第74話「紅の水着と、二つの独占欲」
私は、一晩中、あの薫子様から送られた『紅い試練(=水着)』を睨みつけ、葛藤していた。
(あんな破廉恥なもの、着れるわけがない……! でも、薫子様は『採点項目』だと……。それに、清馬様は、あんなに楽しそうに……)
翌朝。別荘のサロン(居間)は、落ち着かない空気に満ちていた。 双子の若様たちは、すでに当時としては一般的な、肌の露出が少ない(膝丈のズボンに、袖のある上着のような)海水着に着替え、私を待っていた。
「おっせえな、琴葉!まだかよ!日が暮れちまうぜ!」
「(落ち着きなく紅茶をかき混ぜながら)……清馬、落ち着け。女性の準備には、時間がかかるものだ」
「兄上だって、さっきから三回も紅茶おかわりしてるくせに!」
「お、お待たせいたしました……!」
私がサロンに姿を現すと、二人の視線が私に突き刺さった。
私が着ていたのは、あの『紅い水着』ではなかった。 女中頭さんに頼んで、屋敷から送ってもらっていた、学校の授業で使うための、地味な紺色の、肌をほとんど露出しない、体操着のような水着だった。 もちろん、眼鏡も、紐でしっかりと固定している。
「(一瞬、あからさまにガッカリした顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻し) お、おう!まあ、いいんじゃねえか、それも!動きやすそうだしな!よし、行くぞ!」
「(心の底からホッとしたような、安堵の息を漏らし) ……ああ。琴葉さん。君には、そちらの方が、ずっとよく似合っている。……行こうか」
(二人のその、優しさに、私の胸は少しだけチクリと痛んだ)
私たちが向かったのは、近衛家の別荘の敷地内にある、プライベートビーチだった。 他の誰の目もない、私たちだけの、きらきらと輝く海。
私は、おそるおそる、波打ち際に足を踏み入れT。
「わあ……!」
「どうした?琴葉」
「これが、海水浴!こんなに冷たくて、しょっぱいのですね……!」
(昨夜、花火はしたけれど、海に『入る』のは、これが初めてだった)
私が、その初めての感触に感動していると、いきなり清馬様に手を引かれた。
「何ぼーっとしてんだよ、琴葉!泳ぎ方、俺が教えてやる!ほら、行くぞ!」
「ひゃっ!?ま、待ってください、清馬様!まだ心の準備が……!」
彼は、私の返事も聞かず、私を浅瀬へと引っ張っていき、パシャパシャと水を掛け合って笑っている。
「清馬、あまり乱暴にするな。彼女が驚いているだろう」
そこへ、清継様が、大きな日傘と敷物を持って、ゆっくりと追いかけてきた。
「琴葉さん。まずは、水に慣れるところからだ。この浮き輪を使いなさい。足のつかない場所へ行くのは危険だ」
「兄上は堅苦しいんだよ!水なんて、こうやって、えいっ!」
清馬様が、清継様に、わざと水をかける。
「……清馬。お前は……」
清継様の、いつもは冷静な眉がピクリと動いた。 二人の、子供のような水遊びが始まってしまう。
「ふふっ……あははっ!」
(お二人とも、本当に楽しそう……。 あの『紅い水着』のことで悩んでいたのが、馬鹿みたいだ)
私は、心の底から、この時間を楽しんでいた。
夢中になって水と戯れていた、その時だった。 私は、足元の見えない岩に足を取られ、バランスを崩してしまう。
「きゃっ……!」
「琴葉!どうした!?」
私が悲鳴を上げた瞬間、清馬様が、まるで弾丸のように私に向かって飛び込んできた。 彼は、私が岩で足を擦りむいているのを見つけると、躊躇なく、私をお姫様抱っこで抱き上げた。
「き、清馬様!?お、降ろしてください!恥ずかしいです!」
「うるせえ!怪我人だろ!じっとしてろ!」
(顔を真っ赤にしながらも、私をしっかりと抱え、砂浜へと戻る)
清継様は、私たちが岩場にいるのを見た瞬間に、既に砂浜へと駆け戻り、用意周到に救急箱を開けて待っていた。
清馬様の抱き方に、一瞬だけ眉をひそめる。
(無防備に抱き上げおって。彼女に触れていいのは、私だけだというのに……! いや、それ以前に、私が真っ先に彼女の危険に気づくべきだった……!)
「こちらへ。すぐに手当てを」
彼は、私を敷物の上に座らせると、まるで茶器でも扱うかのような、繊細な手つきで、私の足首の小さな傷を消毒し、手際よく包帯を巻いてくれた。
「…大丈夫かよ、琴葉」
清馬様が、私の隣に膝をつき、海を睨みつけながら呟いた。
「ごめんな、俺が、ちゃんと見てなかったから…」
「清馬の言う通りだ」
清継様が、包帯を巻き終え、静かに言った。
「私が護衛として同行すると言ったのに、この様だ。…すまない、琴葉さん」
(お二人の、あまりに真剣な謝罪に、私の胸は、傷の痛みとは違う、甘い痛みでいっぱいになった)
結局、その日はもう泳げなくなり、私たちは三人、タオルに包まって、別荘のテラスから、海に沈む夕日を眺めていた。
私は、自分の地味な水着と、包帯が巻かれた足首、そして、真剣な顔で私を気遣ってくれる、二人の「恋人」を、交互に見た。
(清馬様は、私を抱えて走ってくれた。 清継様は、私の小さな傷を、優しく手当てしてくれた。 ……お二人とも、私を守ろうと、こんなに必死になってくれる……)
(それなのに、私は……? 薫子様の『採点』が怖くて、あの水着から逃げた。 お二人は、私を守るために、あんなに必死になってくれたのに。 私は、私自身の『試練』から、ただ逃げてばかりだった……!)
「……あの、清継様、清馬様」
「「なんだ?(どうした?)」」
私は、顔を真っ赤にしながらも、決意を固めた瞳で、二人を見つめた。
「……明日。明日こそ、私……」
「薫子様からいただいた、あの『水着』。……着てみます」
「え……っ!?ま、マジかよ、琴葉!?」
(驚きと、隠しきれない喜びで、目が輝いている)
「……琴葉さん。……本気か?無理をすることはないんだぞ」
(声は冷静だが、その手は、強く握りしめられている)
「はい!これも、薫子様からの『修行』ですから! (小さな声で)そ、それに……」
「……お二人になら、見られても……いい、ですから……!」
私の、最後の、蚊の鳴くような声での告白。
双子の若様たちは、今度こそ、本当に、言葉を失って、真っ赤になって、固まってしまった。
私たちの、本当の「夏休みの宿題」は、明日、始まる。




