第68話「トラウマの劇場と、繋ぎ直す手」
「『三人修行』、再開です!今度は、私が、お二人を導きます!」
夜明けの薫子様の私室。 私の堂々たる「宣戦布告」に、双子の若様たちは、ただ、呆然と見つめ返すことしかできなかった。
その日の午後。薫子様は、早速私たち三人を呼び出した。
「さて、琴葉さん。昨日は、威勢のいい『宣戦布告』、ご苦労様」
「あ……(昨日の勢いはどこへやら、気圧されてしまう)」
「手記の修行も大切ですけれど、その前に。 あなたたち三人に、私から、新たな『ご褒美』を差し上げますわ」
彼女が差し出したのは、三枚の切符だった。
「来週末、帝都劇場で、巴里で一番の楽団が演奏会を開くの。 ……もちろん、あなたたち三人で、行ってらっしゃいな」
「デ、デートの誘いか!?…って、帝都劇場!?」
清馬様が声を上げる。
「(顔を青ざめさせ)…母上。本気ですか。あの場所に、我々を……?」
清継様の声が、緊張に強張る。
「あら、何か問題でも?」
薫子様は、悪戯っぽく微笑んだ。
「『戦いの記憶』は、楽しい『恋の記憶』で、上書きしないとね? …あなたたちの『覚悟』が、本物かどうか。この母が、見届けてさしあげますわ」
そして、当日。 私たちは、あの日、影向と戦った時と同じように、少しお洒落な洋装とスーツに身を包み、帝都劇場を訪れた。
きらびやかなシャンデリア、楽しげな人々。 けれど、私の脳裏には、あの日の光景がフラッシュバックする。
(この場所で、私たちは戦って、清継様が傷ついて……奏様が……)
無意識に、あの「奈落」へと続く舞台裏の方向を見てしまい、私の体が小さく震えた。
「……大丈夫か、琴葉さん。無理をすることはない」
清継様が、私の異変に気づき、そっと声をかける。
「母上の奴、やっぱり、性格悪いぜ…」
清馬様も、忌々しそうに呟いた。
「い、いえ!大丈夫です! 今日は、三人で、楽しむために来たんですから!」
気丈に振る舞う私の姿に、双子は顔を見合わせた。
芝居が始まり、客席が薄暗くなる。 その暗闇が、あの奈落での戦いの恐怖を、私の心に蘇らせる。 私は、無意識に、自分の両手を強く、強く握りしめた。
その、小さく震える私の拳に。 左右から、二つの大きな手が、そっと重ねられた。
「(小声で)……大丈夫だ」
左側から、清馬様の、熱く、力強い声。
「今は、俺たちがいる。あの時とは違う」
「(小声で)…そうだ」
右側から、清継様の、静かで、落ち着いた声。
「もう、あの時とは違う。我々は、もう君から手を離さない」
二人の温もりが、私の震えを止めていく。
(あの上野でのお花見の日は、私は、はぐれないように、二人の腕に『絡みついた』。 …でも、今は違う)
私は、二人の手を、自らの意志で、強く、強く握り返した。
(今度は、私が、二人を『繋ぐ』。 私たち三人は、『一つ』だから)
三人の手が、暗闇の中で、固く、固く結ばれる。 それは、恋人としての甘い触れ合いではなく、共にトラウマを乗り越えようとする、「戦友」としての、力強い誓いの証だった。
二人の温もりに包まれ、私の恐怖は、ゆっくりと溶けていく。 やがて芝居はクライマックスを迎え、割れんばかりの拍手が会場を包んだ。 私は、あの日の「恐怖」ではなく、今、ここにある「温もり」と、目の前の「舞台」に、初めて心の底から集中し、弾けるような笑顔を見せていた。
帰り道。屋敷の玄関で、薫子様が、まるで待ち構えていたかのように、優雅に立っていた。
「あら、お帰りなさい。楽しめたようね?」
「……ええ。母上のおかげで、我々は、一つの『過去』を乗り越えることができました」
清継様が、静かに頭を下げる。
「ま、たまには、母上の意地悪も、役に立つんだな」
清馬様が、照れくさそうにそっぽを向く。
「薫子様。……ありがとうございます。私たち、もう大丈夫です」
私がそう言って微笑むと、薫子様は、私の「私たち」という言葉に、満足そうに微笑んだ。
「ふふっ。なら、良かったわ」
しかし、彼女は悪戯っぽく、人差し指を立てた。
「では、本当の『試練』は、その『巫女の手記』が、あなたたちのその『絆』を、認めてくれるかどうか、ですわね」
「!」
「さあ、明日から、本当の『嫁教育』の始まりよ」
最初の試練は、乗り越えた。 けれど、あの「二人を愛して破滅した」という、手記の本当の呪いは、まだ解かれていない。 私たちの、奇妙な「共同修行」が、いよいよ本格的に始まろうとしていた。




