第92話「祭壇の激突、鬼の誕生」
サロンに突き刺さるように響く、清顕様の 「人ならざるものに、変わり果てていた」 という言葉。 薫子様は息を呑み、双子は言葉を失っていた。
「(かろうじて声を絞り出し)……人ならざる、もの…?それって……」
「(父・清顕の瞳の奥にある、深い絶望と後悔の色を読み取り) ……あなたは……。あなたは、その『儀式』を、止められなかったのですね」
清継様の静かな問いに、清顕様は目を閉じた。
「……そうだ。……私が、あの『開かずの祭壇』に辿り着いた時、全ては……終わっていた」
その苦渋に満ちた声が、私たちを、あの破滅の儀式の現場へと誘う。
(――場面が、白くフェードアウトし、二十数年前の、開かずの祭壇へと切り替わる――)
屋敷の地下深く、冷たく湿った石造りの広大な空間。 中央には古びた祭壇があり、その上に、あの血のように滲む巻物が広げられている。 若き清影が、祭壇の前で膝をつき、苦悶の表情で印を結んでいた。 彼の体からは、禍々しい紫黒の霊気が噴き出し、周囲の空間を歪ませている。
「(苦悶の声を上げながら)……ぐ……ぁ……!来い……!来い……!鬼神……!」
「俺の魂なんざ、くれてやる……! だから、寄越せ……!薫子を……俺の女を守るだけの、『力』を……!」
彼の呼び声に応えるかのように、祭壇の奥の闇から、無数の黒い『手』のようなものが現れ、清影の体に絡みついていく。 それは、鬼神そのものではなく、術の代償として彼の魂を喰らおうとする、根源的な『闇』だった。
「(闇に魂を蝕まれながら、狂ったように笑い出す) …は……はは……!そうだ!
もっと……! これで…これで、兄上にも……!」
その、地獄のような光景の中へ、若き清顕が飛び込んできた。
「清影ッ!!貴様、何を……!」
清顕は、弟が禁断の外法に手を染め、まさに人ならざるものへと変貌しつつある様を目の当たりにし、絶句する。
「(ゆっくりと振り返る。その顔は既に半分ほど『鬼』のそれに変貌しており、瞳は赤黒く輝いている) ……ああ、兄上。……遅かったじゃねえか」
「見てくれよ、この『力』を…! これさえあれば、もうあんたの『理』なんかに、怯える必要もねえ!」
「(弟の狂気に、初めて声を荒げ) 馬鹿者!それは力などではない!お前を喰らうだけの『呪い』だ! 今すぐ術を解け!」
「(嘲笑う)……解けるわけ、ねえだろ。 もう、俺の魂は、こいつ(鬼神)のものだ。…だが、後悔はしてねえ」
「(虚空を見つめ、恍惚と)……これで、薫子は俺のものだ。あんたには、もう指一本触れさせねえ!」
「(その言葉に、抑えていた激情がついに爆発する) ……貴様……!あの女(薫子)のために、近衛の血を……己の魂を、鬼に売ったというのか……!」
「(冷徹な雷光をその身に纏い、殺意を込めて) …ならば、ここで、近衛家の『理』として、貴様を『処分』する!」
清顕の放つ『理』の雷槍が、鬼と化した清影に襲いかかる。 だが――
「(それを、禍々しい雷光を纏った腕で、容易く打ち砕き)……無駄だ、兄上!」
「(周囲の空間が、彼の雷と鬼の力で、黒く帯電していく) ……今の俺には、あんたの『制御された雷』なんざ、ただの玩具だ!」
兄弟の、最初で最後の死闘が始まった。 清顕の精密な『理』の雷術は、清影の、魂を代償とした圧倒的な『力(鬼)』の前に、ことごとく打ち砕かれる。 祭壇の石畳が砕け散り、柱が薙ぎ倒されていく。
「(膝をつき、荒い息をつきながら)……ぐっ……!これが……鬼の力……!」
清顕はそれでも、弟の顔に残る、かつての面影を見つめた。
「清影!目を覚ませ!まだ間に合う!お前は、鬼になど……!」
「(完全に理性を失い、獣のように咆哮し)……もう、遅いんだよ、兄上ェ!!」
清影が、最大級の『鬼雷』を放ち、清顕に止めを刺そうとする。
「(死を覚悟し、目を閉じる。 脳裏に浮かぶのは、あの雨の夜の薫子の瞳と、弟(清影)の、自分とは違う真っ直ぐな笑顔だった) ……(これが……『感情』に負けた、私の……末路か……)」
その、瞬間。
「(物陰から飛び出し、絶叫し)やめてッ!清影!!」
薫子の声に、完全に鬼に呑まれかけていた清影の動きが、ピタリと止まる。
赤黒い瞳が、一瞬だけ、かつての光を取り戻し、驚愕に見開かれ、薫子を捉えた。
「(苦悶し、鬼の力と抗いながら、かろうじて人の声で) …かお…るこ…?なぜ……ここに……」
「(涙ながらに)お願い……!もうやめて……!あなたまで、いなくならないで!」
「(自嘲するように笑い)……もう、遅えよ……。俺は、もう……。 だが、これで……あんたを、誰も……」
清顕は、その一瞬の隙を見逃さなかった。 最後の力を振り絞り、近衛家に伝わる封印の術を発動させる。
「許せ、清影……!」
清顕の手から放たれた光は、破壊の雷ではなく、『理』そのものが放つ浄化の光に近かった。 それが、苦悶する清影を包み込む。
「(光に焼かれながら、薫子だけを見つめ) ……薫子……!愛して……る……!もし……もし、俺たちに……子が、授かったなら……頼む……!」
「清影ッ!!」
清影の最後の言葉は、封印の光にかき消され、空間の歪みと共に、彼の姿は祭壇から完全に消え去った。 ――恐らくは、現世と幽世の狭間のような異空間へ。
一人残された祭壇。破壊された台座。 そして、弟を殺せず、鬼を完全に封印することもできず、『追放』という形で決着をつけてしまった清顕だけが、そこにいた。
彼は、崩れ落ちて泣き叫ぶ薫子の姿を、ただ見つめることしかできなかった。
彼の頬を、一筋の"涙"が伝った。
(――回想が途切れ、サロンは水を打ったように静まり返っていた。 皆、父(清顕)が語った、あまりに壮絶で、そして悲しい兄弟喧嘩の結末に、言葉を失っていた――)
「……親父(清影)……。最後の、言葉……」
清馬様の声が、震える。
「(父・清顕の、僅かに潤んだ瞳を見て) ……あなたは……。あなたは、本当は…」
清継様の言葉は、続かなかった。
「(涙の痕を隠すように、顔を背け) ……感傷に浸っている暇はない。……清影は、『必ず戻る』と言った。 ……そして、現に戻ってきた」
清顕様は、双子を、そして私を、厳しい目で見据えた。
「七日後。あの祭壇で、十六年前の『決着』を、今度こそつける」
「……近衛家の当主として。…そして、お前たちの……『父』として」
初めて聞く、彼の「父として」という言葉の重み。 それは、七日後の満月が、近衛家の全てを懸けた、本当の最後の戦いになることを、私たちに告げていた。




