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3話

 洗濯室には、すでに運ばれてきた大量の布類が塔のように積み重ねられていた。衣類から、どこかのカーテンか、敷物か。得体のしれないしみが付着したものもあった。現実であれば、嫌悪の一つでも自然と顔に出るような光景に立ち会って、あからはようやく嗅覚の再現が行われていないことに気がついた。

 多くの、本来なら存在するはずの生理的機能がシステムでは再現されていない。だが、今の状態ではあからはむしろその方が好都合だと思った。

 鈍った感覚では、本来の水の冷たさはないい。だからミニゲームのように、あからは黙々と洗濯をこなすことができた。桶と洗濯板の使い方は洗濯室の壁画に書いてある。しゃがんで作業に没頭した。

 積み上げられた山の一つが片付いた時、あからの右肩はちょうど人の手ほどのサイズの衝撃を伝えた。

「君が新入りぃ?弱っちそうだね」

 さらさらと流れる金髪をひとまとめに括り上げた女は、アンジェと名乗り、「もうすぐ私たちの食事の時間だからぁ」と、あからの持つ途中の洗濯物が水の中に落ちることなどまるっきり関心がないようで、有無を言わせぬ腕力であからを引っ張り、歩き出した。

「あ、ありがとう。アンジェさん」おかしなタイミングではあるが、呼びに来てくれたことのお礼を言いたかった。しかし言われたアンジェの方は、口をへの字に曲げて、「……なにぃ?あんたいいところのお坊ちゃんか何かだったの?」とだけいった。疑問符がついていそうな音の上がり方だったのにも関わらず、あからの返答を待たずに。

 食堂に近づけば、人の気配が強くなる。たくさんの人間が怒鳴り合うような出鱈目に言葉が混ざり合って、伸び、反響している。そういった音にかき消される前に、あからはアンジェに挨拶がしたかった。

「これから、よろしくお願い、します」

 アンジェはその言葉を黙って聞き、目を不審物を見るように吊り上がらせて、頭の上からつま先までじっくりを眺めてから食堂に入った。もちろんあからを置いて。

「ま、待ってください」不安になってその後を追いかけようとしたが、今度は別の人に呼び止められた。

「よお、洗濯はどのくらい終わった?あ、なんでガキ用の服を着てるんだ?」

 院長はめざとく、あからが来ている服が変わっていることに気がついた。井戸の前で何があったか、説明しなければいけないだろう。そして、そうしている間にアンジェを見失うだろう。

 

 食事が置かれたお盆を受け取り、二人は席についた。食事と並行してあからが話し終わると、ヴィクセン院長はどうでも良さげに、「そうか」とだけいった。

 ヴィクセンにはもっと大事な話があった。

「ここでの1日を教えてやる」丸い金属で、煤けたチェーンにつながる時計を対面に座るあからの前に置きながらいった。

「朝は鐘がなったら起床。ガキどもは勝手に起きてくるから、食事を配分しろ。ここの奥、あっちに、」ヴィクセンはスプーンを持ったまま、右手側を指した。「お前は文字が読めるんだよな。手順通り、つってもお前がすることは厨房用ゴーレムの起動くらいだ。あとガキどもが厨房まで入ってこないように見張っとけ」時計を開くと、文字盤をなぞるように触れながら続けた。

「これの読み方は……わかるならいい。十二時には祈り、十八時にはいまみたいに夕食だ、夕食はアンジェに聞いてやれ」説明に飽きたようにヴィクセンは時計の蓋を閉じた。

「なんだ、全然食ってないじゃねーか」あからの椀と手付かずのパンを見ていった。

「お腹、減ってないみたいで」あからは仮想世界での食事より興味があることがあった。その考えのせいで、食事どころではない。

 いったい、現実の方ではどれくらい時間が経っているのか。時間は圧縮されているのか、等価なのか、まさか現実世界の方でとてつもない時間が経過していることはないだろう。

 しかし、あからはそこまで考えて、それも、つまり、あからがこのシミュレーション装置から置きがった時、十年くらい月日が経っていてもいいと思えた。あからはここで過ごした、現実換算でいくらになるかもわからないが、今の体感で十時間ほど、それだけで、あからが記憶にある限りのどの瞬間より、満たされて、人間を、社会を感じられた。例え、今目の前で粗野な動きで残りのスープをかき集め皿を舐め回すように食事をする男がすべてシステムの作った偽物の、数値の羅列でしかないとしても、確かに、あからはそこに人の魂を感じた。

 椀に残るスープを飲み干して熱を感じるように。

 残った硬いパンをポケットに入れて、あからは立ち上がった。いつこのシステムが起動するのかわからない。もし、これが現実世界ので何時間も経過してるなら、叔父はあからの教育に良くなかった、と判断して取り上げてしまうだろう。だから、そうなるまでは、この世界を楽しんでいたかった。

 叔父が、あからのためと言って、取り上げる。

 どうして、すっと、こんな考えに至ったのだろうか。頭のどこかで、何かが揺り動かされる。

 

 あれは、絵本だった。気がする。

 何百年もの大昔。魔法が、神秘が、神々が、まだ人と共にあった時代。

 あからも、食事を受け取るときに見たではないか。のっそりと、無機質な冷たさと、苔むした体で、人間を模して作られた泥人形。ゴーレム。

 お供のゴーレムと、王子様が冒険するお話。

 お気に入りの絵本だったのに、叔父は「旧時代思想が強い」とか「人権意識が」とか、言って、取り上げてしまった。

 あんなに泣いたのに、どうして忘れていられたんだろう。

 冒険を思い出すと、あからは急に厨房で動くゴーレム達が、血の通った、頼もしい仲間のように思えた。

「ありがとう、おいしかったよ。明日は僕が起こすから、よろしくね」そう、冷たい岩肌を撫でて言った。

 額の魔石が、まるで返事をするかのように煌めいたのは、あからの勘違いではなかった。

 だが、それを知るのはずっと後になってからだった。 

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