第63話「巫女の手記と、母の賭け」
薫子様の私室。 私の目の前には、近衛家に代々伝わるという、最後の巫女が遺した『手記』が置かれている。
「さあ、開いてごらんなさい。それが、あなたの新しい『教科書』よ」
「は、はい…!」
私は、震える手でその古い桐の小箱を開け、中にある手記にそっと触れた。 しかし、そこに書かれているのは、神代文字のような、私には一文字も読めない古代の文字だった。
「あ…あの、薫子様……。私には、これが、読めません……」
薫子様は、私の答えを待っていたかのように、楽しそうに微笑んだ。
「当然よ。それは、目で『読む』ものではないわ。あなたの力は、『心』で感じて発動したのでしょう?」
「え…?」
「この手記も同じ。あなたの魂で『感じる』のよ。 さあ、目を閉じて、その手に光を灯すイメージで、触れてごらんなさい」
私が言われた通りに試みると、手記は、まるで私を拒絶するかのように、バチッ!と静電気のようなものを放った。
「きゃっ!?」
「……ふぅん。なるほど。 まだ、あなたの『覚悟』だけでは、手記の方があなたを主と認めてくれない、というわけね」
薫子様は、優雅に紅茶を一口飲むと、ため息をついた。
「仕方がありませんわね。では、手記の前に、もっと大切な、『基礎』の授業を始めましょうか」
「基礎、でございますか?」
「ええ。琴葉さん。あなたの力の根源は、突き詰めれば『愛』よ。 そして、『愛』という力は、最も強力であると同時に、最も制御が難しいもの」
「……」
「あなたは、自分の力が『愛』から生まれていることを、まず自覚なさらなければ。 ……その力を制御するには、まず、あなた自身の『心』を、あなたが制御しなければならないの」
「私の、心を……?」
「そうよ。だから、昨日の質問に戻るわ」
薫子様は、悪戯っぽく微笑む。
「清継と清馬。あの二人の、どちらの『愛』が、あなたの心を、一番強く揺さぶるのかしら?」
「ま、またそのご質問ですか!?」
私が再び顔を真っ赤にして答えに窮していると、バンッ!と、勢いよく私室の扉が開かれた。
「母上!一体、琴葉に何を教えてるんだ!」
息を切らして飛び込んできたのは、清馬様だった。 その後ろから、冷静な、しかし明らかに焦っている清継様も姿を現す。
「母上。『巫女の手記』を渡したと聞きました。 それは、近衛家の当主である父上の管理下にあるべきものです。お返しください」
「あらあら。揃いも揃って、私の可愛い『教え子』を奪いに来たのかしら?」
薫子様は、少しも動じない。
(どうしよう!このままでは、またお二人が母上と…! でも、薫子様の仰る通り、私はまだ、この手記に認められていない。 …認めてもらうには、私一人の力じゃ駄目なんだ…!)
私は、意を決して、三人の前に進み出た。
「あ、あの!薫子様!その手記、ぜひ、私に読ませてください!」
「まあ、乗り気ね?」
「はい!ですが……私一人では、読み解くことができません。…だから、お願いがあります」
私は、三人をまっすぐに見据えた。
「この手記を読み解くには、お二人の力が、絶対に必要なんです」
「俺たちの?」
「はい。清継様の、力を精密に制御する『道筋』と、清馬様の、魂を燃やす『衝動』…… その二つがなければ、きっと、この手記は心を開いてくれません」
私は、薫子様に向き直った。
「ですから、薫子様。どうか、お二人にも、この修行に参加する許可をいただけませんか? 私が『毒』ではなく、『薬』になるために!」
私の、あまりに真剣な瞳。 その瞳の中に、「巫女」としての覚悟と、二人への「愛」が、確かに宿っているのを、薫子様は見逃さなかった。
「……」
薫子様は、昨日までの悪戯っぽい笑みを消し、初めて、真剣な眼差しで私を、そして息子たちを見比べた。
「…なるほど。そういう答えを、持ってきたのね」
「……」
「…いいわ。面白い。あなたのその『賭け』、私も乗ってあげる」
「清継、清馬。あなたたちも、それでいいのね?」
「……はい。琴葉さんの覚悟、確かに受け取りました」
清継様が、厳かに頷く。
「おう!よくわかんねえが、琴葉の役に立てるなら、文句はねえ!」
清馬様が、力強く拳を握った。
「(ふっと息を漏らし)……本当はね、この手記は、『失敗の記録』なのよ」
「「「えっ!?」」」
「数百年前の最後の巫女。 彼女もまた、強すぎる『愛』に振り回され、最後は『毒』となって、愛する者たちを破滅させた。 …これは、その巫女の、絶望の『手記』」
薫子様の言葉に、私たちは息を呑む。
「私は、あなた(琴葉)が、この子(双子)たちを、同じ道連れにするのではないかと、それが怖かった」
「……」
「でも、あなたは、一人で暴走するのではなく、『二人と共に歩む』ことを選んだ。 ……なら、見届けさせてもらうわ。 あなたたち三人が、この手記の呪いを解き、新しい『物語』を紡げるのかどうか」
薫子様は、立ち上がると、双子に向かって、挑発的に微笑んだ。
「ただし。手記の解読は、この私室で行います。
あなたたちも、ここへ通うことね。 ……そして、琴葉さんが、あなたたち二人の、どちらを選ぶことになるのか…… この母が、特等席で見届けさせていただきますわ」
「「なっ……!?」」
薫子様という、最強の「教師」を加えた、私たちの奇妙な「共同修行」が始まってしまった。 私の「巫女としての成長」と、「三人恋人」としての関係は、この嵐のような母の手の中で、一体どうなってしまうのか。
けれど、私の胸の奥では。 不思議と恐怖よりも、これから始まるであろう新たな日々への「期待」が、確かに膨らんでいたのだった。




