表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

72/105

第72話「鎌倉の別荘と、紅(くれない)の試練」

梅雨が明け、夏休みに入った最初の日。 私は、これから始まる一週間の「実地研修」と銘打たれた、一つ屋根の下での生活を前に、緊張で昨夜から一睡もできていなかった。


玄関には、私たち三人と、見送りの薫子様がいた。


「よっしゃー!海だー!」


一人だけ、遠足気分で浮かれている清馬様。


「清馬、はしゃぎすぎるな。これは、母上から課された『試練』だということを忘れるなよ」


「わーってるよ、兄上!」


(試練……。一つ屋根の下で、一週間……)


私の心臓は、早鐘のように鳴っていた。


「琴葉さん」


出発の直前、薫子様が、笑顔で私に一つの美しい化粧箱を差し出した。


「あなたに、私からの『餞別せんべつ』よ」


「えっ?わ、私にですか……?」


「ええ。せっかくの海辺の別荘ですもの。 これを着なければ、始まらないでしょう? 巴里パリで、今、一番流行っている、最新の『水着』ですわ」


「「み、水着!?」」


双子の声が、見事に重なった。


薫子様は、私の耳元で囁く。


「中身は、別荘に着いてからのお楽しみよ。 ……ふふっ、あなたがそれを着る『勇気』があるかどうかも、私の『採点項目』ですからね?」


「ひっ……!」


(この箱、とんでもない『爆弾』だ……!)


私は、その開けるのが怖い箱を、落とさないよう、恐る恐る受け取った。



鎌倉・由比ガゆいがはまへと向かう車の中。 私は、膝の上に置かれた「化粧箱」のせいで、生きた心地がしなかった。 両隣に座る若様たちが、明らかにその箱を意識しているのが、視線で伝わってくる。


「(ちらっ……ちらっ……)……お、おい、琴葉。 その……母上が言ってた『水着』って……」


清馬様が、ついに我慢できなくなったように、声をかけてきた。


「(顔を真っ赤にして)み、見てません! それに、薫子様の意地悪に付き合う気はありませんから!私は、絶対に着ません!」


「えっ!?なんでだよ!?」


「(咳払いをして)……ああ。それが賢明だ、琴葉さん」


清継様が、冷静を装って助け舟を出してくれた。


「母上のことだ、我々の常識では計り知れない、破廉恥はれんちなデザインである可能性が高い。 近衛家の人間として、風紀を乱すわけにはいかない」


「で、でもよ、兄上!『巴里パリで流行り』って……。 いや、別に、俺は見たかねえけど!気になるっていうか……!」


「清馬様の、えっち!」


(うぅ……。楓がいてくれたら、この空気をどうにかしてくれるのに……! 『今回は、あなたたち三人の『試練』だから』なんて、楽しそうに笑って、見送られてしまった……!)


言い争いをしているうちに、車は由比ガゆいがはまの海を一望できる、高台に建てられた、美しい洋館(別荘)に到着した。


「わあ、素敵な……!あ、あの、お手伝いの方々は……?」


「……清馬」


薫子様からの手紙を読んでいた清継様が、青ざめた顔で弟を呼んだ。


「なんだよ、兄上」


「……母上からの伝言だ。 『お食事の準備や、お洗濯、お掃除は、全て、『女中兼巫女』である、琴葉さんにお任せします』と」


「「えええええええっ!?」」


私と清馬様の悲鳴が、広い玄関ホールに響き渡った。


「母上、ふざけやがって! 琴葉に、一週間、俺たちの飯の支度を全部やらせる気か!」


「……いや、違う」


清継様は、苦々しく首を振った。


「彼女は『女中』だ。それは、彼女の『仕事』であり、『誇り』だ。 ……母上は、私たちに、その『日常』を突きつけているんだ」


(『三人恋人』だのと浮かれているが、あなたたちは、この子に『妻』でもないのに、『妻』のようなこと(家事全般)を、この一つ屋根の下で、させる『覚悟』がおあり?と…!)


双子がその意味の重さに言葉を失う中、私は、覚悟を決めた。


「……やらせて、いただきます」


「琴葉さん!?」


「これは、薫子様が私に与えてくださった、『巫女の手記』の、次の『修行』なんです。 ……『破滅』を迎えるか、『答え』を見つけられるか。 ……私は、逃げません!」


私は、真っ直ぐに二人を見つめ返した。



双子の若様たちは、そんな私を「女中」としてこき使うのではなく、「恋人」として、その「家事」を手伝う、という答えを選んでくれた。


「……おい、琴葉。荷物、運ぶの手伝うぜ。 それと、飯の支度とか、俺も手伝うからな!俺、火起こしくらいならできるし!」


「……琴葉さん。夕食の買い出しが必要だろう。私も同行しよう。 鎌倉の市場は、私が詳しい」


「(笑顔で)はい!ありがとうございます、お二人とも!」


双子が買い出し(清継)や、別荘の点検(清馬)に出て行き、私は、割り当てられた一階の女中部屋で、荷解きを始めた。


トランクの底から、あの、不吉な化粧箱が出てきた。


(着る、着ないは別として……。中身を、確認だけは、しておかないと……)


私は、ゴクリと喉を鳴らし、意を決して、その箱のリボンを解いた。


箱を開けた私は、絶句した。 中に入っていたのは、体にぴったりと張り付くような薄い生地の、しかも、当時の日本ではありえないほど鮮やかなくれいない色をした、腕も脚も大胆に肌を晒す、ワンピース型の水着だった。


(こ、こんな、破廉恥はれんちなものを、私が……!? ていうか、これ、肌着じゃなくて!?)


私が、そのあまりに刺激的な布切れを、震える手で持ち上げた、その瞬間。


ガラッ


「おーい、琴葉!さっき、母上から、追加の荷物が……」


無遠慮に部屋の扉を開けて入ってきた清馬様と、目が合った。


彼の視線が、私と、私の手にある、あの『紅い水着』の間を行き来する。


「……………………」


「……………………あ」


そこへ、清馬様が立ち往生しているのを不審に思った清継様が、後ろからやってきた。


「清馬?何を呆けているんだ。荷物を運ぶぞ。……琴葉さん?」


清継様もまた、部屋の中の光景―― 呆然と立つ弟と、顔を真っ真っ赤にして、例の『紅い布切れ』を掲げるように持ったまま固まっている私―― を見て、全てを理解し、固まった。


「……………………」


「(絶叫)いやあああああああああああっ!! 見ないでくださいお二人ともぉぉぉっ!!」


波乱に満ちた「夏休みの宿題」が、最悪の形で、今、始まってしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ