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第87話『過去への扉、二人の兄』

あの黒い狩衣の式神が消え去ってから、数時間が過ぎた。 同日の昼下がり。 近衛家のサロンには、五人が集まっていたが、誰も口を開こうとはしなかった。 七日後の満月という「決戦」までのカウントダウンが、重い沈黙となって空気を支配していた。


「(カツン、とティーカップを置き)……おい!父上!」


沈黙に耐えきれなくなった清馬様が、テーブルを拳で叩いた。


「『全てを話す』って言ったじゃねえか!七日しかねえんだぞ!」 「『弟殺し』だの、『俺たちの兄弟』だの……! 一体、何があったんだよ!早く教えろよ!」


「……清馬、黙れ」


清継様が、冷静に、しかし鋭く弟を制する。


「……父上。弟の言う通りです。我々は『知る』必要があります。 敵の正体も……そして、我々自身の『血』の正体も」


私は、息を呑み、張り詰めた双子の緊張をどうにか和らげようと、そっと新しいお茶を差し出した。 清顕様は、そのお茶には目もくれず、双子を、そして私を順に見据えた。


「……(重々しく)……いいだろう。お前たちが望む『全て』を話す」


「だが、覚悟して聞け。 これは、お前たちが教科書で習うような、綺麗な『歴史』などではない。 ……近衛家という、『血』に縛られた一族の、醜い『罪』の記録だ」


薫子様が、そっと目を伏せる。 彼女は、私に向かって、か細い声で呟いた。


「……そして、琴葉さん。あなたも、よく聞いておくのよ」


「(自嘲するように)……これは、『巫女の手記』の、本当の『答え合わせ』。 私が、いかにして『毒』となったのかの、物語でもあるのだから」


「……はい」


私は、ごくりと喉を鳴らした。


清顕様は、ゆっくりと目を閉じ、過去を辿るように、静かに語り始めた。


「……話は、二十数年前に遡る。 ……私と、清影が、まだお前たちと同じ年頃だった頃だ」


「私が近衛家の『ことわり』を継ぐ者として育てられたのに対し、清影は……」


清顕様は、清馬様を一瞥した。


「…お前(清馬)と、驚くほどよく似ていた」


――その言葉と同時に、私の意識が、まるで霧の中に引き込まれるように、遠くなっていく。


(場面が、白くフェードアウトし、二十数年前の、近衛家の道場へと切り替わる――)


若き日の清顕が、木刀を構えている。


(清継様に瓜二つだ。でも、もっと冷徹で、近寄りがたいほどに、張り詰めている……!)


対峙するのは、若き日の清影。


(清馬様……!いや、清馬様よりも、もっと荒々しくて、瞳の奥に、焼けつくような、危うい光を宿している……!)


「(荒々しく木刀を振り回し、全てを清顕に受け流され) ……くそっ!くそっ!なんで当たらねえんだよ!」


「本気を出せよ、兄上!俺が弟だからって、手加減してんじゃねえぞ!」


「(静かに木刀の切っ先を、清影の喉元に突きつけ) ……終わりだ。私は、本気だ」


若き清顕は、汗ひとつかいていない。


「(冷たく)……お前の力は『熱』そのもの。だが、それだけだ。 制御も、理も無い。ただ振り回すだけの力は、児戯じぎに等しい。 …『vulgarヴァルガー』(下品)だ」


「(木刀を床に叩きつけ)……『下品』だと!?ふざけるな!」


「あんたこそ、いつだってそうだ!感情も、本音も、全部その『ことわり』ってやつで押し殺して! ……あんた、本当に人間なのかよ!血は通ってんのかよ!」


「……私は、近衛家の次期当主だ。血や感情などは、不要だ」


「(絶望と怒りを込めて、兄を睨みつけ) ……あんたが『氷』なら、俺は『炎』だ! いつか、絶対にあんたのその氷、俺の炎で、全部溶かしてやるからな!」


――道場での激しいやり取りの映像が、不意に途切れる。 私の意識が、現在のサロンへと引き戻された。


清顕様が、私たちを真っ直ぐに見据えていた。


「私は『器』。清影は『力』。 ……二人は、決して交わることのない、水と油だった。 ……あの『嵐』が、この屋敷に来るまでは」


そして、清顕様のその言葉が、新たな回想の引き金となった。 再び、私の視界が白くなる。 今度は、屋敷の玄関だった。雨が激しく降る夜。


ずぶ濡れになりながらも、鋭い瞳で、屋敷の者たちを睨みつけている、一人の少女がいる。

それが、若き日の薫子様だった。 庶民の娘だが、その美しさと、瞳の強さは、際立っていた。


当時の当主(清顕の父)


「(冷たく)……この娘か。五摂家の結界を、知らずに破り、帝都の霊脈を乱したというのは」


薫子:「(震えながらも、負けじと睨み返し)

『霊脈』だか何だか知らないわよ!私は、ただ、病気の母さんのために、薬草を……!」


清顕:「(影から現れ、薫子を冷徹に『分析』し) ……父上。この娘は、危険です。膨大な霊力を、無自覚に垂れ流している。 ……家の『秩序』を乱す、まさしく『毒』だ」


(清顕は、その少女の、既存の『ことわり』の枠に収まらない瞳の力に、ほんの一瞬、自らの『器』が揺らぐのを感じた。 だが、その微かな動揺を、即座に『ことわり』で押し殺す)


清顕:「……速やかに、処分すべきかと」


薫子:「(清顕を睨みつけ)……なっ……!『毒』ですって!?あんた、今、何て……!」


若き清顕が、その『毒』に手をかけようとした、その瞬間。


清影:「――待てよ、兄上」


清影が、二人の間に割って入った。 彼は、清顕とは対照的に、その瞳を輝かせ、生まれて初めて面白い玩具を見つけた子供のように、薫子様を見つめていた。


清影:「……(ニヤリと笑い)……へえ。すげえじゃねえか、あんた。 兄上の、あの氷みてえな『ことわり』に、真正面から噛みついた女なんて、初めて見たぜ」


薫子:「……はあ?あんた、誰よ」


清影:「(清影は、ずぶ濡れで震える薫子に、ためらいなく自分の羽織を乱暴にかけ) 風邪引くぞ、馬鹿。……俺は清影。 ……なあ、あんた、面白い。この退屈な屋敷で、俺の『炎』と、どっちが熱いか、勝負してみねえか?」


清顕:「(清影の行動に、初めて眉をひそめ)

やめろ、清影。その女は……『毒』だ」


(――回想が途切れ、現在のサロンに戻る――)


清継様と清馬様は、自分たちの過去すがたを、そのまま見せつけられたかのように、息を詰めていた。


「(ゴクリ)……あの人が、俺たちの、本当の……」


「(清顕様を見つめ)…そして、あなたは、最初から、母上を……」


清顕様は、何も答えない。 代わりに、薫子様が、冷めた紅茶を一口飲み、うっとりと、あの日のことを思い出すように、悲しげに微笑んだ。


「……そうよ。……清顕様は、いつだって、正しくて、冷たかった」


「(うっとりと)……でも、清影だけは、違った。 ……あの人だけが、私を『毒』としてではなく、『一人の女』として、見てくれた」


「……あの人の『炎』は、太陽のように、ただ、ひたすらに、温かかったわ……」


その、あまりに幸せそうな薫子様の横顔が、全ての「破滅」の、始まりだった。

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