第76話「由比ガ浜の鎮魂歌(レクイエム)と、母の涙」
あの「水着ハプニング」と、夕暮れに見た「泣く女の影」のせいで、私はその夜、全く寝付けずにいた。
(気のせい、だよね……。あの影も、泣き声がしたように感じたのも……。 でも、もし、あの影が、薫子様の『試練』の一部だとしたら……?)
気になった私は、こっそりと部屋を抜け出し、双子の若様の部屋の様子を見に行った。
(清馬様の部屋は……静かな寝息が聞こえる。良かった、清馬様は、もうお休みになっているみたい)
(清継様の部屋は……?あ、まだ電気がついてる。 机で、何か熱心に書物を読んでいらっしゃる……。 『巫女の手記』の解読、だろうか?それとも……?)
邪魔をしてはいけない。 私は、物音を立てないように、階段を降り、再びあの浜辺へと向かった。 あの影の正体を、一人で確かめるために。
月明かりだけが照らす、夜のプライベートビーチ。 波の音だけが、辺りを支配している。
(やっぱり、気のせいだったんじゃ……)
そう思った、その時だった。
いた。 夕暮れに見た岩陰で、白い白拍子の格好をした女性が、涙を流しながら、舞っていた。
音はない。 しかし、彼女の白い袖が、月光を浴びて、ひらり、ひらりと翻るたび、彼女の足元の砂が、まるで彼女の悲しみに応えるかのように、静かに渦を巻いていた。
「あ……!」
「琴葉!危ない!」
「下がっていろ、琴葉さん!あれは、尋常な気配ではない……!」
私が声を出した瞬間、背後から、二つの鋭い声が飛んだ。 清継様と清馬様だった。 私が部屋を抜け出したのを、気づいていたのだ。
「(瞳を金色に輝かせ、右手に雷光を集め) ……この結界を抜けてくるなんざ、ただの亡霊じゃねえな……!どこの妖だ!」
清馬様が、私を庇うように前に出て、攻撃態勢に入る。
「待って、清馬様!駄目です!」
私は、清馬様の腕を必死に掴んで止めた。
「あの人、私たちに敵意はありません……!ただ、泣いて……悲しんでいるだけです……!」
私は、ゆっくりと、その白拍子の女性に語りかけた。
「あ、あの……!あなたは、誰ですか? なぜ、こんな場所で、泣きながら舞っているのですか……?」
舞いを止めた白拍子は、ゆっくりとこちらを振り返る。 その顔は、美しくも、深い絶望に満ちていた。
「……わたくしの名は、静。……ただの、静と申します」
「わたくしは、この浜辺で……この由比ガ浜に埋められし…… わたくしの、赤子を、探しておりまする……」
「赤子……!?」
「(息を呑み)……まさか」
清継様が、その名前に思い当たる節があったように、声を震わせた。
「静……由比ガ浜……赤子……。……静御前、か」
「静御前!?あの、源義経の……?」
清馬様の驚愕した声が響く。
「ああ。源義経公の寵愛を受け、子供を身籠ったが、義経公の兄君(源頼朝)の命により、生まれたばかりの赤子(男子)は、この由比ガ浜の波打ち際に、埋められたと……伝えられている……」
「……なんだよ、それ……」
清馬様の声が、怒りに震えていた。
「時代が時代とはいえ……兄弟間で、そんなことすんのかよ……。やるせないな……」
清馬様の言葉が、図らずも、近衛家の「過去の悲劇」(清顕様と叔父上の対立)と重なり、清継様の表情が、わずかに曇った。
「あの子は、ここで、たった一人、冷たい水底に……。 母の手の温もりも知らぬまま……」
静御前の瞳から、再び涙がこぼれ落ちる。
「あの子に、一目……あの子を、この腕に、もう一度……!」
彼女の悲痛な叫びが、波音に混じって消えていく。
「……清継様、清馬様」
私は、二人を強く見つめ返した。
「どうにか、赤ちゃんの魂を、見つけることはできないでしょうか……」
「……だが、数百年も前のことだ。 しかも、この広大な浜辺から、赤子の小さな魂一つを……」
清継様が、その困難さに言葉を詰ませらせる。
「私、やります!」
私は、二人の手を握った。
「……これは、薫子様の『修行』です。 巫女の手記は、『愛が破滅を招いた』と教えてくれました。 ……でも、この方は、『愛(わが子)に会えない』ことで、今も苦しんでいる。 ……なら、私が、このお二人の『愛』を、繋いでみせます!」
私の力強い宣言に、双子は、それぞれの顔を見せた。
「(私の手を強く握り返し) ……おう!あんなに悲しそうにしてるんだ!俺たちの力で、助けてやろうぜ、琴葉!」
「(冷静に、しかし、私の瞳をまっすぐに見つめ返し) ……なるほど。君の『破魔の光』の索敵能力を、我々の力で増幅させる、か。 ……合理的だ。やってみよう、琴葉さん」
私は、双子に向き直る。
「はい!……清継様!あなたの『器』の力で、私の光を、この浜辺一帯に、網の目のように広げてください!」 「清馬様!あなたの『熱』の力で、私の光を、赤ちゃんの魂が応えてくれるよう、温かく、力強く、灯してください!」
「「承知した(任せろ)!」」
三人の力が一つとなり、私の『破魔の光』は、浄化の「白金」ではなく、全てを優しく照らし出す「月光」のような、広大な光となって、浜辺全体を照らし出した。
すると、遥か沖の方の、波打ち際が、一点、ひときわ強く、輝き始めた。
「あそこです……!」
その輝きが、ゆっくりと空に浮かび上がり、小さな光の玉となって、私たちの元へと寄ってくる。 それは、確かに、小さな、小さな、赤子の魂だった。
「ああ……!あの子……!私の、愛しい子……!」
静御前は、震える手で、その光(赤子)を、大切そうに、大切そうに、抱きしめた。
「(涙を流しながら、微笑み) ……温かい……。やっと、会えた……。 もう、一時も離しはしない。 ……これで、ようやく……義経様の元へ、旅立つことができまする……」
静御前は、私たちの方を向き、この世で最も美しい笑顔で、深々と一礼した。 そして、その手に赤子を抱きながら、光の粒子となって、静かに天へと消えていった。
「……行った、か」
「……ああ」
「(涙を拭い)……はい」
(薫子様の、突然の『試練』。 それは、私たち三人が、『過去の悲劇(手記)』に囚われるのではなく、『今、目の前にある悲劇(静御前)』を、『三人の力で救える』のだと、気づかせるための、『実地研修』だったのかもしれない……)
私たちは、夜明けの光が差し始めた浜辺で、固く繋いだ手を、見つめ合っていた。




