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第7話「銀座の喧騒と、紅蓮の炎」

鷹司たかつかさ邸を訪れてから数日後の休日。


この前の影法師の一件以来、どこか思い詰めた顔をしていた私を気遣って、楓が「気分転換に付き合いなさい」と、帝都で一番華やかな街、銀座への散策に誘ってくださった。


「め、滅相もございません! 楓さんが、私のような者とご一緒だなんて……。

お気遣いは嬉しいのですが、私はお屋敷の仕事もございますし……」


私が恐縮していると、玄関には既に楓の家の黒塗りの高級車が静かに停まっていた。

諦めて私が車に乗ろうとすると、楓は悪戯っぽく笑ってそれを止める。


「待って。今日はこれに乗るのはやめましょう」


彼女は運転手に今日は不要だと伝えると、驚く私の腕を引いた。


「せっかくだもの。あなたの見る世界を、私も見てみたいの。たまには路面電車に揺られるのも、悪くないでしょう?」



ガタン、ゴトン。心地よい振動の中、楓がふと切り出した。


「ねえ、琴葉。いつまでその堅苦しい敬語を続けるつもり? 友人でしょう?」


「ですが、私は一介の女中で……」


「なら、まずは私のことを『楓さん』ではなく、『楓』と呼ぶことから始めなさい。いいわね?」


有無を言わせぬ、けれど優しいその響きに、私は顔を赤くしながら頷くしかなかった。


「わ、わかりました……か、楓」


小さな声で練習する私を見て、彼女は満足そうに微笑んだ。


「ええ。……これで、少しは近づけたかしら?」


こうして、私たちは路面電車を乗り継ぎ、銀座の煉瓦街れんががいに降り立った。


ガス灯、モダンな洋装で行き交う人々。

(ショーウィンドウに並んだ宝石が、まるで夜空の星々を閉じ込めたみたいに輝いている……孤児院で見ていた空とは、全然違う……)


生まれて初めて見るその華やかな光景に、私はすっかり心を奪われていた。


「あなた、珈琲コーヒーは飲んだことある?」


楓に連れられて入ったのは、当時流行の最先端だという喫茶店カフェ

ビロード張りの椅子に、銀の匙。運ばれてきた珈琲の、初めて嗅ぐ香ばしい匂いと、初めて口にするその苦さに、私は新しい世界に胸をときめかせていた。


その、穏やかな時間が引き裂かれたのは、突然のことだった。


「きゃあああああっ!」


甲高い悲鳴が、銀座の空気を切り裂いた。

喫茶店を飛び出すと、大通りは既にパニックに陥っていた。


人々が逃げ惑うその中心で、ありえない光景が広がっていた。


通りのあちこちにあった煉瓦の瓦礫や、工事現場の鉄屑が、まるで目に見えない巨大な手に持ち上げられたかのように宙を舞い、一つの巨大な人型へと形を変え始めていた。


崩れた煉瓦れんがが、まるで血を流すように赤い粉を吹きながら、その巨体を構成していく。


(なんてこと……!)


他の人には、ただ物が勝手に動いているようにしか見えていないはず。

でも、私の眼にははっきりと見えた。

あの瓦礫の中心で、全てを操っている、邪悪な気の塊が。


それは生命の温かさとは真逆の、全てを吸い込むような冷たい闇の染み。

あの日、鷹司たかつかさ邸で見た『人工魔石』によって生み出された、偽りの命。


その時だった。


「危ない!」


すぐ近くにあった宝飾店の扉が勢いよく開き、飛び出してきた人影が、私と楓を庇うように店の軒下へと引き込んだ。


「清馬様……清継様!?」


そこにいたのは、上等な仕立ての洋装に身を包んだ、双子の若様だった。


(こんな大変な時だというのに……学生服ではない、お二人の姿に、不謹慎にも目を奪われてしまった。いつもより、ずっと大人びて見える……)


「白石! 楓! 無事か!」


「なぜ、お二人がここに……」


「父上に言いつかってな! 鷹司たかつかさ殿が封じたあの水晶を、これ以上邪気が漏れねえように、特別な箱に収める細工を頼みに来てたんだよ! ここの爺さん、そういう特殊な細工が専門でな。まあ、今はそれどころじゃねえが!」


清馬様が叫ぶのと、異形の妖が瓦礫がれきの腕を振り下ろすのが同時だった。


「兄上!」


「ああ!」


二人の瞳が、まばゆい金色に閃く。清継様が「静かな稲妻」で結界を張り、逃げ惑う人々のための盾を作り出す。その隙に、清馬様が「嵐の稲妻」をその腕に収束させていく。


バチバチと激しい音を立てて青白い雷が渦を巻き、空気を焦がすほどの力が彼の右腕に集まっていくのが見えた。


(核はどこ……? このままだと、街が……!)


私が妖の中心点を探ろうと目を凝らした、まさにその瞬間だった。


ゴオオオオオオッ!


全てを掻き消すような轟音と共に、天から紅蓮ぐれんの炎が降り注いだ。業火は一瞬で妖を包み込み、その体を構成していた瓦礫も鉄屑も、どろどろに融解ゆうかいさせていく。


炎の中から現れたのは、燃えるような緋色の瞳で、全てを見下すような笑みを浮かべた青年だった。


九条くじょう……!」


清馬様が、まるで宿敵でも見るかのようにその名を吐き捨てる。清継様は無言だったが、その表情からすっと温度が消え、冷たい怒りが浮かんでいた。


(九条……様。あの炎は、この人の……)


私は息を呑んだ。


(九条様の炎は、全てを消し去る苛烈な力……。それに比べて、近衛の若様たちの雷は、人々を守るための優しい光……。でも、どちらも、人の身には余る、恐ろしい力……)


「近衛のやり方は生ぬるい。妖は、こうして塵も残さず殲滅せんめつするものだ」


五摂家が一つ、九条くじょう家が嫡男、九条暁人くじょう あきと

彼はそんな双子の敵意を意にも介さず鼻で笑うと、ふと、その視線を私に向けた。


彼は、周囲の人間が恐怖に叫び、逃げ惑う様をつまらなそうに一瞥いちべつした後、ただ一人、妖が消滅した中心点をまっすぐに見据えている私の存在に気づいたのだ。


「ほう……」


彼は一瞬で私の目の前に移動すると、その指で私の顎を乱暴に掴み、顔を覗き込んできた。


「面白い眼を持つ女がいるな。貴様、何者だ?」


その瞳が、私の魂の奥底まで見透かそうとしているようで、私は身を固くした。


「てめえ、誰に手を出してやがる!」


激昂した清馬様が、暁人様に掴みかろうとする。その腕を、清継様が静かに制した。


「九条。その手を、離してもらおうか」


凍てつくように冷たい声が響く。しかし、暁人様は挑発するように口の端を吊り上げた。


その二人の間に、凛とした声が割って入った。


「九条。その無作法な手、放しなさい。私の友人に、何か用かしら?」


楓だった。彼女は一歩も引かず、その涼やかな瞳で、紅蓮の炎を宿す男をまっすぐに見据えていた。


私を巡って、二つの雷光と一つの紅蓮、そして静かな水面が、激しく火花を散らしていた。


それは、新たな、そしてより激しい恋と戦いの、紛れもない幕明けだった。

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