6話 石板(推定白銀時代)
あからは、仮想世界でたくさんの初めて、を経験した。
硬いベッドと、寒い朝も、その一つだった。
寝た心地はしないが、代わりに疲労も感じなかった。
「ふしぎ、機械の中で寝るなんて」
今のところ、おじが起こしに来る気配も、ハウスシステムによる中断も起きていない。
つまり、このオールダイブシステム上の時間は、あからの現実世界の時間の流れと全く異なる、レート出来にはこちらの世界の方がはるかに圧縮された時間なのだろう、とあからは理解した。
「あっ、まずい、いかないと」言葉では焦りつつも、あからの鼓動は焦りとは全く違う、喜びによって跳ねていた。
――朝起きて、やることがある!!
ヴィクセンに頼まれたこと、まずは食堂の土像を起動させることがあらかの仕事だった。
「お、おはようっ」あからのうっすらとした理解では、土像の心臓にあたる石が重要だった。それこそが、土像の個人という単位に相当するものであったから、この理解は間違いではない。
清潔な布を一つ、あらかは掴むときゅっと長らくの台所仕事により薄く汚れていた土像の石を拭う。ぼんやりと色づいていた石は、磨かれると、徐々にではあるが、光を鋭利なものへ変えた。これが正しいのか、あからにはわからなかった。
だから一歩、後ずさった。
勝手に行動して、そして間違えたことをする。子供なら誰しもが通る、恐れだった。
だが、
「わっ」コツン、と、あからの後ろに、起動したばかりの他の土像が迫っていた。列をなすように
あからが石を磨いた土像。それが小さく、カタカタと揺れることで、人間には聞くことの叶わない、彼らだけのコミュニケーションで、広まっていたのだ。
これは心地よい。
土像の歴史からすると、あまりに原始的な言語であったため、とてもあからの時代の言葉には直せないが、ニュアンスはそんなところだった。
コロコロと、小さなものから、台所の門番も兼ねた大型のものまで、命じられてもいないのに、土像が集まる様子は、聖堂教会の信者に見つかれば即刻断頭台行きだっただろう。
だが、幸にして、今ここにいるのは、白銀時代において人権を持たなかった土像族と、あからだけだった。
「あ、よ、よかった!?」土像は答えない。だが、ただじっとあらかをまった。
「へへっ、任せて! 僕が、綺麗にしてあげる!」
あからは、土像につけられた拭けば輝く様々な石を眺めながら考えた。とても、綺麗な赤だと。
「はっ、しまった、朝の準備、間に合わないかも……」
にわかに、人が起きてくる気配がする。一方で、土像たちの作るスープは鍋二つ分ほどしか出来上がっていない。あからの顔が徐々に青くなっていく。
いち早く、あからの焦りに気がついたのは、台所で、ネズミを追うだけの小さな土像だった。
「ど、どうしよう……どうしよう……僕が、僕がのんびりしてたせいだ……」
もし、使える人間でないのなら、きっとヴィクセンはあっさりあからを見限るだろう。
その事実が、あからの頭らかつま先までを絶望一色に染める。
慌ただしく土像たちが闊歩する中、あからにできることは限られている。でも、何もしないわけにはいかないだろうと、オペレーション同士を繋ぐ土像の合間を縫って必死に動き回った。
ついに、食堂の方に人が来た。
よりにもよって、ヴィクセン・スコルが。
白い布で首元までしっかりを肌を隠す厳粛な姿は、小脇に抱えたいくつもの新聞がなければもっと神秘的に見えただろう。
どかりと、食堂を見渡せる大きな机に座った。
「お、おはようございますっ!!」謝る時は、一刻も早く。叔父の教えを信じて、あからはヴィクセンの返事も待たずに、一気に捲し立てた。
「ごめんなさい! まだスープはなべ三つ分しか、用意できてないんです……」
涙が出そうになるが、ヴィクセンがそい打った情緒的理由であからを、子供を多めに見るタイプには思えなかった
幻滅されたくない。幻滅するところを見たくない。その思いでぎゅっと目を瞑り、裾を握りって固まったあから。
だが、あからが想像したこの瞬間に起こり得る数多の罵倒や叱責、軽蔑のいずれも、起きなかった。
それどころか――
「おぉ、やるな」
くしゃり、ぞんざいで、でもあたたかく、大きな手があからの頭をなぞった。
擦れる音、タバコの匂いがする。
「ふぅーー、今日は早えな。いつもはこれで待ってるんだが」
ヴィクセンはタバコを持った手で、机に広げた新聞を指した。
「あ? なんだアカラ、顔が――」
「なっなんでもないです!」
焼けるように暑い頬。いうことを聞かない頬を両手に抱えたまま、あからは台所へ猛ダッシュしていた。
「ほ、ほめられちゃった……」
すでに、朝食用の鍋を作り終えた土像たちがあからを心配そうに囲んでいた。




