第83話「黒い式神と、宣戦布告」
あの『開かずの祭壇』での告白から一夜明けた、朝。 屋敷の空気は、あの『鬼』の告白によって、鉛のように重く沈んでいた。
食卓に、薫子様の姿はなかった。自室にこもっているらしかった。 清馬様は、一言も喋らず、目の前の朝食を睨みつけ、清継様は、ただ黙り込んでいる。
「……父上!」
沈黙を破ったのは、清馬様だった。
「昨日の話、まだ終わってねえぞ!叔父上が『鬼』だなんて、俺は信じねえ!」
「(目を閉じ)……信じるか信じないかではない。事実だ」
清顕様が、静かに答える。
「父上。その叔父上が、なぜ今、帝都に?目的は……」
清継様の言葉を遮るように、屋敷全体が、ピシリ、と嫌な音を立てて揺れた。
「(弾かれたように立ち上がり)……今の、気配は……!?」
「結界が、内部から……?馬鹿な!」
「(二人を制し、静かに)……来たか」
三人が中庭に飛び出すと、そこには、音もなく、一人の「男」が立っていた。 黒い狩衣を纏い、能面のような、一切の感情が読めない顔をしている。 その足元の影だけが、光源とは無関係に、まるで生き物のように、ゆらゆらと揺れていた。
「(右腕に雷光をほとばしらせ)貴様!何者だ!どうやって屋敷に……!」
清馬様が、戦闘態勢に入る。
「(清馬の肩を手で制し)……待て、清馬。 あれは、ただの妖ではない。 ……霊力の質が、我々近衛の者と酷似している」
「(清顕様だけをじっと見つめ、男とも女ともつかない、二重に響く声で) ……お久しゅうございます。清顕様」
「(苦々しく)……その声は。清影の式神か」
「御意。我が主、清影様より、言伝を預かってまいりました」
式神は、抑揚のない声で、その「伝言」を告げ始めた。
「『兄上。私が眠りから覚めたということは、現世に、再び、巫女が誕生したということだな』」
その言葉と同時に、物音に気づいて駆けつけてきた私と、式神の視線が、初めて交差した。
「(息を呑む)……っ!」
(冷たい。底なしの『虚無』と『憎悪』……!)
「……あなた、まだ、あの人(清影)に仕えていたのね」
私を庇うように、いつの間にか現れた薫子様が、前に出た。
「(薫子様を見て、初めてその表情を歪め)……薫子様。主は、あなた様をお待ちです」
式神は、清顕様に向き直った。
「……伝言の続きを」
「『近々、お前を殺しにいく』」
「なっ……!?」
清馬様が、激昂する。
「……正気か。父上に勝てるとでも?」
清継様が、冷静に分析する。
「『そして、薫子を、我が手に、再び迎え入れる』」
「ふざけるな!母上を、だと!?」
清馬様の怒りが頂点に達する。
薫子様は、目を伏せたまま、何も言わない。
(薫子様が、何も言い返さない……!)
清顕様は、静かに、しかし強い怒りを込めて言い放った。
「……清影に伝えろ」
「『来るがいい。十六年前の決着を、今度こそ、ここでつける』」
「薫子は、私の妻だ。決してお前には渡さん」
その、あまりに真っ直ぐな「宣言」に、薫子様が、驚いたように、夫の顔を見つめていた。
「……御言葉、確と」
式神は、深々と一礼すると、影に溶けるように消え去ろうとした。
「……ああ、それから、巫女の小娘に、主から」
「……!」
「『お前もまた、『破滅』の駒だ。 兄と弟、どちらの『鬼』を呼ぶか、楽しみにしている』……と」
「(息を呑む)……私が……『鬼』を、呼ぶ……?」
(まさか、清継様か、清馬様が、あの過去の巫女や、清影様のように……!?)
「ふざけたこと言いやがって!」
清馬様が放った雷撃は、しかし、式神の揺らめく影に吸い込まれ、虚しく霧散した。
「誰が鬼になんか……!」
式神は、最後まで能面のような顔を崩さず、影に溶けるように消え去った。
(薫子様との「嫁教育」は終わった。 でも、それは、本当の「戦い」の、ほんの序章に過ぎなかったのだ)
私は、自分が、近衛家の「愛」と「憎しみ」そのものを巡る、壮絶な戦いに巻き込まれたことを、改めて実感した。




