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2話 

「おい、お前。名前は?」

 天空からとめどなく溢れ出る雨のノイズの中であっても男の声ははっきりと聞こえた。あからは寒さを感じない。当たり前だ。システムはあくまで学習のため。感覚機能は衝撃などの物理作用を優先して作られており、細かな、特に不快感を催す感覚を作り込まなかった。

「言葉がわからないのか? な・ま・え」

 俯いていたあからの顎を掴んで、男は大きく口を動かした。

 本物みたいだ。

 男のまつ毛に乗った雫がゆっくりと、毛先を伝って溢れる。その物理作用の一つ一つが、違和感なく見てとれた。ここが学習教材の仮想世界であることを知っていてなお現実感は否定できない水準でそこにある。あからは息を呑んだ。

 息を、呑めるのだ。

 ならば、声帯を震わせることもできるだろう。

「おじさん、誰……?」あからの予想通り、入力は音声だった。

「んだよ。はっきり喋れんじゃねえか。で、お前もどうせ孤児なんだろ。こい」腕を引かれつんのめる感覚まで、ちゃんと存在する。無関心に通り過ぎる大人たちも、近づいて、顔を覗き込んで、話しかければ十人十色の反応を示すのだろうか。あからの歩みを待たず、引きずられる用にしてたどり着いたのは灰色の建物だった。

 外壁の飾りは質素で、建物よりも、周りを高く囲む塀の方がお金がかかっていることが、あからにもわかった。

「お前、名前は? 今いくつだ? 言葉はどのくらい話せる?文字は読めるか?」一方的に質問をぶつけてくる男は、高圧的に振る舞うことにも、素性の知れない子供と会話することにも慣れきっていてるようだった。

「あ、から。もう十二歳だから、言葉は、話せるよ。文字は……多分無理だけど」起動の時にこのシステムがいったこと。魔道の時代ならば。そんな昔の言語をあからが使えるわけはなかった。だが、男の離す言葉はあからの知っている言語に聞こえる。そういう設定なのだろうと、飲み込んであからは答えた。

「十二?」男は眉を吊り上げて笑った。「まあそういうことにしてやるよ。じゃあアルディアの法律では成人だな」カラッとした笑い顔は徐々に、仄暗いにやけヅラに近いものへ変わる。あからが頷けば男は立ち上がり、ついてくるように指示した。

「お前、親いないだろ。そんでこの世界の常識もわかってない。今のお前は、人頭税未納で、保証人もなし。こんな田舎でも、いや、辺境だからこそ、お前みたいな無力な違反者は盛大に吊るし上げなければいけない。――ああ、もっと簡単に言おうか。お前の命は俺次第ってことだ」

 男はそこまでいうと、指を一本立てて、あからの目に刺すように突きつけた。

「だが俺もそこまで無慈悲にはなれない。このご時世、お前の身におきた類の不幸の全てが、他人事じゃないからな。だから、この孤児院の経営理念でもある、弱者救済といこうじゃない」

 灰色の壁がどこまでも続くような廊下には採光のための窓が一定間隔で備え付けられている。立ち止まった男は、その窓の一つを指差した。外の、塀と建物の間には井戸がある。その井戸の前に、数人の子供が立って、何やら揉めているようなそぶりだった。音までは聞こえない。だが、一人を囲んで、次の瞬間には突き飛ばし、尻餅を子供がついた。追い打ちをかけるように頭上で、桶がひっくり返る。

 重力に従い、組み上げられた流体が一瞬だけ滝の様相を示した。窓から覗く影に気づいたのか、それとも目的を果たしたからなのか。あっというまに蜘蛛の子を散らすように、一人を囲んでいた子供達は駆け出し、呆然とするびしょ濡れ子供一人だけが取り残された。

「ご覧の通り、この場所には監視の目が届かないやんちゃなクソガキがたくさんいる。ああいう小競り合いも、しょっちゅうだ。お前は職員としてあいつらを適当に指導しろ」うんざりしたように男はいった。

「そういえば、俺の名前を名乗ってなかったな。俺は、ヴィクセン・セグムド。セグムド孤児院の院長で、お前の上司だ。忘れないように、アカラ」

 差し込む偽の陽光がヴィクセンを照らした。

 アカラ。

 その名前を叔父以外の人間が呼ぶのは、久しぶりだった。

 少しも似ていないのに。顔も思い出せないのに。そう大人の男に呼ばれると、父に呼ばれているようだった。

 だから、あからがかつて父に対してそうだったように、無条件で頷いた。



「とりあえず、さっきのガキの服を変えておけ。風邪でも引かれると厄介だ。んで、服を回収したら、ついでに洗濯場で洗っておけ。洗濯が終わったら夕飯。わかったか」

 ヴィクセンは胸から丸い時計のようなものを取り出して眺めるとそういった。「時計?」「ああ、うちで働く職員はみんなもってんだ。後でお前にもやるよ」

 ガキ。とだけ言われて子どもの名前をヴィクセンは把握してなかった。「いつくガキ抱えてるんだと思ってる」そういった時の、苛立ちに眉間にシワがよった顔を思い出して、あからはどきりと再び心臓が跳ねた。叔父との暮らしでは、叱れることも苛立った声をぶつけられることもなかった。

「あの……」井戸の前にはまだ子供が座り込んでいた。カタカタと震えているのを見て、あからは子供にどういう言葉をかけるべきかわからなかった。歳はそこまで離れているとは思えないが、それは何の慰めにもならない。あからは同年代と話した記憶がない。常に周りを囲むのは大人だった。

 といっても、あらかの記憶は両親の葬式から始まるのだが。

「水を、浴びてたのかな?」あからがその肩に手を置くと、子供は飛び跳ねて、ボサボサの黒い髪の隙間からあからを鋭く睨みつけた。

 揉めている現場を見ぬふりしたせいか。あからが言葉をさがし視線を彷徨わせていると、「誰」と子供がいった。

「あ、アカラ!今日から、この孤児院で、働くの」そう言いながら、あからは不思議な気分になっていた。これはあくまで教育教材で再現して知る大昔の景色。ここから何か歴史的な出来事が始まるのか。

「ふーん」

 値踏みするような視線が気まずい。だが教材が準備し、シミュレートしている人格プログラムに遠慮することがあるだろうか。しかも年下。あからは思い切ってその目を睨み返した。二つの視線が交差し、火花が散る。

「わあ」間抜けな声が漏れた。

 あからが知っている人間は叔父だけだった。叔父は母と同じ赤褐色の目で、あからも同じだった。そして写真で見た限り、父の目は色はオリーブ色だった。

 だからあからはそのときが初めてだった。

 真っ赤な瞳を見たのは。

 汚れた髪の隙間から、そのまま飛び出していって、不敬を働くものを焼き殺す。天高く燃え上がる業火のような赤だった。

「君は、赤いんだね」

 月並みな感想だった。でも、あからはうっすら知識として知っていたことが、目の前で事実であったことが知れて、嬉しかった。

 赤い目の人がいるんだ。

 どうして、どこで僕はこれを知ったんだろう。

 一つの発見から、知識と記憶の鎖が揺れ始める。

 そしてその揺れは、あからの心の奥で眠りについていた古い記憶を一つ、目を覚ましたようだった。

 

「アカラ、知っている?うさぎさんは、赤い目をしているのよ」優しい声。ハウスシステムじゃない、馬鹿げたチャイルドプログラムでもない。

「うさぎだけじゃないし、うさぎのすべてでもない。目が赤くなるのはな――」先ほどより低い声だ。でも叔父じゃない。もっと、ほっとするような落ち着いだトーンだ。「全く、アカラには早すぎますよ」「何「しかし、正しいことを教えるべきで……」くすくすと、自然と笑みが溢れる。この情景を知っている。

 だが。

 続きは?

 あからは永遠にその微睡の中にいたかった。

 だが、あからの人生がいつもそうであったように、醒める。

「んだよ、テメー。喧嘩売ってんのか?」

 ひんやりとした感覚があからの首元を占める。襟首を、年下の子供に絞められていた。覗き込むギラギラとした好戦的な赤は、ちっともうさぎさんじゃない。あからは首を振って、まだ残る夢の残滓を振り払い、目の前の子供の誤解を解いた。

「ち、ちがうっ」

「じゃあ、何のつもりだ?」

「初めて、見たから。赤い目……」あからは冷たさで思い出した

「そ、そうだ!服洗濯しないと……!寒いかもしれないけど、脱いで!中に入れば、替えがあるんでしょ?」即座に首が横に振られる。子供の替えはないらしい。だが、あからは初て与えられた仕事をこなしたかった。

「じゃあ、僕の来ていいから、服ちょうだい」するすると来ていた服を脱いで、子供に差し出すと、子供もようやく濡れた服を脱ぐ気になったようだった。

「あっ、服返してもらわないとだから、名前は?」

「ヒーゼン」疑いに満ちた瞳で、ヒーゼンはあからから服を受け取った。

「じゃあ、代わりの服に着替えるまで、なるべく汚さないでね」さほど期待していない。ただのお願いをあからは笑いながらした。ヒーゼンの着ていた服はぐっしょりと濡れている分重たい。布の状態を見れば、明らかに井戸水ではない、泥水が付着した後と、汚れがたくさんついていた。

 ヒーゼンは無表情で頷いてから駆けていった。



 「ヒィデン・エクス・フォーレンダムが、晩年の自著「白桃日記」において、述べた自らの人生に対する――」リ教授はそこで言葉を止めた。大切なことを話す前に、学生の反応を見ようとしたのだ。だがそのせいで最前列で机に突っ伏して眠りこける自らの弟子にあたるロンドの存在に気がついてしまった。

「ロンド。ロンド・アルバ!」

「ヒャ、ヒャいっ! ああ、先生かぁ」

「先生かぁ、じゃない。熟睡するほどわたしの授業は退屈だったか?」「とんでもない」「では、ヒィデン・エクス・フォーレンダムの、言葉を頼むよ」

 冷酷なフリがうまいが、先生はやはり冷酷にはなりきれない。ロンドはそう舐め腐ったことを考えて乾いた口内を潤すように舐めた。

 ヒィデンが直接残した言葉。それはロンドの守備範囲だ。

「白桃日記ですか」教授は答えないが、ロンドは確信する。

 それならば、答えは一つだ。

「『わたしは、人生において三度死んだ。そして、その三度とも、日々の太陽のめぐりのように、再び登ったことで、今に至る。一度目の死は、フォーレンダム家から捨てられた時。わたしはかろうじて生の端に引っかかるぼろきれに等しかった。そして、一度目の死は――忘れもしない――最も暖かな日差しとともに、立ち昇ったのだ。異臭を放つわたしに、手を差し伸べて、暖かな布で包み、笑いかける光。もし、今一度。全ての地位を捨てて過去に一度だけ戻ることが可能ならば、わたしは一才の躊躇いもなく、あの日を選ぶだろう。』ここまででいいですか?全文暗唱できますけど、」「結構だ」

 教授が犬でも追い払うかのように手を振ると、授業は再開した。

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