魔王を倒した勇者、平和になった世界で飼い殺しにされる
もしも勇者が旅の目的を果たして、魔王を打ち破って還ってきたとしよう。
その場合、勇者はどのように扱われるのだろうか。
まず初めに受けるのは、惜しみない賞賛であることは間違いない。
世界を救った英雄として、人類の救世主として称えられ、歴史に名を刻むことは明白だ。
国中で祝祭が行われ、国民たちは魔物に怯えた日々を取り返すかのように踊り、歌う。
子供たちは見たこともない魔王の姿を想像で描いた仮面を被って走り回る。
ではその後、魔王退治の後に避けては通れない道がある。
勇者の処遇だ。
勲章が与えられるだろう。
貴族の位が、もしかしたら王族の席すら与えられるかもしれない。
だがその先はどうなる。
現国王の後継者となるのだろうか。
いかに優れた功績を挙げたからといって、そうはならない。
政を行うには法典の解釈、外交儀礼、租税の仕組み、派閥の均衡、様々な学びが要る。
強さとは何の関係もない領域だ。
ならば国王の側近として相応しい地位に就くのか。
勇者の出自は分からない。
貴族の生まれかもしれないが、ただ強かっただけの下層の民かもしれない。
一筋縄ではいかない。
また、国王は勇者をどう思うだろうか。
喜ばしく思うだろうか。
疎ましく思うだろうか。
国難を排除してくれた恩人ではある。
しかしそこに居るのは、当の国難を凌駕する力。
自国だけでは解決できなかった敵を、ほとんど単身で排除した人物だ。
しかもその人物が斃したのは魔王という、極一部の人間以外にとっては半ば想像上の、御伽噺に登場するような伝説的存在であり、人によっては魔王など最初から存在しなかったとまで嘯く者もいる。
そんな透明な、姿なき悪とは異なり、勇者という存在は確かにここにいる。
自分たちと同じ姿。
同じ言葉を話し、笑い、悲しみ、喜び、怒る。
市場で林檎を手に取り、雨が降れば軒先で雨宿りをする。
人々にとって勇者は身近に存在している。
その身近さが、畏怖を親しみに変えもすれば、親しみを恐怖に反転させもする。
功績を認めて王位に就かせろという勢力が現れるだろう。
国家に不満を持つ者たちが勇者に取り入り、その名を旗印に利用しようとするかもしれない。
逆にその強大な力を恐れ、国の中枢から追い出せと訴える人々もいるだろう。
勇者という存在は、好意をもって解釈すれば無限の輝かしい未来を、悪意をもって解釈すれば絶望的な暗黒を、どちらにでも見出せる器だ。
そしてそのような感情を抱くのは国民だけではない。
国王とて同じこと。
国王も一人の人間だ。
勇者を慕うことも恐れることもある。
だがそれは王座という立場によって、一国民が抱く感情とは全く異なる重量を帯びる。
快く勇者を迎え入れ、輝かしい未来に進みたい気持ち。
獅子身中の虫どころではない脅威を自ら招き入れてしまったかもしれないという恐れ。
焦燥。
己の判断一つで自分の身はおろか、国の、国民の、世界の命運すら変えてしまうかもしれない重圧。
誰にも打ち明けられない孤独な恐怖。
勇者とは言ってしまえば、戦い、勝利しただけの戦士だ。
国政を背負うことと強さとは全く別の領域の話であり、その二つの能力の間には何の関係もないことは誰にでもわかる。
勇者と共に歩むか、勇者を遠ざけるか。
遠ざけるとして、その行為が逆鱗に触れないか。
一般人が制御できない猛獣を飼うようなものだ。
そしてその脅威は猛獣の比ではない。
結果として国王が選んだ道は、どちらとも言えぬ道。
共存という名の飼い殺し。
最高の名誉職を与え、実権は与えず、国政には関わらせない。
その力と威光を利用する者が現れぬよう監視下に置く。
同時に勇者の力を通じて魔法技術を研究し、国力を底上げする。
飼い殺しとはいえ、飼い殺しにも餌は要る。
名誉という餌。
感謝という餌。
「あなたのおかげで」という、羊皮紙に金箔で押された言葉という餌。
勇者だって表向きは最高の待遇を与えられ、その力を国と世界のために、と言われれば断るわけにはいかない。
たとえ差し出された手の先に首輪と鎖が握られていることを――薄々感じていたとしても。
わかっていた。
最初からわかっていた。
凱旋の行進で紙吹雪を浴びながら、沿道の歓声の隙間に、異なる感情の視線が混ざっていたことくらい。
魔王は斃れた。
魔物は大人しくなり、世界はかつての平穏な姿を取り戻した。
世界中の兵士や魔法使いは、この戦争で大きな被害を被ったものの、その技術は磨かれ、魔法は最適化され、体系は整備された。
魔王以前と現在では世界は大幅に進歩している。
万一、俺が反旗を翻したところでどうなる。
精鋭化した軍が、体系化された魔法が、組織として俺を包囲する。
一人の人間にできることには限界がある。
魔王を斃せたのは仲間がいたからだ。
今の俺にはいない。
いや、正確に言えばいるが、彼らにもそれぞれの生活がある。
俺の不満のために命を賭けろなどと、言えるはずがない。
それに。
俺が魔王に立ち向かったのは純粋な思いからだった。
自分の力で人々を救いたかった。
それだけだ。
そしてそれは成功した。
その後の扱いが気に食わないからといって、魔王に対してそうしたように世界に牙を剥くことなどできない。
世界に爪痕を残して死んで何になる。
それが切っ掛けで人類を二分する大戦争が起きるかもしれない。
そんなことはできやしない。
俺は人々を守るために戦ったんだ。
ようやく勝ち取った平和を、俺自らが壊してどうする。
壊した先に何がある。
勝っても負けても、この平和だけは絶対に壊さない。
俺にも誇りがある。
矜持がある。
国王には国王の役割がある。
国民には国民の役割がある。
俺という勇者には勇者の役割が、あった。
俺の役割は魔王を倒した時点で終わったのだ。
だから何の不満があろうか。
窓の外では冷たい風が旗をはためかせている。
俺は日誌を閉じ、椅子の背もたれに深く沈む。
残されたのが緩やかに死んでいく生だとしても、俺はこの椅子に座り続ける。




