第66話「冷たい決定と、壊れた絆」
清継様の、あまりに冷たく、一方的な「決定」が下された翌朝。 屋敷の空気は、まるで薄氷を踏むかのように、凍りついていた。
朝食の席に、清馬様の姿はなかった。
清継様は、いつもと変わらぬ冷静な表情で新聞に目を通している。 けれど、その指先が、微かに震えていることに、私は気づいてしまった。
「琴葉さん」
「は、はい!」
「今日の修行は中止だ。君は、自分の持ち場(女中部屋)に戻りなさい」
「……はい」
彼の瞳には、昨日までの甘さは微塵もない。
ただ、「近衛家跡取り」としての、冷たい光だけが宿っていた。
私は、女中としての仕事に戻った。
けれど、そこにも、もう私の居場所はなかった。
「あ……琴葉様。そのようなことは、私どもが……」
私が箒を手に取ろうとすると、かつての仲間たちが、慌てて私を止める。
「やめてください!私は、もう『様』と呼ばれるような……」
薫子様が流した「近衛家の嫁候補」という噂と、清継様が下した「ただの女中に戻す」という決定。 その二つの矛盾に挟まれ、私は「巫女」でも「客人」でも「仲間」でもない、屋敷で最も孤独な存在になってしまっていた。
「……大丈夫?琴葉。顔色が、最悪よ」
学校で、楓だけが、変わらずに接してくれた。
その優しさに、私は堪えていたものが溢れそうになる。
「楓……私、どうしたらいいのか……わからないんです……」
「清継も、馬鹿な男ね。あなたを守るために、あなたを一番傷つける方法を選ぶなんて。 ……でも、清馬も、あなたにどう声をかけていいか、分からないのよ」
楓の言う通り、清馬様は、学校でも私を遠ざけていた。 その視線は、怒りと、悲しみと、そして「なぜ兄貴の言いなりなんだ」という苛立ちが混じり合っているように見えた。
数日が過ぎた。 私は、清継様の監視下で、ただ黙々と女中としての仕事をこなす。 修行もできず、力も戻らない。「三人恋人」という関係も、まるで嘘のようだった。
ついに、その状況に耐えきれなくなった清馬様が、私の前に立ちはだかった。 中庭で、一人、落ち葉を掃いていた、その時だった。
「……琴葉。お前は、このままでいいのかよ」
「清馬様……」
「兄上の言いなりになって、また『籠の中の鳥』に戻るのかよ! 巫女の修行も、俺たちとの関係も、全部あいつの一言で終わりかよ!」
彼の声が、荒くなる。
「俺は、認めねえ! あの手記の過去がどうだろうと、関係ねえ! 俺は、お前が『毒』だなんて、一瞬だって思ったことはねえよ!」
清馬様の、あまりに真っ直ぐな言葉。
(喉が、裂けそうだった。 本当は、今すぐにでも叫びたかった。『違う』と。
『私も、お二人と一緒にいたい』と)
けれど、私は、清継様が見つけた「過去の破滅」の重みを知ってしまった。
「……ごめんなさい、清馬様」
「なっ!?」
「清継様は……間違っていません。 あの方は、私を、そして清馬様を、あの過去の巫女様のような『破滅』から、守ろうとしてくださっているんです」
「……!」
「私が……私がお二人を同時に愛していることが、全ての『毒』の始まりなんです。 だから……これで、いいんです」
「……琴葉。お前、本気で、そう思ってんのか……?」
彼の声が、信じられないというように震える。
私は、涙をこらえ、顔を伏せたまま、小さく頷いた。
「……はい」
「…そうかよ」
彼は、それだけを呟くと、 「……なら、もういい」 と、これまで聞いたこともないような、深く傷ついた瞳で私を一瞥し、何も言わずに立ち去ってしまった。
その全てを、物陰から、清継様が、苦痛に満ちた表情で見つめていた。
(すまない、清馬……。すまない、琴葉さん。 だが、こうでもしなければ、二人とも、あの叔父上と同じ『破滅』を迎えてしまうんだ……!)
そして、屋敷の窓からは、薫子様が、その光景を眺めていた。
「(ため息)本当に、どうしようもない子たちね……。 でも、面白いわ。『毒』にも『薬』にもなれず、ただ立ち尽くすだけ。 ……さあ、ここからどうするのかしら、琴葉さん」
清継様の「守る」という愛は、私の心を閉ざさせ、 清馬様の「共に戦う」という愛は、私に拒絶された。
薫子様が仕掛けた「試練」によって、私たちの「三人恋人」という絆は、今、過去の呪いによって、決定的に引き裂かれてしまった。




