第67話「手記の終章と、私の『薬』」
屋敷の空気は、まるで「氷河期」だった。
食卓に清馬様が姿を見せることはなく、清継様は父・清顕様と、事務的な会話を交わすだけ。 私は、ただの「女中」として、その食卓の隅で給仕をしていた。
(これが、清継様の『守り方』。これが、私が選んだ『答え』…。 誰も、笑っていない……)
廊下で清馬様とすれ違っても、彼は傷ついた獣のように視線を逸らし、清継様にお茶をお持ちしても、彼は一度も私の顔を見ずに「ありがとう。もう、下がっていい」と冷たく告げるだけだった。
「いい加減になさい、琴葉」
学校の昼休み。一人ぼんやりとしていた私を、楓が中庭に連れ出した。
「いつまで、そんな幽霊みたいな顔をしてるつもり? 清継に『女中に戻れ』と言われたからって、はいそうですかって引き下がるの? それが、あなたの答えなの?」
「でも、楓……。私が、お二人の『毒』になるかもしれないなら……」
「馬鹿言わないで!」
楓は、私の言葉を遮った。
「あなたが諦めたら、あの馬鹿な兄弟は、本当に『破滅』するわよ! 清継は心を殺し続けて、清馬は心を壊してしまう!あなた、それが見たいの!?」
「で、でも、私には…どうしたらいいのか…わからないんです……」
「知らないわよ、そんなの! でも、あの『巫女の手記』に、何かヒントがあるんじゃないの? 薫子叔母様は、あなたにそれを託したんでしょう? …戦いなさいよ、琴葉。あなた自身の『呪い』と」
楓の厳しい言葉に、私はハッとした。
(そうだ…私は、あの巫女様の『結末』から、逃げたんだ……)
その夜。私は、意を決した。
(薫子様の私室は、清継様も入れない。でも、私は『女中』だから……)
深夜、私は女中として「奥様の私室の夜間整理」を装い、薫子様の私室に忍び込んだ。 部屋の主である薫子様は、まるで全てを見透かしていたかのように、そこにはいなかった。
私は、祭壇のように置かれた『巫女の手記』の前に、再び一人で正座する。
(怖い…。でも、もう逃げない。 私は、あの巫女様の『絶望』と、向き合う。 そして、必ず、『薬』になる道を、見つけ出す……!)
私は、自分一人の力で、そっと手記に触れた。 今度は、手記は私を拒絶しなかった。 私の「覚悟」が、手記の「絶望」と共鳴したのだ。
脳裏に、あの日の続きが、鮮烈な映像と感情となって流れ込んできた。
彼女が「選べなかった」ことで、愛する二人の男性(清継似の男と清馬似の男)が、彼女を巡って激しく対立し、その力が暴走し、一族に甚大な被害をもたらしてしまう。
そして、五摂家の当主たちが、その「破滅」の原因を、「巫女が二人を同時に愛し、惑わせたこと」にあると断罪する、冷たい声が響いた。
「もはや、そなたは『薬』ではない。『毒』だ!巫女を、処罰せよ!」
処刑人の刃が、巫女本人に向かって振り下ろされる。
『いやっ…!』
その時、二人の男のうちの一人(清馬似の男)が、巫女を庇って、処刑人の刃を受け、命を落とした。
『ああ……!あなた……!なぜ……!』
それを見た、もう一人の男(清継似の男)は、愛する女性が目の前で処刑されそうになり、ライバルであった男が犠牲になったという現実に絶望し、力を完全に暴走させ、全てを破壊し尽くす。
『ああ……!私が、二人とも愛してしまったから……! 一人が私を庇って死に、一人が私のために『鬼』に堕ちてしまった…!』
「いやああああああああっ!」
私は、その絶望的な光景に耐えきれず、叫び声を上げて、手記から手を離した。
だが、私はもう一度、涙を拭って手記に触れた。 その「先」を知るために。
(『続き』がある……!)
全てを失い、一人ぼっちになった巫女。
彼女は、自らの命を絶とうとする。しかし、死ねなかった。
『……死ぬことすら、許されない。 ならば、私は、この『毒』の力と、向き合うしかない』
彼女は、残りの人生の全てを、暴走した男(清継似の男)を鎮めるために、そして、二度と自分のような『毒』が生まれないよう、この「手記」を遺すために、捧げた。
『後世の巫女よ。 私を、憐れむな。私を、恐れるな。 ……私の罪は、『二人を愛した』ことではない。 二人を愛し、二人を救うだけの、『力』がなかったこと。 そして、二人を信じ抜く、『覚悟』がなかったことだ』
『もし、そなたが、私と同じ『毒』を抱えたのなら……。 今度こそ、乗り越えておくれ。 その『毒』を『薬』に変える、真の光を、見せておくれ……』
映像が途切れ、私は、自分がまだ薫子様の私室にいることに気づく。 窓の外は、白み始めていた。 私は、一晩中、手記と向き合っていたのだ。
(…そうだったんだ。 あの巫女様は、逃げなかった。絶望の淵で、最期まで、戦い続けたんだ……!)
(清継様は、私を『過去の破滅』から守ろうとしてくれた。 でも、それは間違い。 あの巫女様が、本当に伝えたかったのは、『破滅』の歴史ではなく、それを乗り越えろという『祈り』だったんだ……!)
私が、新たな決意に満ちた瞳で部屋を出ると、扉の前で、二人の若様が、青ざめた顔で立っていた。
「琴葉…!お前、一晩中、ここに……!」
「(私の、吹っ切れた表情を見て)……君は『答え』を、見つけたのか」
どうやら、私が戻らないことを心配した二人が、母の許可を得て、私室の前でずっと待っていてくれたようだった。
私は、そんな二人に、これまでで一番、凛とした笑顔を見せた。
「はい。……清継様、清馬様。 私は、もう『毒』になることを、恐れません」
「「……!」」
「私は、お二人を、同時に、愛し続けます。 そして、お二人を、絶対に『破滅』などさせません」
「そのために、私は、この手記を読み解き、最強の『薬』になってみせます。 ですから!」
私は、二人の手を、両側から、強く、強く握りしめた。
「『三人修行』、再開です! 今度は、私が、お二人を導きます!」
私の、あまりに堂々とした「宣戦布告」に、双子は、ただ、呆然と見つめ返すことしかできなかった。




