第59話「甘いお菓子と、苦い尋問」
サンルームには、薫子様が持参した特製の紅茶の、甘く異国情緒あふれる香りが満ちていた。 しかし、その香りに反して、空気は張り詰めている。
薫子様は、優雅な手つきで、巴里で今一番流行っているという『オペラ』という洋菓子を、私の前に差し出した。
「さあ、どうぞ、琴葉さん。まずは、お菓子を一口。 …それとも、緊張なさって、喉を通らないかしら?」
「い、いえ…!いただきます!」
私が、震える手でその洋菓子を一口運ぶと、経験したことのない、濃厚な珈琲とチョコレートの香りが、口の中でとろけていく。
「(驚きに目を見開き)…!お、美味しい…!」
その反応に、薫子様は満足そうに微笑むと、最初の爆弾を投下した。
「さて。…まずは、簡単なことからお聞かせ願えるかしら」
「?」
「あなた、私の可愛い息子たち二人のこと……どちらが、お好きなの?」
「げほっ、ごほっ!?」
私は、食べたばかりのオペラを喉に詰まらせ、激しく咳き込んでしまった。
(こ、心の準備が……!いきなり何を……!)
逃げ出してしまいたいほどの恐怖と、同時に、二人がどんな顔をしているのか気になってしまう、甘い好奇心。 二つの相反する感情で、私の頭は真っ白になった。
「母上!何をいきなり……!」
「……母上。そのような、はしたない質問をおやめください。彼女が困っております」
双子の若様たちが、焦ったように同時に私を庇おうと声を上げる。
薫子様は、そんな二人の反応を見て、心の底から楽しそうに喉を鳴らした。
「あら、怖い。二人とも、同時に私を睨まないでちょうだい。 …ふふっ。そんなに必死になって。本当に、この子のことが大事なのね」
「あ、当たり前だろ!」
清馬様が、反射的にそう叫んでしまい、しまった!という顔で口を噤む。 清継様は、苦々しく眉間のシワを深くした。
薫子様は、勝利を確信したように優雅に紅茶を一口飲むと、再び私に向き直った。
「では、質問を変えましょうか。 琴葉さん。あなたは、近衛家の『巫女』だと伺ったわ。 ……それなのに、なぜ、今も『女中』のお仕事を?」
「え?それは、私が、望んだことで…」
その答えを待っていたかのように、薫子様は悲しそうに眉をひそめてみせた。
「まあ、可哀想に。 清顕様が、あの大炊御門との戦いで命を懸けた巫女に、まだ雑巾掛けをさせている、ということですの? それとも……」
彼女の鋭い視線が、双子を射抜く。
「あなたたちが、彼女を『客人』として丁重に扱うのではなく、『自分たちの傍に置いておける都合の良い存在』として、女中の立場に縛り付けている、とかしら?」
その言葉は、二人の痛いところを、あまりにも正確に突き刺した。
「ち、違います、母上!我々は、彼女の意志を尊重したまでで…!」
「そうだ!琴葉は、俺たちが守る!母上が、面白がって口を出すことじゃねえよ!」
「守る?(ふう、と溜め息)...あなたたちは、まだ何も分かっていらっしゃらないのね」
薫子様はすっと立ち上がると、私の隣に来て、その柔らかな手で私の頬にそっと触れた。
「ねえ、琴葉さん。 こんなところで、息子たちの顔色を窺いながら、いつまでも『女中』を演じているのは、退屈ではないかしら?」
「え……?」
「あなたは、近衛家の、いえ、五摂家の恩人よ。 あなたは、もっと自由になっていいはずだわ」
そして、薫子様は私を見つめたまま、悪戯っぽく微笑んだ。
「そうだわ、良いことを思いつきました!」
彼女は、呆然とする私と、緊張で固まっている双子に向かって、高らかに宣言した。
「清継、清馬。 あなたたちのどちらかが、この子を『妻』として迎えれば、全てが丸く収まるじゃありませんの」
「はあ!?つ、妻!?な、何言ってんだよ母上!」
清馬様が、素頓狂な声を上げ、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「母上!本気ですか!?」
清継様が、いつもの冷静さを失い、激しく動揺している。
「五摂家の伝統が……!それに、私たちはまだ学生です!」
「伝統なんて、この私が変えてみせますわ」
薫子様は、息子たちの慌てぶりに、心底楽しそうだ。
「それに、当主である清顕様ご自身が、この子のために写真館を手配するほど、夢中のようですし? あの方が、私以外のことで、あれほど心を動かされるなんて」
彼女は、ふっと表情を和らげ、どこか遠くを見る目になった。
「結局のところ、母としては、息子たちが、家柄や伝統なんかじゃなく、心の底から愛した女性と結ばれてくれるなら、それが一番の幸せなのよ」
「……さあ、どうかしら、琴葉さん?」
薫子様は、私の耳元に顔を寄せ、優しく、しかし逃げ場のない声で囁いた。
「この退屈な家の『女中』で終わるか、それとも、この家の『奥方』になるか。 ……そして、もし奥方になるのなら……」
彼女は、笑顔で固まっている双子を、指で示す。
「どちらの妻になるのか、そろそろ本気で、お決めなさいな?」
影向でも、大炊御門でもない。近衛家の「嵐」が持ち込んだ、甘くも残酷な究極の二択。 私の「三人恋人」という曖昧なバランスは、今、彼女の手によって、完全に崩壊させられようとしていた。




