第58話「嵐を呼ぶ母君と、三人の『恋人』!?」
あのお花見から数日。 私の「三人恋人」生活は、平和、とは言い難いまでも、忙しく続いていた。
「女中兼巫女」として働きつつ、双子の若様たちとの「共同修行」に励み、そして、授業中に二人から送られてくる熱っぽい視線に、生きた心地がしない毎日。
(清継様、手帳を見るのはおやめください!清馬様、通学証を仕舞ってください!)
そんな、甘くも騒がしい日常が、当たり前になりかけていた、ある日の午後だった。
「きゃあ!奥様!?」 「な、なぜ……!?」
屋敷が、にわかに騒がしくなった。 玄関に、一台の高級外車が止まり、山のようなトランクと共に、息を呑むほど美しい洋装の貴婦人が降り立つ。 その場にいた女中たちが、皆、凍り付いていた。
「旦那様!大変です!」
女中頭さんが、顔面蒼白で当主・清顕様の書斎へと駆け込んでいく。
「奥様が……!奥様が、巴里からお戻りになりました!」
その報せに、書斎で清顕様のお茶をお淹れしていた私も、思わず手を止めてしまった。 清顕様が、珍しく、心の底から面倒くさそうに、低い声で呻いた。
「……何だと?連絡もなしに、一体どういう風の吹き回しだ…」
その時だった。
「あら、清顕様。ただいま戻りましたわ」
華やかな香水の香りと共に、その貴婦人――双子の母君、近衛 薫子様が、笑顔で入ってきた。
「帝都の空気は、相変わらず退屈ですこと」
「母上!?」
「いつの間に……!」
騒ぎを聞きつけた双子の若様たちが、書斎に飛び込んできた。
「母上。ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
冷静を装う清継様と、驚きを隠せない清馬様。
「まあ、清継も清馬も、見ない間にまた素敵な殿方になられて!」
薫子様は、そんな息子たちを見るなり、大げさなほど嬉しそうに駆け寄り、二人の首に同時に抱きついた。
「さあ、二人とも、母に抱擁!」
「ちょ、母上、人前で!」
「うわっ!」
二人の頬に、立て続けにキスを贈る。 その、あまりに情熱的で、この厳格な近衛家とはかけ離れた光景に、私は呆然とするしかなかった。
「…あら?」
その時、薫子様の視線が、部屋の隅で小さくなっていた私を、捉えた。 彼女は、目をきらきらと輝かせると、双子を突き放し、まっすぐに私の元へ歩いてくる。
「まあ……!なんて可愛らしい子! あなたが、清顕様からお手紙で伺っていた、噂の巫女...『琴葉さん』ね?」
「は、はい!女中の白石琴葉と申します!」
(な、なんで巫女のことまで……!?)
薫子様は、私の手を両手で包み込むと、楽しそうに、私の顔、そして私を見る息子たち二人の顔を、値踏みするように、じろりと見比べた。
息子たちの視線に宿る、尋常ではないほどの「独占欲」と「恋情」。 そして、二人に挟まれて困惑する、私の「満更でもない表情」。
その「三角関係の空気」を、彼女は、たった一瞬で見抜いたようだった。
「…ふふっ」
彼女は、楽しそうに、くつくつと喉を鳴らした。
「清顕様。私、この子がとっても気に入ってしまいましたわ」
そして、私にしか聞こえないような、小さな声で囁いた。
「こんなに可愛らしい小鳥を、この退屈な屋敷に……。 しかも、二羽の飢えた鷹(=双子)のいる鳥籠に、よくぞ入れてくださいましたこと。 …ふふふっ、本当に、面白くなりそうだわ」
彼女は、この家の歪な力関係と、三人の奇妙な関係を、この瞬間に、全て看破していたのだ。
「決めたわ!」
薫子様は、パン、と手を叩いた。
「明日の午後、私と、あなたたち三人でお茶会を開きましょう!」
「はあ!?三人で!?」
清馬様が素っ頓狂な声を上げる。
「母上、しかし、琴葉さんはまだ仕事が…」
「(清継様の言葉を遮り)あら、いいじゃありませんの。 久しぶりに帰ってきた母の、ささやかな我儘も聞けないのかしら?」
その笑顔の圧力を前に、双子も、当主様ですら、何も言えなくなる。
(お、お茶会…!?この、全てをお見通しのような奥様と、ご一緒に…!?)
(やべえ!母上は、面白がって、絶対に琴葉に変なことを吹き込む気だ…!)
(まずいことになった。母上は、父上以上に、厄介な相手かもしれない…!)
三人の心の叫びが、虚しく重なった。
翌朝、私は「今日は奥様のお茶会の準備があるから」と、女中の仕事も修行も免除された。
学校で、そのことを楓に相談すると、彼女は、
これまで見たこともないほど顔を青ざめさせた。
「薫子叔母様が……帰っていらしたの!?よりにもよって、今……!」
「楓、ご存知なのですか!?」
「ええ……。あの方は、近衛家の『嵐』そのものよ。 五摂家の伝統も常識も、あの方の前では意味がないわ。 …琴葉。いいこと、絶対に、面白いおもちゃだと思われないように、気をつけて!」
放課後。 私は、逃げ出したい気持ちを抑え、お茶会が開かれるという、屋敷のサンルームへと向かった。 扉を開けた瞬間、日本では嗅いだことのないような、甘く、異国情緒あふれる紅茶の香りが、私の鼻をくすぐった。
そこには、優雅に紅茶をすする薫子様と、左右で引きつった笑顔を浮かべている双子の若様の姿があった。 テーブルの上には、見たこともないほど色鮮やかな巴里仕込みの洋菓子が、美しく並べられている。
「さあ、いらっしゃい、琴葉さん。 まずは、この『恋の媚薬』と呼ばれる、特製の紅茶を一口いかが?」
薫子様が、悪戯っぽく微笑む。
「私が巴里で学んだ、最新の『恋』について、教えて差し上げるわ。そして、あなたと、私の可愛い息子たちとの、『恋のお話』も、ゆっくりと聞かせてちょうだい?」
最大の試練は、大炊御門ではなかったのかもしれない。 私の、新たな戦い(お茶会)の幕が、今、静かに上がった。




