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第96話「帝都の影、覚悟の夜」

決戦の日まで、あと二日。 学校からの帰り道、私と双子はいつものように帝都の繁華街を歩いていたが、街の空気は明らかに異様だった。 すれ違う人々の表情は険しく、些細なことで言い争う声があちこちから聞こえる。


「なんだよ!ぶつかっておいて謝りもしねえのか!」


「あんたこそ、どこ見て歩いてんだ!」


道端では、原因不明の体調不良を訴えてうずくまる老婆の姿もあった。


「うう…なんだか胸が苦しい…。悪いものでも食べたかのう…」


「……ひどい…。街全体の『気』が、淀んでる……」


私は、見えない重圧に眉をひそめた。


「ああ…。妖どもが、人の負の感情を煽ってやがる」


清馬様が、苦々しげに吐き捨てる。


「満月が近いせいで、親父(清影)の力が強まって、下級の妖まで活性化してんのか…!」


「…これは、我々だけの問題では済まないな」


清継様が、冷静に、しかし厳しい表情で呟いた。


「満月の夜、祭壇で父(清影)を止められなければ、帝都そのものが『鬼』の気に飲み込まれるかもしれん」


「そんな……!」


私たちの戦いが、この帝都の運命をも左右する。 その重い事実に、三人の表情が引き締まった。


近衛家の書庫では、清継様が古文書の山の中から、ついに一つの記述を発見していた。


「…これだ。『鬼神降ろし』の術。 術者と鬼神の魂魄こんぱくの結合が完全でなければ、外部からの『呼びかけ』 特に血縁者の強い『想い』によって、一時的に『鬼』の支配を揺さぶることが可能…?」


しかし、その続きを読み進めるにつれ、彼の表情は険しくなる。


「(苦々しく)…だが、危険すぎる。 下手をすれば、呼びかけた者の魂が鬼神に取り込まれる…。 しかも、成功したとしても、それは根本的な解決にはならん…」


見つけた手掛かりが、あまりにも不確実で危険なものであることに、彼は唇を噛んだ。


一方、道場では、清馬様が木刀を構え、静かに目を閉じていた。 以前のような荒々しい気配は消え、その身に宿る雷光は、激しくも安定した輝きを放ち始めている。


(…そうだ。俺の力は、守るための力だ。 琴葉を、兄上を、母上を…そして…親父を止めるための…!)


彼がゆっくりと木刀を振るうと、雷光は彼の意のままに美しい軌跡を描き、的確に道場の柱の一点を打った。 力が、完全に制御されている。


「…よし…!」


道場の隅で、私は静かに見守り、安堵の微笑みを浮かべていた。


「すごいですね、清馬様。まるで、雷光が生きているみたい」


「(照れくさそうに)…へへ。お前のおかげだよ。 俺が何のために戦うのか、思い出させてくれたからな」


二人の間に、穏やかで強い信頼の空気が流れた。


そして、決戦前夜。 清顕様は、双子と私を書斎に呼び出した。

地図などはなく、ただ静かに私たちを見据えている。


「…明日だ」


その一言に、部屋の空気が張り詰める。


「……」


「清継。お前が見つけた『呼びかけ』の術。…それは、最後の手段だ。 私が奴(清影)を抑える。お前は決して使うな」


「しかし、父上!」


「私を誰だと思っている。近衛家当主だ。 …それに、あれは…私が蒔いた種だ」


清顕様は、有無を言わせぬ口調で続けた。


「清馬。…お前の力は、使い方を誤れば鬼の力を増幅させかねん。 本来ならば祭壇へは…」


「断る!」


清馬様が、即座に叫んだ。


「俺も行く!琴葉と兄上だけを行かせるわけにはいかねえ! それに…あんた(清顕)と親父(清影)の決着を、俺は見届けなきゃならねえんだ!」


清顕様は、息子の強い意志に、一瞬だけ目を細めた。


「……よかろう。だが、決して前に出るな。 お前の役目は、琴葉を守ること。 そして、万が一、兄(清継)が『術』を使う際には、それを補助しろ。いいな」


「……!わかったよ」


清馬様は、不満を飲み込み、力強く頷いた。


最後に、清顕様は私に向き直った。


「…そして、琴葉。お前の『白金の光』。 それだけが、あるいは奴(清影)の魂に届くかもしれん。 …だが、無理はするな。清継の言う通り、危険すぎる」


「…いいえ、清顕様。私、やります。…それが、私の役目ですから」


私は、真っ直ぐに彼を見つめ返した。


「……」


清顕様は、何も言わず、ただ静かに頷いた。 その瞳には、以前とは違う、私たちを信じようとする響きが微かに含まれていたように思えた。


同じ夜。

薫子様は自室で、あの黒い舞の衣装を身に纏い、一対の扇子を手に、静かに目を閉じていた。 部屋には、清らかな香が焚かれ、祭壇のような厳かな雰囲気が漂う。 その黒地に金の刺繍が施された衣装は、いにしえの巫女が荒ぶる鬼神を鎮めるために舞ったと伝わる、いわくつきの祭祀さいしの装束だった。


彼女がそっと扇子を開くと、清らかな霊力が、まるで歌うかのように部屋に満ちていく。 それは、清影様や双子とは全く質の異なる、いにしえの巫女舞にも似た、神聖な力だった。


ついに、満月の夜が来た。 帝都の上空には、妖しく赤みがかった満月が浮かび、

街は不気味な静けさに包まれている。


近衛邸の地下へと続く、あの隠し階段の前。 清顕様、清継様、清馬様、そして私が立つ。 その後ろには、静かに祭祀の装束を纏った薫子様の姿もあった。


「母上!?あんたも行くのかよ!」


清馬様が驚きの声を上げる。


「ええ。これは、私の戦いでもあるのですから。 ……あの人(清影)を止めるために」


薫子様の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。


「……好きにするがいい」


清顕様は、短く答えた。


「…兄上、琴葉。…絶対に、死ぬんじゃねえぞ!」


清馬様が、私たちに力強く言う。


「ああ。お前もな、清馬」


「はい、必ず!」


清顕様が、重い石の扉に手をかける。

その向こうには、十六年の時を経て再び相見える、鬼と化した弟(清影)が待っている。


「……行くぞ」


固唾を呑んで、五人は暗い階段を下りていく。

運命の戦いの幕が、今、上がろうとしていた。

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