第61話「嵐の翌朝と、巴里(パリ)からの贈り物」
昨夜の嵐のようなお茶会から一夜明けた、近衛家の朝食の席は、これまでにないほど張り詰めていた。 私と双子の若様たち、そして当主の清顕様。 その上座には、何事もなかったかのように優雅に紅茶をすする薫子様の姿があった。
「ごきげんよう、皆様。昨夜はよく眠れましたかしら?」
薫子様の悪気のない(ように見える)問いかけに、私の背筋が凍る。
「(小声で)母上のせいで、眠れるわけねえだろ…」
隣に座る清馬様が、小さな声で毒づくのが聞こえた。
「(小声で)清馬、口を慎め」
清継様が、そっと弟を窘める。
(昨日の『嫁教育』という言葉が、頭から離れない!)
私は、お茶碗を持つ手が震えて、まともに朝食が喉を通らなかった。
そんな私を見かねたのか、清顕様が、重々しく口を開いた。
「薫子。琴葉はまだ女中兼巫女としての務めがある。あまり、お前の退屈しのぎに付き合わせるな」
「あら、清顕様。私が、ただの退屈しのぎで、あの子を構っているとお思い?」
薫子様は、微笑みを崩さないまま、夫をぴしゃりと牽制する。
「私は、近衛家の未来の『奥方』候補として、あの子がふさわしいか、見極めているだけですわ。……ねえ、琴葉さん?」
「ふぇ!?(ま、また私に…!?)」
助け舟かと思いきや、さらに大きな爆弾が投下され、私は「は、はいぃ…」と、か細い返事しかできなかった。
学校に登校すると、何やら生徒たちが、いつも以上に私たち三人をヒソヒソと見ている。
「どうやら、薫子叔母様が、昨日のうちに手を回したみたいね」
休み時間、楓が私の耳元でこっそり囁いた。
「え…?」
「『近衛家が、近々、重大な発表をする。相手は、あの巫女の少女かもしれない』……そんな噂が、もう五摂家の間に広まっているわ」
「そ、そんな!?」
「母上、余計なことしやがって……!」
その話を聞いた清馬様が、苛立たしげに壁を殴る。
「……いや、これはむしろ好都合かもしれん」
「はあ!?何が好都合なんだよ、兄上!」
清継様は、冷静に周囲を見渡していた。
「母上がこれだけ派手に動いたことで、『琴葉さんは、近衛家が公式に庇護する、極めて重要な存在である』と、内外に知らしめることができた」
「……!」
「これで、影向の残党も、大炊御門の生き残りも、迂闊には手を出せなくなった。 母上は、おそらくそこまで計算した上で、動いている」
「(あの嵐のような人が、そんな深い考えを…!?)」
清継様の分析に、私はただ驚くばかりだった。
放課後。屋敷に戻ると、女中頭さんが、申し訳なさそうな顔で私を待っていた。
「奥様がお呼びです。琴葉様、お一人で、と」
その言葉に、双子の若様たちが、同時に立ち上がった。
「一人でだと!?駄目だ、俺も行く!」
「落ち着け、清馬。だが、母上が何を企んでいるか……。私も同行しよう」
「いえ、若様方」
女中頭さんは、青ざめた顔で首を横に振った。
「奥様からは『もし息子たちが来たら、巴里からのお土産を渡せ』と、これを……」
彼女が差し出したのは、不気味な笑みを浮かべた、西洋人形だった。
「「うっ……!」」
それを見た瞬間、双子の若様たちは、まるで幼い頃のトラウマが蘇ったかのように、顔面蒼白になって後ずさった。
(の、呪いの人形...!?)
「……大丈夫です、お二人とも。行ってまいります」
私は、そんな二人の前に、そっと立ちはだかった。
(昨日、あれだけ必死に守ってくださったお二人に、もう情けない顔は見せられない。私だって、少しは成長したんだから……!)
私は、覚悟を決めて、一人、薫子様の元へと向かった。
案内されたのは、薫子様の私室だった。 部屋は、巴里から持ち帰ったであろう、華やかで、しかしどこか退廃的な調度品で溢れかえっていた。
薫子様は、お茶会での華やかなドレスではなく、ゆったりとしたガウンを羽織り、窓の外を眺めている。 その横顔は、昨日の「嵐」のような姿とは打って変わり、どこか物憂げで、寂しそうに見えた。
「……来たのね、琴葉さん」
「はい。…あの、本日は、どのようなご用件で……」
薫子様は、ゆっくりと私に向き直ると、その深い、海の底のような瞳で、まっすぐに私の心を見透かすように、問いかけた。
「昨日、私はあなたに『どちらを選ぶか』と聞いたわね。息子たちは、あなたを『守る』と言った」
「……」
「では、今度はあなたに聞くわ、琴葉さん。 ……あなたは、あの子たちに、何をしてあげられるの?」
「え…?」
「巫女の力?女中としての奉仕?……いいえ、そんなものではない。 あの子たちが、五摂家という『呪い』を背負って生きていく上で、あなたは、あの子たちの『毒』になるの?それとも、『薬』になるの?」
その瞳は、昨日までの悪戯っぽい光とは違う、近衛家の母として、息子たちの未来を本気で憂う、深く、そして悲しい色をしていた。
(胸の奥に、冷たい刃を突きつけられたようで、息が詰まった。 ……『毒』か、『薬』か。 それは、「どちらが好きか」などという生易しいものではない、私の存在そのものの価値を問う、あまりに重く、そして愛情に満ちた、本当の「試練」の始まりだった)




