくるくると回りだし、キューティ・ローズは踊るようにステッキで空中に大きな円を描いた。
「キューティ・ミラージュ・アターーーーーック!!!」
もう許してくださいお願いします! 必殺技とか叫ばないでください!
恥ずかしさに泣きそうな俺の叫びもむなしく、魔法のステッキから光の奔流が圧力をもって放たれ、巨大茄子をはじき飛ばした。
はじき飛ばされた先にはリリンがいて、彼女が杖を一振りするとその軌跡に茄子が吸い込まれて、そのまま消えてしまった。
「任務、完了っ!! イェイ!」
びしっと額にピースサインを決めてキューティ・ローズがポーズを決めた。
もういいって。
やだもうこんな生活。
「ふむ、今日の活躍は60点だな」
リリンが綻びの修復を終えて俺の変身解きながらうんうんと頷いた。
「は? 60点? どこに目ぇつけてんだよ。ちゃんと追い返しただろうが」
「わかっておらんな、おぬしは」
リリンが右手の人差し指をたてて「ちっちっち」と左右に揺らした。なんか腹立つ。
「任務完了のポーズがだな、いまひとつ華やかさに欠ける」
「・・・・・・」
「もっとこう、目立ってかっこいいポーズをとらないといかん。様式美というヤツだ。そもそも―――」
蕩々とその想いを語るリリンに、俺はもうため息しかでなかった。
「―――だからな、わかったか?虎太郎」
「ハイハイ、聞いてますよー」
「よし、そういうわけで、お前は今日この時から私の弟子だ」
「は?」
「弟子として、せいぜいはぐれもの狩りに勤しめよ」
「なんですとーーーー?!」
「次の活躍にも期待しているぞ!キューティ・ローズ!」
「いやだあああああっ!!」
すすきの原に俺の悲鳴が吸い込まれていったとさ。
ここから、俺の「美少女戦士キューティ・ローズ」としての戦いが始まってしまったのだった。
ちなみに、この次の戦いからはリリンに操られることは無くなったのだが、この戦いでの決め台詞や必殺技名がキューティ・ローズのデフォルトとして何かに記憶されたらしく、これ以降変身する度に【初回と同じ技名や前口上を叫ばないと技が発動しない設定になっている】ことを、この時の俺はまだしらない。
ちーん。
「おっかえり~!」
家に戻ってくると、姉貴が食卓でのんびりコーヒー飲んでた。ああそうか、もう起きる時間か。
正直、さっきの一件で体力も精神力も他の何かもガリッガリに削られてしまったけど、姉貴にはちゃんと食べさせなきゃいけない。俺は養ってもらってる身分だし、ほっとくと寝食忘れて仕事しちゃうから。
ずるずるとキッチンに向かって、麻婆茄子と中華スープを運んだ。
リリンはさすがにもう食べないらしい。
「そういえば、茄子食ってた理由、聞いてなかったな」
ふと思い出してリリンに話しかけた。リリンも「ああ」と思い出して俺の淹れた緑茶をすすった。
「だからな、そういう風習だと。―――そうか、男にはあまり関係ないのだったな。知らなくても当然だ、すまん」
「はあ?」
「つまりだな」
姉貴が飯を食ってる横でリリンがふんぞり返って見せた。
「女っぷりを上げるには、茄子を10本も食べればよかろう、ということだ」
「なにいってんですかーーーっ!」
誰だ、そんなでたらめ教えたの!!
こいつ、そんな出任せ完全に信じちゃってるよ!
「誰に聞いた、それ!」
「おう、スミレ殿に聞いたぞ。食べれば食べるほど女っぷりはあがると」
スミレ―――つまり、
「あ~ね~き~~~~っっ!!!」
姉貴のでまかせか! そう思ってギッとにらみつけると、諸悪の根源は「ごちそうさま~」とさっさと席を立って出て行ってしまった。
が、出て行く直前にふっと振り返って
「嘘は言ってないわよ♪ ああ、リリンちゃん、食べるならオスの茄子じゃなきゃダメよ」
と、わざとらしくウインクを残していきやがった。
「茄子」って、そういう意味か?!
確信犯だな! でもここで追求すると「あら虎太郎ったら色気づいちゃって♪」とか弄ばれることになるのでできない。
待てこのエロマンガ作家!!! 責任とっていけ!!!
「虎太郎。今のはどういう意味だ? そもそも、茄子に性別があるのか?」
残された俺はそのあとリリンの質問攻めに遭い、ごまかすのに変身以上の精神力を削られたのだった。