第93話「歪んだ誓約、十六年の仮面」
清顕様の「父として」という、初めて聞く言葉の重みがサロンを支配している。
双子は複雑な表情で俯き、薫子様は静かに目を伏せている。 私は、ただ息を詰めて彼らを見守っていた。
「……父……として……」
「(顔を上げ、清顕を真っ直ぐに見据え) ……父上。いえ、清顕様。 一つだけ、どうしてもお伺いせねばならないことがあります」
清継様が静かに問う。
「……何だ」
「なぜ……。なぜあなたは、あの日、あの祭壇で全てを失ったはずの母上と……結婚を?」
「そして、我々を……憎むべき弟の子である我々を、自らの子として育て上げたのですか。 ……近衛家の『理』に、反してまで」
(それは、誰もが抱いていた、しかし口に出せなかった最大の疑問だった。 薫子様が、息を呑む気配がした)
「(しばしの沈黙の後)……『理』に反して、だと?」
「(自嘲するように)……いいや、違うな。 あれこそが、私にとっての『理』。 近衛家当主としての、最善の『選択』だった」
(彼の瞳に、再びあの十六年前の、冷徹な光が宿る)
(――場面が、白くフェードアウトし、十六年前の近衛家へと切り替わる――)
(祭壇での激闘から数日後。屋敷は重苦しい空気に包まれていた。 当主(清顕の父)が、清顕と向き合っている)
「……清影の追放は決定した。 だが、問題はあの女だ。 あれほどの『力(毒)』を持つ者を、野に放つわけにはいかん」
「…処分なさいますか」
「それも考えた。だが、あの女は、清影の『忘れ形見』を宿しているやもしれん」
その時、奥の部屋から、女中の切羽詰まった声が聞こえる。
「大変です!あの娘が……急に倒れてしまい!」
駆けつけたのは、通常の医師ではない。
長年、近衛家に仕え、霊的な診察をも行う特殊な能力を持つ老医師だった。
彼は薫子の脈を取り、その腹部にそっと手をかざすと、目を見開いた。
(老医師は、別室で待つ当主と清顕の前に進み出て、静かに告げた)
「申し上げます。あの方の体内に…新たな生命の『気』が。 それも、極めて強力な……清影様のそれに酷似した霊気を帯びております。 …ご懐妊、間違いございません」
「(苦々しく)……やはりか。……鬼の子を、宿したか!」
「(父の言葉を遮り)…お待ちください、父上」
「私に、考えがございます」
(場面は変わり、薫子が軟禁されている部屋。
憔悴しきった彼女の前に、清顕が一人で現れる)
「(憎悪を込めて)……あなた……!清影を……!よくも、私の前に……!」
「(彼女の憎悪を意にも介さず)……お前に子ができた」
「(ハッとして、無意識に腹部を押さえ)え……?」
「……近衛の血を引く子が、鬼の子として生まれることは許されん。 一族は、お前と、その腹の子ごと『処分』することを望んでいる」
「(絶望に顔を歪め)……そんな……!」
「……だが、私が、それを止めた」
「……!?」
「(冷徹に)……私と、結婚しろ、薫子」
「……な……!何を……!?」
「私の妻となれば、お前も、その子も、近衛家の『庇護』の下に入る。 誰も手出しはできん」
「(震える声で)……ふざけないで……! あなたが、清影を……!なのに、なぜ……!」
「(彼女の顎を掴み、顔を近づけ、歪んだ独占欲をむき出し) …なぜ、だと?……決まっているだろう。 清影が、命懸けで手に入れようとした『宝』を、私が手に入れる。 …奴への、最大の『勝利』であり、『復讐』だ」
「……それに、お前の『力(毒)』は、惜しい。 私の『管理下』に置けば、いずれ近衛の『薬』にもなろう」
「(涙を流し)……最低……!」
「(冷たく言い放ち)……選べ。 私の『鳥籠』に入るか。 ……腹の子と共に、『処分』されるか」
(薫子は絶望した。 だが、彼女の脳裏に、封印される直前の清影の最後の言葉が蘇る。
(『もし……もし、俺たちに……子が、授かったなら……頼む……!』)
「(涙を拭い、清顕を真っ直ぐに睨みつけ)……分かり、ました。あなたと、結婚します」
「……ほう?」
「ただし、条件があります」
「私から、『薫子』という名を奪いなさい。 庶民であった過去も、清影と愛し合った記憶も、全て捨てます」
「私は、近衛薫子として…… ただ、この子を産み、育てるためだけの『器』になります」
「(その覚悟に、一瞬だけ目を見開き、そして歪んだ笑みを浮かべ) よかろう。それでこそ、私の『妻』にふさわしい」
(そして、十月十日の時を経て。薫子は双子を産んだ)
(産着に包まれた二つの小さな命を胸に抱きながら、薫子は涙を流した。 弟は、まるで父・清影の激しい魂を受け継いだかのように、力強い『熱』を放っていた。 『清馬』…父のように自由に駆けてほしい。 兄は、不思議なほど静かで、『理』の気配を纏っていた。まるで…あの憎い男(清顕)のように。 それでも、この子もまた、清影の忘れ形見。 『清継』…あなたは何を継ぐというの。どうか、父(清影)の無念を…。 二人の名に、愛した男の『清』の字を刻み、彼女は震える声で初めて呼んだ)
「(涙ながらに)……清継……清馬。あなたたちは……あの人の……」
(この子たちだけは、何があっても私が守り抜く。清影、あなたが見ているなら……!)
薫子は胸の中で、強く誓った。
「(その光景を、冷たく見下ろし)……見苦しいぞ、薫子。その子は、私の子だ」
清顕の声には、何の温かみもなかった。
「…お前には、少し『時間』が必要なようだな。 巴里にでも行って、頭を冷やしてくるがいい。 ……母親としての『自覚』を持つまで」
(――回想が終わる。サロンは、あまりに醜く、そして悲しい「十六年間の真実」に、凍りついていた――)
「(震える声で)……そんな……。母上……。アンタ、そんな理由で…巴里に…」
「(父・清顕を、もはや憎しみとも憐れみともつかぬ目で見て) ……あなたは……。あなたは、母上の心も、我々の血も…… 全てを『支配』することでしか、あなたの『理』を保てなかったのですね……」
「(静かに立ち上がり)……私は、後悔していない」
(そう言い切る父(清顕)の瞳の奥に、一瞬だけ、過去の自分の行いへの深い悔恨のような揺らぎが見えたのを、清継は見逃さなかった。 だが、彼はすぐにそれを『当主』の仮面の下に隠した)
「(双子を、そして私を見据え) ……この十六年間、近衛家は『平和』だった。 …清影が現れるまではな」
薫子は静かに立ち上がり、清顕の隣に並び立つ。 その表情は、もはや悲劇のヒロインではなく、近衛家の『奥方』としての覚悟に満ちていた。
「 …清継、清馬。そして、琴葉さん」
「これが、私たちの『過去』の全てよ。 …そして、七日後に、私たちが向き合わねばならない『未来』」
「…さあ、どうするの? …あなたたちは、この『呪われた血』の物語を、どう終わらせるつもり?」
(全ての過去が明かされた。残された時間は七日。 私たちは、それぞれの覚悟を胸に、満月の夜へと向かう決意を固める)




